猪熊亜弥ちゃんと夏祭りを楽しめた。ギクシャクしちゃったりもしたんだけどね。でも、そんなに深刻なギクシャクじゃなかったから大丈夫だった。交友の輪を広げられて何よりだ。亜弥ちゃんと一緒に見上げた花火が、今も胸の中に残っている。
今度は亜弥ちゃんといつ遊べるかな……と思いつつ、夏祭りの日に撮った写真をスマートフォンで見返している。
× × ×
喉が渇いた。階段を下りた。ダイニング・キッチンに直行。冷蔵庫からスプライトを取り出し、飲みながら歩き、大きなリビングに足を踏み入れていく。
利比古くんが居た。
巨大液晶テレビの傍らのソファでタブレット端末を持っている。わたしが近付くたびに彼の表情がクッキリとなる。誰もが認めるハンサムフェイスだけど、少し硬い表情に見えて気になった。
わたしもソファに着座した。左斜め前が利比古くんのソファだ。
「お〜〜い」
とりあえず声を掛けてみる。
「あすかさんですか。ヒマそうですね」
非常にそっけない反応だった。投げやりな喋り方にも思えてしまう。
わたしに眼を向けてくれていない。ひたすらタブレット端末を見ている。十中八九ウィキペディアを閲覧していると思われる。
彼がなんだかイラつき状態になっているような気もして、それが引っ掛かる。いつもと比べてムスーッとしている感じだ。ウィキペディア閲覧で、ストレス解消? そんなストレス解消法が存在するんだろうか。
思えば、夏祭りの翌日である昨日の日曜日も、彼がいつもより無口な気がしていた。日曜から異変の兆候があって、今日の月曜になって異変が顕在化している感じか。
……いや。
異変のキッカケになる出来事は、日曜に起こったワケじゃない。たぶん、土曜日だ。夏祭り当日だ。夏祭り当日で、なにか、彼にとって不都合な◯◯があったんだ。
そして、その◯◯の中に何が入るのかを、わたしは比較的容易に察知できてしまう。
「利比古くん? そんなコワい顔でタブレット見るものでもないよ?」
眼を離して、端末を両脚の上に置いた彼。わたしの話を聴いてくれそうだ。
「夏祭りの日に何かあったんでしょ」
訊くけど、彼は沈黙。
「当ててあげようか?」
彼と眼を合わせながら、
「ほのかちゃんとすれ違った」
と自分の推理を言う。
彼が、右横のソファに端末を雑に置いた。ピリピリした空気が彼にまとい付き始めた。
川又ほのかちゃん。利比古くんのガールフレンド。お祭り当日、利比古くんとほのかちゃんの邪魔をしないようにみんなで努めた。ふたりきりにさせてあげたかった。実際、彼と彼女はふたりきりで行動していたはずだ。
だけど、たぶん、ふたりの夏祭りデートは、どちらかと言えば、うまくいかなかったんだ。利比古くんの現在のイラつきぶりを見れば分かる。「すれ違った」とわたしは指摘した。指摘された途端にピリピリとした感情を隠せなくなった彼。そのピリピリをそっとしておくよりも、掘り下げていきたい好奇心の方が勝るわたし。
「失言でもしちゃったの。ほのかちゃんに」
答えあぐねる彼だったが、やがて、軽く息を吸ってから、
「不用意なひとことを言ってしまったとか、そういうワケではないんです。ただ、会話の流れの中で、次第に気まずくなって……」
「もっと詳しく。」
わたしは彼の眼を見続けていた。
約30秒間、彼は押し黙った。そのあと、意を決し始めた。
× × ×
「――よく分かったよ。話してくれてありがとう」
そうやって利比古くんをホメつつも、
「率直にコメントすると、学習が足りないよね……って思っちゃう」
「学習?」
「そ。もっと学習しようよ。するべきだよ。そうしないと、これからもずーっと、ほのかちゃんとすれ違っちゃうよ?」
利比古くんの口元が苦くなり、
「『学習しよう』と言われたって、目的語が無いと、いったいどうしたら良いのか分かりません」
「『何を』学習するのか考えるのは、利比古くんの仕事だよ」
「そんな……」
困った感情が声に込められているのが伝わった。
彼は困り始めているけど、わたしはもう少し「お説教」という名のコトバを重ねたい。
「自分で考えるんだよ、よりを戻す方法を。次にほのかちゃんと会った時、殺伐ムードになりたくないでしょ?」
そう言ったあと、少しコトバを溜めてから、
「わたし、前の彼氏とつきあってた時、別れ際(ぎわ)にとっても苦くて痛い思いをしちゃったから。あなたたちには苦くて痛い思いをしてほしくないの。最悪の事態になるのは見たくない。第三者のわたしまで心苦しくなる」
だから、
「あなたとほのかちゃんには……末永く、彼氏彼女で居てほしいんだよ。今なら、すれ違った結果の傷の手当ても、全然間に合うでしょ」
ほのかちゃんの彼氏は、巨大液晶テレビ画面の方に顔を背けた。
素直じゃない。もっとキツく言って、分からせるべき。……顔を背けたのを見た時、まず、そう思った。
でも、彼の横顔を見て、ためらった。
彼の横顔が、とっても哀しそうに見えたからだ。
ドッキリとした。こんな哀しそうな横顔、産まれて初めて見たから。
わたしが、言い過ぎた……!? 良心の痛みを自覚してしまう自分がいる。良心の痛みを和らげられない。利比古くんだけでなく、わたしまで哀しくなっていきそう。マズい事態になってしまったのを痛く自覚する自分がいた。謝りのコトバも労(いたわ)りのコトバも浮かんでこない。
利比古くんとの関わりにおいて、わたしは、間違えた。
ラチがあかないから、利比古くんの哀しげな横顔に視線を当て続けるだけ。それ以外、何もできない。
「……あすかさん。」
そう言って、彼は、テレビリモコンに手を伸ばす。
「テレビ、見ませんか。無理強いは、しませんけど」
泣きそうな色を帯びた声だった。
ホントに泣かせてしまったら、わたしと彼とのあいだに亀裂が走る。
胃がひたすらに痛くなってきていた。