つつがなく入学式も終わり、付き添いの母さんとおれは利比古と合流、記念写真を撮っている。
愛には、「利比古の写真を撮ったらすぐ送信するように!」とうるさく言われている。
スマホを見ながら、あいつの学校の昼休みって何時何分からだったっけ、と思い出しあぐねていると、
「そんなに急いで送信しようとしなくてもいいですよ」
と利比古に言われた。
おまえ愛の学校の時間割知ってる? と訊いたが、
「わかんないです」
「困ったな、昼休みに送信するのが絶対いいだろ? 昼休みを逃したら、放課後まで時間があいてしまうし、あいつも『なんではやく送ってこないの?』ってイライラしてくると思うんだよ」
「アツマさんはお姉ちゃん想いですね」
利比古からまさかの不意打ちを食らって、一瞬ドキッとしたが、
「愛をキレさせると厄介なことになるし……ほら、気遣ってるんだよ、あいつのこと。おまえももう少し姉を気遣ってやれ」
「アツマは愛ちゃん想いねえ」
――母さんにまでからかわれる筋合いないと思うんですけど。
「わたし愛ちゃんの昼休みいつからか知ってるよん」
――さすが母さん! 一生ついていきます!
というわけで、記念写真送信の件はなんとかなった。
校舎の外で、人だかりとざわめきが広がっている。
どうやら、新入生勧誘というやつのようだ。
懐かしいな。
新入生に声をかけたり、チラシを配ったり。
運動部もあれば、文化部もある。
どうやらこの「桐原高校」、部活動がさかんなようだ。
活気があってよろしいではないか。
「利比古、行ってみようぜ」
「ハイ、アツマさん」
利比古がいつになく積極的である。
「なにかやりたい部活でも決めてたのか?」
「決めてませんけど、『なにかやらなくちゃ』と思ってるんです」
ほほ~、前向きじゃないか。
「待って~わたしもついてく~」
いや……母さん、まさか女子高生になった気分じゃないよね……。
さて、人だかりに分け入っていったわけだが、ここら辺は文化部のテリトリーらしい。
『ESS』という貼り紙が机にしてあるブースがあったりする。
「ESSか。おまえに向いてるんじゃないのか」
ほとんどバイリンガルみたいなもんだし……と思っていると、肝心の利比古はアサッテの方角を向いている。
ま、おれは部外者だし、おれが入る部活をすすめるのもヤボだろう。
利比古にじっくり選ばせてやりたい。
その利比古くんは、『放送部』という立て看板のブースで立ち止まり、ジッと立て看板を見ている。
立て看板を眺めても仕方ないと思うんですけど。
「立て看板眺めてても仕方ないよ」
そうだ! おれも同意見!
ただ、その声の主は放送部ブースの女の子で、凛としたその声にのけぞるように反応した利比古が振り向くと、その娘と目が合う格好になった。
「興味、あるんだよね? 私たちの部活に」
あちゃー利比古ドギマギしちゃうかなーと勝手に思っていたが、
「……あります。」
あるのかよ!? やっぱきょうのおまえ、すこぶる前向き!?
「じゃあ話早いね!」
笑顏になった放送部の女の子は、ブースの椅子に座るよう利比古を促した。
長身で、大人びた雰囲気の娘だ。たぶん3年生なんだろうが、制服でなければ大学3年生と言われても信じてしまうだろう。
部長なのだろうか?
チラシを介して彼女からどんどん放送部の説明を受ける利比古。
利比古のほうでも、反応よく相づちを打つ。
そうか、放送部興味あったのか。
放送部といえば八木八重子だが――おれの母校の放送部は部員がまったくおらず、事実上の廃止状態だったので、放送部という部活がいったいどんな活動をするのか、詳しくは知らなかった。
利比古がもしこのまま放送部に入るのなら、活動の様子も利比古を通して知ることができるだろう。
「じゃあここに名前書いて」
「はい。でもその前に質問が」
「なに?」
「あの、部長さんですよね? お名前を、まだお聞きしていないなと思いまして」
「あー、わたしとしたことが」
彼女は苦笑いして、
「3年の部長の甲斐田(かいだ)しぐれ。甲斐は山梨県の旧国名の甲斐、それに田んぼの田。名前はひらがな三文字――」
そのときだった。
何者かが利比古の腕を掴んで、すばしっこいネズミのように利比古を持ち去ってどこかに消えていってしまったのだ。
――誘拐かな?
一瞬のことだったので、利比古誘拐犯がどんな姿だったかよく認識できなかったが、すばしっこいネズミのように、小柄だったことはたしかだ。
おそらく女子――在校生か?
や、高校生にしては、小柄な身体だったような……。
「あのバカ!!」
さきほど利比古に自己紹介した放送部部長・甲斐田さんが、座っていた椅子を蹴飛ばして、鳥が飛び出るようにブースから脱出する。
利比古誘拐犯の方角を察知しているらしく、ダッシュで「その場所」に向かおうとする。
だが、利比古の保護者役はおれなのだ。
彼女がダッシュでブースを脱出したのとほぼ時を同じくして、おれはひとりでに走り出していた。
最近、こういう時にしか、自慢の「豪脚」を発揮する機会がないのが遺憾だが、
利比古が連れ去られたのだ――黙っちゃおれない。
× × ×
あっというまに、誘拐犯の目的地を察知していると思われる彼女に追いつく。
「放送部部長!!」
「は、はいっ」
おれの全速力のスピードに放送部部長・甲斐田はあっけにとられたらしく、走る速度を鈍らせる。
「おれに任せろ!!」
「あのっ……彼の、お兄さんなんですか?」
「まあそういうことにしておく。誘拐犯はこの方角に行ってるんだな?」
「は、はいっ……まちがいありません」
「場所の目印になるようなものは?」
「ケヤキの大木……丸いベンチがあって……犯人は幼児体型……いえ、小柄な女子でパーカーを羽織ってると思います、いつもだらしない髪型で、とにかく幼児体型でパーカーなので、すぐわかると思います」
おれは安心しきって、
「よし、それだけ分かれば大丈夫だ、こっちのもんだ。おれが捕まえてこっちに連れ戻してくる。きみは待ってろ」
「でも、私にも責任があります」
「おれのほうが何倍も責任がある。兄貴だからな」
「私もついていきます」
「おれに追いつけないよ、走りには自信あるんだ。それに」
「それに?」
「きみはスカートじゃないか」
さっきまで大人っぽかった顔が、たちまち真っ赤になった。
見栄を切りすぎたか――。
だがおれは急がねばならん。
利比古、安心しろ、必ず取り戻してやるからな。
× × ×
誘拐犯はやはりこの学校の女子生徒だった。
「なんでこんなことしたんだ」と問い詰めても、シラを切って、答えてくれる気配がない。
子供っぽい見た目に反して、ずいぶんと可愛げがないヤツだ。
まぁ、放送部甲斐田部長のところに連れていけば、真相も白日のもとに晒されるだろう。
「利比古、怖くなかったか?」
「いいえ……キツネにつままれるような感じでした」
そんな言葉を交わしながらブースのところまで戻ると、甲斐田部長が立ちはだかっていた。
「部長さんよ、コイツはいったいなんなんだ? あんたの部活の関係者か?」
甲斐田部長は歯噛みして、
「もう関係ありません!!」
そう言うが早いか、筒のように丸めたチラシで、
誘拐犯の顔をパーン! と叩いた。
こ、こええ。
「アサイ、なんでこんなマネするわけ!? 横取り!? 横取りだよね、アンタがやったの? そういうインチキしてまで新入生強奪したいわけ?」
たしかに、声をかけたのは甲斐田部長だし、先に勧誘しているところをあとからぶんどられたのでは、やってられない。
『アサイ』と呼ばれた誘拐犯の娘が卑怯なのは明らかだ。
「おい」
誘拐犯『アサイ』をおれは穏やかに諭(さと)すことにする。
「おれは部外者だが、あっちの部長の言いぶんは正しいと思うぞ。おれだって一部始終見てたからな。謝ったほうがいい」
「……アタシが勝つまで、甲斐田には謝らない」
「は?」
ピリピリしながら、甲斐田部長が、
「悪あがきはやめなさい。そもそも『勝つ』ってどういう意味。勝手に未承認の同好会立ち上げて『打倒・放送部』なんて、絶対どうかしてるよアンタ」
「同好会じゃないって言ってるでしょ!!」
誘拐犯『アサイ』が突如として絶叫したため、あたりに緊張が走る。
「けー・えっち・けー」
は!?
「けー・えっち・けー! きりはら・ほうそう・きょうかい!」
なにを……いいだすの……この娘。
「ちょっと待って下さい」
声を上げたのは利比古だ。
「はなしが見えてきません。アサイさん……でしたっけ? 強奪してまで、ぼくを同好会に入れたいんですよね? だったらちゃんと説明する――」
「同好会じゃない!! けー・えっち・けー!! きりはら・ほうそう・きょうかい!!」
「ですからその『けー・えっち・けー』なるものがどんなものなのか、きちんと説明していただきたいんです」
「おれも同感だ」
誘拐犯アサイは顔をしかめて、
「アルファベットの、『KHK』」
「もしかして、NHKみたいなものですか?」
ああー、なるほど。
利比古はカンがいい。
さすが天才少女の弟……。
「そうなんです。『桐原放送協会』の略で『KHK』、血迷ったのか、アサイは後輩をたぶらかしてグルになって放送部を退部、未承認のまま、新たな校内放送活動をたくらんで――」
「勝手にベラベラ説明しないでよ甲斐田」
「あんたが語り始めるともっともっと長くなっちゃうから!」
睨み合うふたり。
おれは、「落ち着け」と内心では思いつつ、
「――行動力があって、いいじゃないか」
「あアサイがですか!? よくありません、アサイは校内の秩序を乱してるんですよ!?」
おれのことばに、甲斐田部長の声も上ずってくる。
大学生みたいな大人っぽい顔立ちがもったいないなあと思いつつも、おれは追い打ちをかけるように、
「もう少し落ち着け」
そう、彼女の眼を見て、なだめるように言ってやる。
彼女の顔はみるみるうちに動揺の色に染まっていった。
や、こっちは落ち着いてほしいんですけど。
「冷静に、相手の言いぶんも、耳を傾けるぐらいのことはしてやれ」
そうやって、彼女の顔と向き合う。
なぜか、彼女のほうが、おれの顔から眼を離そうとしてくれない。
無言を貫き、おれを見つめ続けている。
――どゆこと?