一ノ瀬先生と杉内先生の関係が、どうしても気になってしょうがない。
だから放課後、用もないのに保健室にやってきた、わたし。
「羽田さん。体調でも悪いの?」
「いいえ」
「じゃあどうしてここに」
「恋愛相談――かな」
「エッ」
「――好きなひとがいるって、いいですよね」
「なにがいいたいの」
「お姫さま抱っことかされたら最高」
「なっ……」
クールな顔が崩れて、微熱を出したみたいになる一ノ瀬先生。
無理もないよね。
杉内先生に、お姫さま抱っこされて、ベッドまで運び込まれたのは、厳然たる事実なんだから。
そうでしょっ? 一ノ瀬先生。
2020年6月5日の記事にちゃんと書いてあるんだもの。
あ、いけない。
はみ出し過ぎた。
――もっとイジワルしちゃえ、と思い、
「わたしお姫さま抱っこ『未経験』なんで、うらやましいんです」
「だ、だれのことかな」
「決まってるじゃないですか」
「言っちゃヤダ、羽田さん」
「図星なんだ~」
「言っちゃヤダって言ってるでしょっ!」
イライラし始める一ノ瀬先生だったが、構わずからかい続ける。
「ねえ先生、わたしオトナの恋って憧れるの」
「……」
「わたしの彼氏はいつまでたってもオトナじゃないし」
「……」
「とくに職場恋愛とか、想像しただけでドキドキしちゃう」
「……」
「やっぱり、職場恋愛が、いちばん激アツですよね!?」
「……」
わざとらしく、
「やだ~、『激アツ』とか、杉内先生が使いそうなことば使っちゃった~~」
「いいかげんにしなさい」
え。
一ノ瀬先生、わりと本気で怒ってる。
眼つきが……こわい。
「いいかげんにしなさい。用もなく来たと思ったら、ひたすらわたしをからかって。大人をバカにするのはやめなさい。無礼よ。中等部の子でもわきまえてることが、なんで羽田さんにはわきまえられないの?」
背筋が、凍りついていく。
「謝りなさい。謝るまで、あなたとは口をききません」
その場にいられるわけがなくって、
「ごめんなさい」も言えずに、
わたしは――保健室から逃げ出していた。
走って、走って、走り続けて、
途中で人とぶつかりながら、それでもひたすら走り続けて。
くやしくて、
情けなくて、
そう、いまの自分がくやしくて、情けなくて。
でも、
走っても、走っても、なんにも、振り切れずに。
× × ×
『見晴らしが丘』まで来たら、脚が痛くなっていた。
もう走れない……。
都心が見晴るかすことのできるベンチに腰掛ける。
腰掛けた途端に涙が溢れるように出てきて、都心の風景がどんどんどんどん滲(にじ)んでいく。
帰れない。
一ノ瀬先生も、もう口をきいてくれない。
もう、おしまいだ。
なにもかも、おしまい。
わたし、この学校には、もう、居られないんだ……。
本気でそう思っていた。
すると――、
伊吹先生が、
わたしの眼の前に、立っていた。
「どうしたの――羽田さん!?」
涙でグショグショの声で、
「伊吹先生こそ……どうしてここに来たんですか」
「だって、『見晴らしが丘』はあたしのお気に入りだから。
そんなことより――大変じゃないの。顔がめちゃくちゃよ!?」
「……」
「一生分泣いてるんじゃないの、あなた」
「……」
「しっかりして――って言うのは、あなたに酷だよね」
「……先生、もうだめ、全部だめ」
うつむいて、それでも涙がスカートにこぼれ落ち続けて、ほんとにどうしようもなくなるばっかりだった。
そんなわたしを、
やがて、伊吹先生は、
ぎゅーっと、ぎゅーっと、抱きしめて。
まるで伊吹先生が、わたしのお母さんになったみたいに。
ぎゅーーっと、ぎゅーーっと、抱きしめられて。
すがりつくように、むしゃぶりつくように、わたしは伊吹先生のスーツを濡らし続けていた。
× × ×
そして、涙もこれ以上出なくなったころに、
わたしは伊吹先生の胸のなかで、こうつぶやいた。
「伊吹先生……、
わたしより、オッパイ大きい」
「えっ!?
そ、そ、その発言はなに」
「自分でもわかんない……それと、一ノ瀬先生は、たぶん伊吹先生より、少しだけオッパイが大きいんだ」
「――よくわかったね?」
「ありがとう、元気出た、先生」
でも、
「わたし、まだヘロヘロだから、あと1時間は立ち直れない」
「ひっついてあげるよ。1時間でも2時間でも、何時間でも」
「ひっつく必要はないと思うけど。でも、きょうだけ甘えさせて、先生。卒業前の、わたしからの、最後のお願い」
「――いつもは、あたしのほうが、羽田さんに甘えてるから」
「そんなことない……」
「……よしよし。」
伊吹先生の優しさがじーん、と沁(し)みて、
気づくと、声を上げて泣いていた。
そんな弱いわたしを、ジンワリジンワリいたわるようにして、
もう一度、伊吹先生は、抱きしめてくれた……。