あすかの試験日がマジで近づいている。
きょうも、部活動をしてから、邸(いえ)に帰ってきたみたいだが……。
余裕だな。
自己推薦入試という形態とはいえ。
推薦入試は推薦入試で、それに見合った対策をせねばならんのだと思うが。
あすかはいたって元気だ。
愛の作った夕飯を、とっても美味そうにパクパク食べていた。
受験期特有の悩みとかは、なさそうに見える。
それでも、『様子を見たい』という気持ちを抑えられないおれは、夕飯後しばらくしてから、あすかの部屋の前にやってきた。
軽くノックして、
「入る」
と言う。
「いいよな? ドア、開けても」
そしたらすぐに、
『いいよ。どうぞどうぞ』
という返事が来た。
× × ×
椅子に座り、地べたのおれを見下ろす妹。
「――お兄ちゃん、なんで夕飯のおかずがサバの塩焼きで、ガッカリしてたの?」
しょっぱなに言うことばがそれかよ。
「いや……焼き魚が嫌いなわけじゃないんだけど……てっきり肉料理が出てくると思ってたから」
「いいじゃん。青魚だって、栄養満点なんだし」
「たしかに、サバの塩焼きを見たときは、ガッカリしてしまった。だけど、ちゃんと食ったし。『美味かった。食う前に、ガッカリした顔を見せちまって、悪かったな』って、ちゃんと愛にも言ったし」
「帳尻を合わせたわけね」
「合わせるさ」
「おねーさん想いだ」
「……べつに?」
「アハハ」
「……激しくどうでもいい会話してるな、おれたち」
「サバの塩焼きに振り回されてるねぇ」
あすかの背後の勉強机には、ノートPC。
「――さてはおまえ、帰ってきてからも、校内スポーツ新聞の記事を書いてたな?」
即座に「うん」と言うあすか。
「クライマックスシリーズとか、書くことが多いんだよ。じぶんの学校の運動部にしても、2年生の子がどんどん活躍し始めてるし――」
「置かれてる立場とか、お構いなしモードだな」
「推薦入試のこと?」
「ああ」
「そっちも、順調だけど」
「『順調だけど』じゃ、わからん」
「――お兄ちゃん、わたしの顔、見てよ」
「……見てるが」
「もっとよく眺めて。――顔色が悪くなんか、ぜんぜんないでしょ?」
「……まあ、不安を抱いているようには、見えない」
「不安なんかない。前向き。自信ある。面接練習で、じょうずに受け答えられるようにもなったし」
「気にすることは……ないか? ほんとに」
「なんか、心配症だね、お兄ちゃん。お兄ちゃんが受験するわけでもないのに」
「思い出すんだよ」
「なにを?」
「高校受験のとき……おまえ、ナーバスになったことがあっただろ」
「え~~、そ~んな昔のこと、いまさら思い出してるの~~!?」
「けっこうおまえヤバかっただろーが。おれが元気づけたら、泣きそうになってた」
3年前の、あすかの高校受験期。
様子が変だったから、頭をナデナデしてやった……ということがあった。
「昔話、持ち出したけど。……甘えたくなったら、甘えりゃいいんだし。相談ごとがあったら、いつでも窓口になってやるし」
「3年前ほどヤワじゃないよ。わたし」
「わかってる。おまえはおまえなりに成長してるって。でも……」
トントン、とドアが叩かれた。
「愛だな、ノックしたのは。たぶん」
「お兄ちゃん、ドア、開けてあげて」
× × ×
「おねーさん。兄が、弱りきってるんです。どーにかならないでしょうか」
「弱りきってるわけじゃない。大げさだ、あすか」
「ほんとーに、おーげさ??」
「あすかっ!」
「あすかちゃんの入試が気になるのね」
「気にならないほうが変だろ」
「アツマくんが心配症になってどうするのよ」
「……」
「もっと、どーんと構えてあげなさいよ。なんだか縮こまってるみたいよ、いまのアツマくん」
「……お説教みたいに言いやがって」
あすかが、椅子を離れ、おれと真向かいに、床に着座する。
「元気だしてよ、お兄ちゃん。おねーさんだって、お説教もしたくなるよ」
愛は、おれたち兄妹の向かい合いを、横から眺めて、
「あすかちゃん、アツマくんの頭を、ナデナデしてあげたら?」
「あー、名案ですね。さすが、おねーさんだ」
……なに言いやがる。
「高校受験のときのお返しだよ、お兄ちゃん」
「……いまになって、かよ」
「わたしがナデナデしたら、お兄ちゃん、泣いちゃうかな?」
「泣かん。泣くわけがない」
「わたしは……泣いたよ」
「あすか……!」
「あれから、お兄ちゃんに泣かされたことって、ないよね」
「……」
「もちろん、いい意味で、泣かされた。あのときのお兄ちゃんは、カッコよかったと思う」
「……マジか」
「基本的に、ろくでもない兄なんだけど、稀(まれ)に、ろくでもないの反対になってくれる」
「……ホメるのか、バカにするのか、どっちかひとつにしろよ」
「わたしはずるいから、ホメると同時にバカにして、バカにすると同時にホメるの」
「――けっ。」
あすかの、明るい笑顔。
「で、お兄ちゃんは、けっきょく、ナデナデされたいの? されたくないの?」
「どっちだっていい」
「どっちつかず兄貴だ」
「るせーよ」
居住まいを正して――おれは。
「ナデナデするのは、勝手だが。」
「?」
「――おまえがめでたく合格した暁には、」
「――うん、」
「いまの笑顔よりも、もっと明るい……最高の笑顔を、兄貴のおれに、見せてほしいと思ってる」
「最高の……笑顔、か」
「心待ちにしてるぞ、あすか」