成人式をサボタージュして、リビングで暇を潰(つぶ)していたら、あすかさんが現れてきて、
「成人式、行かなかったんだね」
ぼくは、
「ハイ。サボってしまいました」
と、頷(うなず)く。
「懸命な判断だと思うよ。成人式なんてどーせつまんないし。わたしも去年、出なかった」
「そういえば、そうでしたね」
「出なくたって何の支障もないんだけど――出ない代わりに、何か有意義なコト、してみたいよね」
「有意義なコト? このリビングで、あすかさんと?」
「うん」
即答してから、ぼくの座るソファの背後にぐんぐん近付き、
「とりあえず、利比古(としひこ)くんは、そのスマホの電源を切って――」
「エッ、切らなきゃいけないんですか!?」
「いけないんだよ」
「どうして」
「『のむ』から」
「『のむ』……??」
「鈍いな~~。利比古くん、とっくにハタチなのに」
× × ×
双方ソファ座(ずわ)りで、あすかさんと向かい合う形。
互いを隔てているのは、長いテーブル。その上には、ビール缶などが何本も。
つまり、『のむ』とは、お酒を『呑(の)む』ということだったのだ。
「許されるんでしょうか、こんな時間帯からアルコール摂取だなんて。しかも、成人式出席の代わりに、酒盛(さかも)りみたいなコトをするなんて……」
「真面目過ぎるよぉ~~、としひこく~~ん」
「あ、あすかさんっ!!」
「なあに☆」
余裕を持ってソファに背中をくっつけている1つ年上の彼女は、前のめりになってしまったぼくに、
「罪悪感とか持つ方が、むしろ罪だよー? 大学生時代だけの『特権』じゃん」
と言い、
「無理強(むりじ)いはしないけどさ、呑んだ方が、絶対楽しいと思うよっ☆」
と言ってから、銀色の缶の某ドライビールをゴクゴク呑んでいく……。
前のめりを正(ただ)し、気を落ち着かせるぼく。
『あまり彼女ばかりに呑ませ続けると、彼女の呂律(ろれつ)が回らなくなるような事態になってしまうかもしれない』
こう考えた。
主(おも)に義務感から、某プレミアムなモルツの缶を手に取り、開栓して口に持っていく。
ビールの醍醐味など、まだ分かるはずも無い。プレミアムという商品名のどこがプレミアムなのか、その違いも分かるはずも無い。
ただ1つ言えるのは、
『ぼくの姉はビールを飲んだらいけないけど、ぼくはビールを飲むことができる』
ということだ。
どういうことかと言うと、ぼくの姉は炭酸というモノに耐性が全く無く、コカ・コーラを一口(ひとくち)飲むだけでも、酩酊(めいてい)し、ロクでも無い状態になってしまうのである。
一方で、ぼくには炭酸への耐性がちゃんと有る。したがって、炭酸が入ったお酒を飲んでも瞬時に暴走したりするコトは無い。ビールだって勿論(もちろん)NGではないのである。
× × ×
あんまり飲み過ぎないようにしよう……と飲酒のペースを落とすぼくに、
「『おつまみ』が無くなってきた。利比古くん、柿の種とかポテチとか、ダイニング・キッチンから持ってきてくれない?」
とあすかさんが要求。
ダイニング・キッチンには柿の種もポテトチップスも無限と言っていいほどあるけれど……自分で取りに行くという発想が彼女にはこれっぽっちも無いみたいだ。
不満を込めて、
「ぼくを使いっ走(ぱし)りにするつもりですか」
「うん!」
力強く頷かれてしまったので、思わず、
「ひ、ヒドいです、あすかさん」
と言ってしまうが、
「ヒドくない。年上の頼みなんだよ。素直に受け容(い)れてよ」
素直になれるはずも無い。
だけど、ここで『あなたの使いっ走りになるつもりなんか、ありません!!』みたいに突っぱねてしまったら、非常に面倒くさい事態になってしまうのは、目に見えていた。
だから、諦めて、ぼくは立ち上がった。
立ち上がった時のコトだった。
柑橘系の香りが、ぼくの鼻孔(びこう)をくすぐった。
テーブル上にレモンサワーの類(たぐい)は置かれていない。柑橘系のフルーツなども置かれていない。
この香りは、あすかさんの方から漂ってくる香り。あすかさんから、漂ってくる香り。
とてもフルーティーかつ爽やかな香りだった。
彼女の使っているシャンプーに起因するモノなのかは、分からない。シャンプーに起因すると決めつけることはできない。
出所(でところ)を探るつもりなんて無い。
無いけれども、ぼくは立ち止まってしまった。ダイニング・キッチンに向かわず、あすかさんの真向かいで、あすかさんに視線を伸ばしてしまう。
彼女の柑橘系の香りに起因する行動だった。
いかにも怪訝(けげん)そうな彼女が真向かいのソファに座っている。そんな彼女に視線を伸ばしつつ、ぼくは気付く。
あすかさんの『オトナぶり』が増している。
柑橘系の香りを発端(ほったん)として、全体的にシットリとした感触を実感し始めていく。彼女の髪。彼女の肌。21歳という実年齢よりもオトナびた艷(つや)やかさ、と言っても良いのかもしれない。潤いがある。とてもナチュラルな潤いがある。肩に触れるぐらいの長さの黒髪が軽くウエーブしているのが、アクセントになって、彼女のオトナびた艷やかさを増幅させる。
「どうしたの……。としひこくん……」
彼女の戸惑いを敢えて聞き流し、彼女の眼にぼくの眼を注ぐ。
彼女の眼を目がけてまっすぐに視線を伸ばしたのは、その眼こそが、オトナびた艷やかさを形作る重要な要素だと思ったから。
――少し予想外なコトが起こった。
あすかさんも、ソファから立ち上がったのだ。
本来、立ち上がる必要なんて無い。でも、彼女は立ち上がった。
ぼくが、眼に眼を合わせたから、だろうか?
21歳の彼女の戸惑いは持続する。身長155センチの彼女の戸惑いは持続する。
ぼくよりも13センチ低い彼女が、戸惑いながらも、ぼくの顔を見つめてくる。
自らの利き腕の右手を中途半端に握りながら、見つめてくる。