スタジオの方では2年生トリオがきちんと活動をやっている。鈴木卯月(すずき うづき)ちゃんの指導による発声練習が終わったところだ。2年の途中で入部したトーコちゃん&ユーガちゃんコンビと卯月ちゃんが机を挟んで向かい合いで座り、今後の方針の話し合いを始めている。
その光景をガラス越しに眺めながら、
「安泰ね。そう思うでしょう? 素子(もとこ)だって」
と、この前まで部長だった尾石素子(おいし もとこ)にわたしは言う。
「2年生に関しては、安泰よね」
そう返す素子。
『2年生に関しては』と限定したのがポイントなのである。
「あたしたち3年生は引退した身だし、放送部の活動には繋がってこないコトなんだけど」
素子はそう前置きしてから、
「あたしたちの進路は、不確定で」
素子の言う通りなのだ。
わたしも素子も大学進学志望。誰がどう考えても現在(いま)は受験シーズン。だけど懸案事項がある。わたしも素子も志望校に合格できるかギリギリのラインなのだ。不確定とはそういうコト。
E判定ではない。Eだったら志望校を変えている。多くの場合C判定で、時たまD判定になってしまう。模試の結果が返ってきた日の放課後には必ず不安が過(よ)ぎっていた。
けれども、受けなければ、受からない。体当たりで入試会場に向かっていくしかない。
そう。受けなければ、受からない。
だけど……。
「あのね、素子」
パイプ椅子座りのわたしは少し前のめりになって、
「小麦ちゃん、なんだけど。あの子、もしかしたら受験をボイコットしちゃうんじゃないのかしら?」
長椅子に座る素子の顔に真剣さが増す。
「自習室に通ってた時期もあったみたいだけど……始業式の月曜日から3日連続で、小麦ちゃん、放課後になると同時に猛ダッシュで下校しちゃってるそうよ。複数の子から情報提供があって」
わたしがそう言うと、素子は頷き、
「あたしにも情報が来てる」
やっぱり。やっぱりなのね。小麦ちゃんが不穏な状態であるコト、だいぶ拡散しちゃっているわ……。
わたしと素子の両方が見られる位置に座っていた顧問の小泉先生が、
「放課後になると、本当にすぐに校舎から消えてしまうみたいで。顧問として声を掛けてあげるべきだと思ってるのに、見つけることもできないから、どうにもならなくて」
素子が、小泉先生に、
「先生は3年のクラス担任でもないし、小麦が理系クラスだから授業をする機会もありませんしね……」
「そうなんだよねえ」
そう言って先生は手を揉みながら溜め息をつく。
その後で、
「尾石さんや福良(ふくら)さんの耳にも届いてるだろうけど……。巻林(まきばやし)くん、いるでしょ? 小麦さんのクラスメイトの男子。巻林くんと小麦さん、結構おしゃべりする間柄だったのに、互いにずーっと口を利いてないって。わたし、小耳に挟んじゃったんだ。わたしは生徒じゃなくて教員だから、小耳に挟んじゃったとしても、挟んだままにした方がベターかもしれないんだけどさ……」
先生はいったんコトバを切ってから、
「去年の11月なんだけど……目撃しちゃったんだ、わたし。小麦さんと巻林くんが、すごい口論になってる場面を。窓越しに見下ろしただけだから、口論の中身までは分からなかったんだけども」
× × ×
小泉先生からの貴重な情報提供だった。
小麦ちゃんと巻林くんが、口喧嘩……。しかも、ただの口喧嘩というレベルを超えていたみたいで。
『マッキー』というニックネームが定着している巻林くん。小麦ちゃんも勿論(もちろん)『マッキー』と呼んでいたし、『マッキー』と呼ぶ女子の中でも特に彼と距離の近い存在だった。
小泉先生が報告してくださった「事件」が、彼女と彼の「冷戦状態」の引き金だったのだ。疑う余地も存在しない。
2年生トリオよりも先に放送部室を出て、今は17時過ぎ。暗くなっていく空の下(もと)で、校舎の外を歩きながら、いろいろな問題のある小麦ちゃんをどう助けたら良(い)いのか、考えをめぐらせていた。
部室棟付近まで来た時、15メートルほど先から見知った男子生徒が歩いてきているのに気が付いた。
国見八潮(くにみ やしお)は、わたしの数メートル前で立ち止まり、
「偶然じゃないようなタイミングで出くわすよな、おまえとは」
わたしは、小麦ちゃんのことを考えるのをいったん打ち切り、
「わたしも同じことを思ったわ」
と返す。
数メートルの間隔を保ち、立ち止まり続け、見つめ合った。
× × ×
小麦ちゃんに関する相談をしても良いと思っていたけど、
「万都(まつ)は、マ◯ドナルドなんて行かないキャラだと思ってたよ」
という国見の発言で、気が変わる。
某所の某マ◯ドナルド。学校帰りの中高生や仕事帰りの社会人、いろんな人間でごった返している。喧騒(けんそう)に包まれているから、大事なコトを話すのにはむしろ都合が良い。
もっとも、国見の『マックなんて行かないと思ってた』発言は、大事なコトなどには全く繋がって来ない。
とりあえず、わたしは、
「何よ、それ」
と微笑みを持続させつつコメントして、それから、
「18年間の人生で1回も来たこと無いだとか思ってたワケ? 失礼しちゃうわね」
と、からかうキモチを含ませつつ言う。
ダブルチーズバーガーの包み紙を両手で掴み、ゆっくりと口に持っていき、食べる。
「おれたち男子には……なかなか真似できないな、ハンバーガー食う時の、そういう仕草は」
残り半分以下になったダブルチーズバーガーをトレーに置き、
「そういうモノ? 普通に食べてるだけなんだけど」
「それが女子の『普通』なんか」
「性別とか関係あるのかしら」
「ぬ……」
わたしのツッコミに国見は簡単に打ち負かされる。
目線は下降。カラダがカタくなっていっているのは明白。ビッグマックもポテトもナゲットも全然減っていない。
× × ×
ビッグマックとポテトとナゲットが国見のトレーから消えたのは15分後だった。学校のコトとか進路のコトとか一切関係の無い世間話をわたしは国見に喋り続け、国見はわたしに弱々しい相づちを打つばかりだった。
「――あと何分ぐらい、ここに居る?」
テーブルの端に両手のひらを軽く置き、国見に訊く。
「……」
と、俯き度合いを強めて、弱く押し黙る、クラスメイトの男子。
ちょっとウンザリしてきちゃった。
イライラはしないけど、ウンザリはしちゃう。
「答えなさいよ。柔道部で現役だった時は、自分より強い相手でも、本気で向かっていかなかったコトは無かったでしょう?」
そう急かしてみる。
わたしが答えてほしいのは、退店するまでの残り時間。
……なのに。
どういうわけか、
「……なあ、万都。卒業しちまったら、こういうシチュエーションも、二度と無くなっちまうワケなんだよな」
「え、えっ。……何を言い出すの、いきなり」
意表を突かれた。ビックリした。胸の奥がゾワリ、とした。
「さみしいんだよ」
国見は、言った。
ぶっきらぼうに言ったけど、嘘偽りのキモチなど少しも存在しない響きだった。
国見の『さみしいんだよ』が、強く深く、わたしのココロの中心に食い込む。
――国見は、もう一切、俯きそうになかった。