アカ子さんから手紙が来た。
震える手で封筒を開けて、おそるおそる、その文面を読み始める。
はじめは、書かれていることが、上手くあたまに入ってこなかった。
極度の緊張で、あたまがほとんど真っ白になっていたのだ。
自分の部屋で、何度も何度も、アカ子さんの手紙を読み返した。
わたしは、時間を忘却して、アカ子さんの手紙に関する考えを重ねに重ねた。
『恥ずかしいところを見られてしまったわね』
『取り乱してしまって、ごめんなさい。
でも、なぜだかハルくんの前だと、わたし、取り乱してしまうことが多いの。
あの日は、わたし、すっかり舞い上がってしまっていたんだわ。
なぜかというと、商店街に足を踏み入れるのが、生まれて初めてだったから。
冗談みたいよね。
でも、冗談みたいな、本当のはなし。
有頂天のようになってしまったわたしは、ハルくんとじょうずにコミュニケーションを噛み合わせることができなかった。
古本屋さんやレコード屋さんの外にハルくんを置いてけぼりにしたり、自分のことしか考えていないような態度をとってしまった。
だから、ハルくんは怒った。
わたしもムキになって、アーケードの下を歩きながら、言い合いが始まった。
言葉のボクシング。
ノーガードの打ち合い。
ーーけれどもわたしは、このままケンカしたまま商店街を出るのがこわかった。
恐ろしかった。
ケンカして、お互い押し黙って、顔も見ないまま商店街を出てしまったら、
もう会えない気がして。
大げさでしょう?
だけど、あのときのわたしの感情は、そんな張りつめるような不安のせいで、膨(ふく)らみ過ぎていたの。
それで、わたしはわたしによってわたしを爆発させてしまった。
見境もなく、ハルくんの腕をつかんで、抱きつこうとするばかりに、ハルくんにすがりついて。
スキンシップ。
でも、正しくないスキンシップ。』
そしてアカ子さんはハルさんとの「これまで」を回想しはじめる。
『去年の秋、あなたたちのお邸(やしき)で彼に初めて会ったときは、こんなに距離が縮まるなんて、思いもしなかった。
最初は、すれ違いの連続だった。
つっけんどんな接しかたをしたり……会えばかならず、彼に対して、何かしら反発をしていた感じだった。
同じ磁石の極みたいに、相互に反発しあっていた。だけど、不思議なことに、同じ磁石の極なのに、反発を繰り返しながらも、なぜか引き合っているの。
たしかに、こんなのは、物理学的にはありえない。
わたし、理科って好きなの。文系だけど、物理や化学を勉強するのも好き。
なにが言いたいかっていうと、世界を合理的に説明できたら、それに越したことはないと思っている。
物理や化学ってそういう学問よね。
(数学もそうか。)
でも、わたしのN極とハルくんのN極は、反発して遠ざかるどころか、距離を近づけているーー。
数学でいえば、絶対に割り切れない割り算みたい。
ねえ、あすかちゃん、物事は割り切れるほうがいいと思う? それとも、割り切れないことのほうに、魅力を感じたりする?
わたしは多分、割っても割っても割り切れなかった、ハルくんとのなんやかんやを、それと知らずに、楽しんでいたの。
それで、会えば会うほど、とある気持ちが盛り上がっていった。
それは、異性に対する、甘ずっぱいような、ドキドキした期待の熱っぽい感覚のような、こころが震えていとおしくなるようなーー、
そんな気持ち。』
アカ子さんとハルさんは、わたしの知らないところでスキンシップをしていた。
アカ子さんの邸(いえ)で、ハルさんのカバンの獲り合いになって、ほとんど、くんずほぐれつ状態だったこと。
ショッピングモールで、サイズ合わせで、ハルさんの上半身にシャツをあてたこと。
ピアノをハルさんの前で弾いたときの昂揚が尾を引いて、邸(やしき)を出ようとするハルさんの手を握って、引きとめようとしたこと。
アカ子さんは、そんなことがあったということを、正直にわたしに伝えていた。
ずるい!!
わたしにアカ子さんみたいな裁縫の腕があったら、ハルさんにカバンだって作ってあげられる!!
何枚も何十枚も背中の写真を撮ってるんだから、わたしだってハルさんのサイズぐらいわかる!!
でも、わたし、ピアノは弾くことができない……。
だから、ハルさんの手を握って、振り向かせることなんてーー、
夢のまた夢。
「どうしようも、
なくなっちゃったなあ。」
とりあえず、自分の机で、自分にしか聞こえないひとりごとを言って、
返事の手紙を書き始めた。
なぐり書きの、
今まで書いたなかで最悪の文章だった。
近所の郵便ポストにそれを投函しに行った。
暑さで、郵便ポストの赤色が焼けついて、燃えあがっているようにも見えた。
× × ×
夜。
お兄ちゃんがバイトから帰ってきている。
♫コン、コン、コン♫
「あすかか?
どうした? 浮かない顔だぞw
…困りごとでもあるのか?
なにか言わにゃーわからんだろうが。
怒らないから、お兄さんに言ってみなさい。
…なに、うつむいてんだよ。
おまえこの前、『もっとお兄ちゃんの顔を見て話したい』とか、言ってなかったか!?
ーー言ってみろよ、なんでも。
家族だろっ。
…!?」
気がつくと、
わたしは、
お兄ちゃんの胸に、
顔をうずめていて。
泣きながら、
大声を出して、
涙が止まらなくて、
わたしの顔も、
お兄ちゃんのシャツも、
ぐしょぐしょになって。
「………もう一度、言うよ。
わたしーー、
失恋しちゃった。」