商店街に行きたかった。
商店街に行きたかった。わたしは、商店街というものを知らずに育ってきたから。
『商店街に行ってみたいの』
『行ってみたい!?
きみ、商店街、行ったことないの!?』
『一度も、ないから、だから行ってみたい、商店街がどんな場所だか、知りたくてたまらないの』
『そんなに面白いかなあ、商店街って』
『行かなきゃわからないでしょ』
『後悔しても知らないよ?』
『そんなこと行く前から言わないでよ』
『行く気まんまんなんだね、きみは』
『そうよ。だから、
わたしを商店街に連れてって、ハルくん』
ハルくんと商店街に行くことが決まった夜は、期待と興奮で、夜中まで寝つくことができなかった。
「商店街に行くこと」自体への、期待と興奮。
それに、「ハルくんと」商店街に行くことへの、期待と興奮。
× × ×
翌日、わたしは生まれてはじめて、商店街に足を踏み入れた。
『ほら、ここだよ』
『これが商店街なの』
『……アカ子さん、きみ、テレビ観ないの? アド街ック天国とか』
『そういう番組があるのは知っているけれど、実物とはわけが違うわ』
『そんなもんかなあ』
わたしは気づいたら『うわぁ~』と感嘆を声に出して、商店街の屋根を見上げて、しばらく眺め続けていた。
屋根は、ずっと奥の奥まで、果てしなく伸びている。
『そんなにアーケードが珍しいかあ』
『アーケード、っていうの?』
『そんなことも知らなかったのかよ!?』
『わ、悪いかしらっ』
『きみ、どうせディズニーランドには何度も行ってるんだろう』
『どうせ、って何よっ。決めつけたみたいに!
そもそも、どこのディズニーランドの話!?』
『東京ディズニーランドに決まってるだろ…』
『ふーん。アナハイムのことを言ってるのかと思った』
『あなはいむ?』
『パスポート作ったことないのね、ハルくん』
『んっ💢』
『「ワールドバザール」だよ、「ワールドバザール」。入場したらこんなふうにアーケードのついた通りが、シンデレラ城の前まで続いてるだろ』
『それくらい知ってるわよ』
『じゃあなんで商店街の入口でそんなに眼を丸くしてるんだよ。まるでディズニーランドに初めて来た、子どもみたいにーー』
『ディズニーランドより面白そうだもの、商店街』
『あー、ディズニーランドに行き飽きたんだな』
『なによそれ💢 やっかみ? ひがみ?』
『アカ子さん、通行人の注目を浴びてるよ』
『……』
『さっさと中に入ろうぜ』
『ここに来るのに乗り気じゃなかったわけ? ハルくん』
『そんなことはないよ。ただーー』
『ただ?』
『日常的な買い物の場所を、そんな珍奇な眼で見られてもなあ』
『ズレてるっていうの? 世間と隔絶してるのかしら、わたし』
『隔絶だなんて。そんな大げさに言ってるんじゃないんだよおれは』
『心の底では箱入り娘だと思ってるんじゃないの?!』
『んなわけないだろぉ!? ただの誇大妄想だろ、それは!!』
× × ×
『あ』
『なんだよ、急に立ち止まらないでくれよ💢』
『古本屋さん、見つけた。』
これまで感じたことのないほどに良い雰囲気の店構えをしている古本屋さんを見つけて、吸い寄せられるように、入り口に向かって歩いていく。
ハルくんを置いてけぼりにして。
× × ×
『いかにも古本屋さんに興味ないって顔してるわね』
『よくおれのことがわかるねえ』
『ーー怒ってる? 本を買って待たせたから』
『ああ、怒ってる』
『正直ね』
『おあいにくさま💢』
『あ!』
『今度はなんだよ💢💢 また急に立ち止まってーー』
『レコード屋さん。』
『レコードっつったって、どうせ再生できないでしょ』
『できるわよ。家にレコードプレーヤーあるから。現役なのよ』
『ふーーーーーーーーーーーーん』
これまで感じたことのないほどに良い雰囲気の店構えをしているレコード屋さんを見つけて、吸い寄せられるように、入り口に向かって歩いていく。
まっったく興味がなさそうなハルくんを、置いてけぼりにして。
× × ×
『あきれた。ずっとそこでわたしが出るのを待ってたの?』
『時間をつぶす場所がないんだよっ、ディズニーランドじゃないんだぞ…』
『ハルくん。
わたしに愛想尽かしたなら、ここで帰ってもらってもいいのよ。
退屈なら、ここにいても仕方がないんじゃない?』
『いやだね』
『理由は』
『きみがあまりにも単独行動で突っ走るからだよ』
『だったら愛想を尽かすでしょう』
『言い方を変える。きみに怒ってるから、きみについてくんだ』
『意味わっかんない!』
『このままじゃあ気がすまないんだよ!』
『じゃあどうなったら気がすむのよ!!』
『きみがおれに謝ったら』
『あ~ら、あなただって、きょうの態度は、あんまり褒められたものじゃあないわよ?』
『……………』
『ほらね、なにも言い返せない』
『……無神経だって言うのか』
『そうよ。謝るのは、ハルくんのほうなのよ』
ーーそのまま、お互いにひとことも謝らないまま、商店街を歩き続けた。
ふと、わたしの心のなかに、どす黒い不安がよぎった。
このまま、
このまま、
このままハルくんと喧嘩して、
仲直りできないままだったら、
もう一生ずっと、
仲たがいしたままで、
終わってしまいそうだ。
予感じゃない。
ここで終わってしまうんだ。
終わってしまうに違いないんだ。
こんな険悪なムードのまま、
商店街を出てしまったら。
いやだ、
そんなのいやだ、
わたしは、そんなのいやだ!!
だって、わたしはハルくんがすきだから。
はじめて、本気ですきになった、男の子だから。
だから……、
だから、わたしは、勇気を振り絞った。
これまで、振り絞ることのできなかった、最大限の勇気を。
『……謝らなくたって、いいわよ。』
『……どうしてだよ。』
『……そのかわり、わたしをもっと見てよ』
『……なんで。』
『わたしのこともっと知ってよ』
『じゅうぶん知ってるよ!』
『いい加減にして!?
なんでわたしの気持ちに気づいてくれないのよ!?』
ハルくんの左腕を、両手でわしづかみにして、
無我夢中で、ほとんどわたしはハルくんに抱きつきかけていた。
ーーそこでわたしが踏みとどまることができたのは、
その瞬間、
眼の前に、
呆然として立ち尽くしている、
顔面蒼白のあすかちゃんがいることに気づいたからだった。