羽田利比古くんと川又ほのかさんのカップルを邪魔するワケにはいかなかった。わたしが近付いていきたいのは、羽田利比古くんのお姉さんの羽田愛さんだった。羽田くんをそっとしておく代わりに、愛さんに対し積極的になりたい。だけど、肝心の愛さんがなかなか見当たらない。
もう夏祭りは始まっている。夜店の立ち並ぶ通りに愛さんは溶け込んでしまったのだろうか。夜店の通りの入り口付近でわたしは棒立ち状態。愛さんを見つけられずにチャンスを逃してしまったら、夏祭りに来た意味も……。
『猪熊さん、どーしたの?』
左斜め前方から声をかけられた。ひょこり、と現れたのは、戸部あすかさんだった。羽田利比古くんと同じ邸(いえ)に住んでいる1つ年上の女子(ひと)。そもそも、あの邸(いえ)はあすかさんの実家なのである。
あすかさんとは数回顔合わせの機会があった。顔合わせの詳細は都合により省略するとして、今日、あすかさんは浴衣を着ていない。短めの丈のデニムに、薄茶色のTシャツ。Tシャツには『フジファブリック』となぐり書きのような文字が大きく書かれている。確か、ロックバンドの名前。
「もしかして、おねーさんを探してた?」
訊かれたんだけど、
「『おねーさん』……って?」
「あーっゴメンゴメン。愛さんのコトだよ」
そうだった。あすかさんは愛さんを実の姉のように慕っているんだった。
わたしは軽くうなずきつつ、
「はい、探してたんです。でも、遠くの方に行ってしまったみたいで」
夜店通りの方角をくるり、と見たあすかさんは、
「おねーさんは、こういうイベントだと、すぐどっかに行っちゃうんだよ。勝手だよね」
と言って苦笑い。
それから、
「わたしは、そんな点も、おねーさんの魅力の1つだと思ってるけど」
と言ったかと思うと、わたしに向かい距離をかなり詰めてきて、
「ねえねえ。『猪熊さん』じゃなくってさ。『亜弥ちゃん』って呼んで良いかな」
断る理由が無かったので、
「構いませんよ」
と言ってあげる。
「やった」
あすかさんは喜んで、
「亜弥ちゃん。わたしたちも、そろそろ、歩き始めてみようよ」
× × ×
「ソフトクリーム売ってる屋台があるなんてカルチャーショック的だったよ」
そう言いつつ、あすかさんはソフトクリームを味わう。
わたしの方はブルーハワイのかき氷を購入して、ストロー兼スプーンでさくさくと砕いている。
「ブルーハワイ好きなの?」
石造りのベンチで右横に座るあすかさんに訊かれた。
「好きです。ブルーハワイにするかどうかは、気分によって……ですけど」
「ブルーハワイ、わたし的には、好きなかき氷フレーバーランキングだと4位」
そう言ってから、あすかさんはソフトクリームのコーンにかじりつき始めた。
「4位というコトは、ブルーハワイ以上に好きなのが3つあるんですよね? ベスト3の内訳は――」
「ん〜」
一瞬だけ考えたかと思うと彼女は、
「ベスト3を知りたいなら、わたしの話に耳を傾けてほしいんだよね〜☆」
あすかさんの、話?
いつの間にか、あすかさんの手から、ソフトクリームが消えて無くなっている。
「話ってゆーのはぁ」
両手を石造りベンチに突いて、身をやや後ろに反らせながら、
「利比古くんへの不満」
と、あすかさんは。
× × ×
同居しているから、改善してほしい側面が見えてくる。それは、わたしがいまだかつて見たコトの無かった側面。知らなかった側面。
わたしの知らなかった羽田くんをあすかさんは知っている。そんな事実に直面して、浴衣が覆っている自分の脚に向かってうつむいてしまう。高校時代に、彼に対しもっと積極的であった方が良かった。高校時代は、突っぱねてしまったり、強い態度を取るコトが多過ぎた。彼と上手く折り合えなかったというコト。折り合えなかったから、彼の多くの側面を見出すコトができなかった。
後悔をやめたいと思っても無理だ。襲ってきた後悔が既にかなり食い込んできている。
「どしたの、亜弥ちゃーん? わたしの利比古くんに対する愚痴のオンパレードに気を悪くしちゃったー?」
かなり強めに首を振り、
「そういうのじゃないです。気を悪くしてるワケでは」
「じゃあ、なんでユーウツそうなお顔なの」
「……」
辛(つら)さの度合いが上昇して、押し黙る。
お祭りごとには相応しくない感情が、乱れながらわたしの内部でグルグルと回っている。
傍らにブルーハワイかき氷のカップを置いていた。残ったかき氷が溶けて、青い液体になっていた。
「亜弥ちゃんってさぁ」
明るく元気な声にビクッとなるわたしに、
「スタイル、いいよねぇ」
え、え、えっ!?
スタイル!?
条件反射的に顔を上げ、
「わたしの、カラダが……そんなに、良いって思ってるんですか?」
「きっと身長163センチぐらいでしょ?」
ピタリ賞。
でも、
「……それがなにか」
「羨ましい体型なんだよね」
そんなコト無いです……と思いながら、わたしは、あすかさんのTシャツに大きく書かれた『フジファブリック』という文字を見ていた。
でも、Tシャツの『フジファブリック』を見続けるのは、同性の目線であるにしても失礼だと思ってしまって、眼を逸らした。
わたしがあすかさんの『フジファブリック』から眼を離した理由は想像にお任せするんだが、そんな◯◯は完全に余計な◯◯だし、
「自分の体型をホメられたのは、初めてです」
と夜空を見上げながら言っておく。
「ホントぉ??」
団扇(うちわ)をパタパタさせる音と共に彼女の声が耳に届く。
「ホントですから。」
ギザギザした口調になってしまった。わたしは何をやっているんだろう。
わたしはしばらく夜空を見つめていた。あすかさんはその間に焼きトウモロコシを食べ切っていた。
「真夏のピークがどう、とか言うけどさ」
あすかさんがいきなり声を発した。
「わたしも亜弥ちゃんも大学生。大学生の夏休みはあと1か月もあるワケだ。わたしたちの夏は、まだまだ終わらないという事実。夏が終わらない喜び」
いったいこの発言の意図はなんなのだろう。視線を少しあすかさんに寄せてしまう。
「夏休み、まだタップリあるんだから――」
彼女が、
「亜弥ちゃん、もし良かったら、利比古くんと――」
言い終わらない内に、反射的に、
「それはお断りしますっ」
と答えてしまっていた。
『利比古くん』というコトバが耳に響いた途端に、本能的に、「断る」という意思が立ち現れた。だから、わたしはあすかさんに対して突っぱねてしまった。
気まずい沈黙が10秒間ぐらい。
「……もうすぐ、花火だ。あっという間だな」
あすかさんが言った。腕時計を見たら、確かにそんな時刻だった。
「花火が揚がる前に、わたしは……謝るべきで」
彼女の口調は穏やかだったけど、突っぱねた反動で、わたしの胸にはどくどく、という響きが残っていた。
「亜弥ちゃんのデリケートな部分に触れて、ゴメンナサイ。軽はずみで、幼くて、ゴメンナサイでした。ダメな子だね、わたしって」
『卑下しないでください』
そんなコトバが、言えない。
胸の下あたりを左手で押さえて、ひたすらにあすかさんの顔を見られないだけ。