【愛の◯◯】どうしようもなくなっちゃった

アカ子さんから手紙が来た。

 

震える手で封筒を開けて、おそるおそる、その文面を読み始める。

 

はじめは、書かれていることが、上手くあたまに入ってこなかった。

極度の緊張で、あたまがほとんど真っ白になっていたのだ。

 

自分の部屋で、何度も何度も、アカ子さんの手紙を読み返した。

 

わたしは、時間を忘却して、アカ子さんの手紙に関する考えを重ねに重ねた。 

 

『恥ずかしいところを見られてしまったわね』

 

木曜日の、商店街のことだ。 

 

 

 

『取り乱してしまって、ごめんなさい。

 でも、なぜだかハルくんの前だと、わたし、取り乱してしまうことが多いの。

 

 あの日は、わたし、すっかり舞い上がってしまっていたんだわ。

 なぜかというと、商店街に足を踏み入れるのが、生まれて初めてだったから。

 冗談みたいよね。

 でも、冗談みたいな、本当のはなし。

 

 有頂天のようになってしまったわたしは、ハルくんとじょうずにコミュニケーションを噛み合わせることができなかった。

 古本屋さんやレコード屋さんの外にハルくんを置いてけぼりにしたり、自分のことしか考えていないような態度をとってしまった。

 だから、ハルくんは怒った。

 

 わたしもムキになって、アーケードの下を歩きながら、言い合いが始まった。

 

 言葉のボクシング。

 ノーガードの打ち合い。

 

 ーーけれどもわたしは、このままケンカしたまま商店街を出るのがこわかった。

 恐ろしかった。

 ケンカして、お互い押し黙って、顔も見ないまま商店街を出てしまったら、

 もう会えない気がして。

 

 大げさでしょう?

 だけど、あのときのわたしの感情は、そんな張りつめるような不安のせいで、膨(ふく)らみ過ぎていたの。

 

 それで、わたしはわたしによってわたしを爆発させてしまった。

 見境もなく、ハルくんの腕をつかんで、抱きつこうとするばかりに、ハルくんにすがりついて。

 

 スキンシップ。

 でも、正しくないスキンシップ。』

 

 そしてアカ子さんはハルさんとの「これまで」を回想しはじめる。

 

 

 

『去年の秋、あなたたちのお邸(やしき)で彼に初めて会ったときは、こんなに距離が縮まるなんて、思いもしなかった。

 

 最初は、すれ違いの連続だった。

 つっけんどんな接しかたをしたり……会えばかならず、彼に対して、何かしら反発をしていた感じだった。

 

 同じ磁石の極みたいに、相互に反発しあっていた。だけど、不思議なことに、同じ磁石の極なのに、反発を繰り返しながらも、なぜか引き合っているの。

 

 たしかに、こんなのは、物理学的にはありえない。

 わたし、理科って好きなの。文系だけど、物理や化学を勉強するのも好き。

 なにが言いたいかっていうと、世界を合理的に説明できたら、それに越したことはないと思っている。

 物理や化学ってそういう学問よね。

(数学もそうか。)

 

 でも、わたしのN極とハルくんのN極は、反発して遠ざかるどころか、距離を近づけているーー。

 

 数学でいえば、絶対に割り切れない割り算みたい。

 

 ねえ、あすかちゃん、物事は割り切れるほうがいいと思う? それとも、割り切れないことのほうに、魅力を感じたりする?

 

 わたしは多分、割っても割っても割り切れなかった、ハルくんとのなんやかんやを、それと知らずに、楽しんでいたの。

 

 それで、会えば会うほど、とある気持ちが盛り上がっていった。

 それは、異性に対する、甘ずっぱいような、ドキドキした期待の熱っぽい感覚のような、こころが震えていとおしくなるようなーー、

 そんな気持ち。』

 

アカ子さんとハルさんは、わたしの知らないところでスキンシップをしていた。

 

アカ子さんの邸(いえ)で、ハルさんのカバンの獲り合いになって、ほとんど、くんずほぐれつ状態だったこと。

 

ショッピングモールで、サイズ合わせで、ハルさんの上半身にシャツをあてたこと。

 

ピアノをハルさんの前で弾いたときの昂揚が尾を引いて、邸(やしき)を出ようとするハルさんの手を握って、引きとめようとしたこと。

 

 

 

アカ子さんは、そんなことがあったということを、正直にわたしに伝えていた。

 

 

 

 

 

 

ずるい!!

 

 

わたしにアカ子さんみたいな裁縫の腕があったら、ハルさんにカバンだって作ってあげられる!!

 

 

何枚も何十枚も背中の写真を撮ってるんだから、わたしだってハルさんのサイズぐらいわかる!!

 

 

でも、わたし、ピアノは弾くことができない……。

だから、ハルさんの手を握って、振り向かせることなんてーー、

夢のまた夢。

 

 

 

 

 

「どうしようも、

 なくなっちゃったなあ。」

 

とりあえず、自分の机で、自分にしか聞こえないひとりごとを言って、

返事の手紙を書き始めた。

なぐり書きの、

今まで書いたなかで最悪の文章だった。

 

 

近所の郵便ポストにそれを投函しに行った。

暑さで、郵便ポストの赤色が焼けついて、燃えあがっているようにも見えた。 

 

 

 

 

× × ×

 

 

夜。

お兄ちゃんがバイトから帰ってきている。 

 

 

♫コン、コン、コン♫

 

 

「あすかか?

 

 どうした? 浮かない顔だぞw

 

 …困りごとでもあるのか?

 

 なにか言わにゃーわからんだろうが。

 

 怒らないから、お兄さんに言ってみなさい。

 

 

 …なに、うつむいてんだよ。

 おまえこの前、『もっとお兄ちゃんの顔を見て話したい』とか、言ってなかったか!?

 

 

 ーー言ってみろよ、なんでも。

 家族だろっ。

 

 

 

 

 

 

 

 …!?

 

 

 

気がつくと、

わたしは、

お兄ちゃんの胸に、

顔をうずめていて。

 

泣きながら、

大声を出して、

涙が止まらなくて、

わたしの顔も、

お兄ちゃんのシャツも、

ぐしょぐしょになって。

 

 

 

 

………もう一度、言うよ。

 

 わたしーー、

 失恋しちゃった。