午前11時台。『漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋。漫画を読んでいる僕の右斜め前には1年女子の敦賀由貴子(つるが ゆきこ)さん、真正面には同じく1年女子の小松まなみさん。
真正面の小松さんから視線を注がれているのになんとなく気が付いた僕は、漫画単行本をいったん閉じて目線を上げる。
そしたら、
「脇本(わきもと)センパイ。年はじめということで、あたし、去年のソフトボールの記録を確かめてたんですけど」
と小松さん。
「ソフトボールの記録? 個人成績のコトとか?」
「そうですね」
そう言って彼女は僕に頷く。
そして、
「脇本センパイって、この成績で、よく生き残れましたよね」
という、とんでもない表現で、ソフトボールにおける僕の低迷ぶりを指摘してくる……!
「あ、あ、あのさ、小松さん?? このサークル、戦力外通告とかいう概念は、無いからね?? わかるよね!? 球団じゃないんだから、大学のサークルなんだから」
僕の懸命のツッコミの甲斐も無く、余裕の中の余裕で、真正面の彼女は、
「ですねー。名門な大学の野球部なんかだったら、戦力外通告あるのかもしれないですけどねー」
と言ってから、
「にしても、打率はせめて、四捨五入して2割の値(あたい)にまで持って行かないと……」
と、若干ニヤけつつ、個人成績の中でもとりわけ悲惨な部分に言及してくる……!!
× × ×
僕、卒業間際の4年生なんだよ?
卒業間際の4年生のソフトボール個人成績をあれこれ言ったって、しょうがないでしょ。
死人に鞭(ムチ)打ちみたいなコトでもやりたいのかな……。
肩を落とした状態で、漫画読みを再開する。
しかしながら、再開した途端に、右斜め前から、小松さんと『1年女子ツートップ』を成している敦賀由貴子さんが、
「脇本センパイ、ハッキリ言って『ミーハー』ですよね?」
「へ!? な、なにをもって、『ミーハー』認定を」
「漫画の趣味が無難過ぎると思って」
「ぶ、無難かもしれない、けども、す、『過ぎる』ってコトは、無いんじゃないかな!?」
敦賀さんは、テンパりまくる僕に前のめり気味になって、僕の読んでいた漫画単行本を覗き込むがごとく、
「こんなにミーハーで、よく生き残れましたよね」
と、小松さんと全く同じ表現を使用し……!!
「い……生き残れるとか生き残れないとか、全然意味が分かんないな。漫画の趣味が無難過ぎるとかいう理由で、サークルを追放されるとか、ありえないでしょ。ありえないよね?? ……うん、ありえない」
「混乱してますね~~!」
「す、す、するよっっ!! 『なんじゃらほい』状態なんだからさっ!!」
敦賀さんは大笑い。僕の尊厳がすり減りまくっていく。
3学年下の無慈悲な女子たる敦賀さんは、
「センパイが今読んでる漫画の作品名を言うのは、いろんな意味でリスクが大き過ぎるので、ガマンしますけど♫」
という発言を炸裂させる……!!
× × ×
ヒドい目にあった。
卒業式の時も、小松さん&敦賀さんからは、こんな感じで送り出されてしまうのだろうか……。
学生会館を脱出した僕は、絶望に近い気分で、文学部キャンパス構内を歩行していた。
カフェテリアで昼食をとりたかったのだ。文キャンのカフェテリアのランチメニューはクオリティが高い。そのクオリティの高さで絶望を紛(まぎ)らす。
カフェテリア直結の階段を上がろうとする。
そしたらば、向こう側から、階段を下りてくる女子がいて、彼女は僕がよく知っている女子の1人で……。
× × ×
「愛が階段を下りてきた方が嬉しかったんじゃないの」
サークル同期女子の大井町侑(おおいまち ゆう)さんが、微笑(わら)いながらそう言ってきた。
「ま、まさか。羽田さんと大井町さんを分け隔てたりなんか……!」
「ふうーん」
カフェテリアに辿り着けない可能性が急上昇している僕に対し、大井町さんはまさに余裕アリアリな笑みで、
「そうよねえ。脇本くんは善良な男の子だから」
と、いったいどこまで本気でホメているのか分からないコトを言って、それから、
「善良な男の子である事実は揺るぎないんだけど――『不安要素』があるでしょう? あなたには。わたしはあなたの『不安要素』を気にしてるのよ」
え。
なにかな、それ。
「進路が不確定だから、『不安要素』になる。図書館司書を目指して資格の勉強をしていくのよね? 勉強し続ける意思があるのはもちろん立派だわ。でも、大学(ここ)を卒業しても就職先が無いワケなんだから、不安定」
そこか。そこを突いてきたか。
進路の矢印は早めに向けていた。比較的早い段階で図書館司書を目標に定めていたから、一般企業の入社試験を受けたりはしなかった。司書資格は、通信教育で取得を目指す。現在(いま)は助走の段階だ。卒業後の通信教育の受講に向けて、図書館学関係の書籍を読んだりしている。早めのインプットを心がけることで、スムーズに資格を得るのを目指す。
ただ、大井町さんが言った通り、大学(ここ)を卒業しても何者かになるワケではない。社会に出るワケではない。「資格取得のための浪人」……あまり良くない響きだ。確かに、不安定だ。
僕なんかの将来を気にしてくれて嬉しいキモチ。その裏で、不安定な立場になるのを指摘されたが故に生じる緊張感。今の僕の感情は一面的ではなかった。嬉しい一方で緊張もある。嬉しくてなおかつ緊張しているだなんて、理解も共有もされにくいだろう。だけど、複数の感情がせめぎ合う状態は、誰しも経験したことがあるはずだ。そういった意味では、嬉しさと緊張感が同居しているのは、さほど不自然な状態ではないのでは無かろうか。
大井町さんはまっすぐ僕を見てきている。
『あなたはあなたの『これから』についてどういう想いを抱いているの? どういう風に道を切り拓いていくの?』
そんな問いを、アイコンタクトだけで投げかけてきている。
バッタリ出会って、足止めされて、カフェテリアに辿り着ける可能性がどんどん薄くなっていく。
大井町侑さんという同期女子の厳しさに僕は直面している。
……ただ、僕の方には、「形勢逆転」の糸口も存在していた。
どういうことか。
『漫研ときどきソフトボールの会』というサークルには、僕の他にもう1人、将来が定まっていない4年生の男がいる。
新田俊昭(にった としあき)という男だ。
新田の現状が、「形勢逆転」の糸口になる。そう思い、自分を信じ、大井町さんに挑む。
「――不安要素の色が濃くて、この先の立場が不安定なのは、僕だけじゃないよね」
彼女に伝わるようにハッキリと僕は告げる。
ハッキリと告げたから、彼女はハッとする。ハッとした直後の彼女の顔に、狼狽(うろた)えが兆す。
「新田がいる。あいつには僕よりも不安要素が充満してる。きみならば、分かるよね?」
新田俊昭の名前を出す。彼女の目線が瞬時に下降する。
「僕の心配なんかよりも、新田の心配をしてやる方が良いんじゃないの? 心配のし甲斐も『アリアリ』なんだから」
彼女は彼女の真下を見ている。
右手がギュッと握り締められるのが眼に入ってしまった。
苦笑いを抑え切れなくなる。僕の苦笑によって彼女が辛くなるのは分かっている。でも、抑え切れないモノは抑え切れないのだ。
「もしかしたら」
受ける立場から攻める立場に成り代わった僕は、
「とっくに、『し始めてる』のかな」
と、揺さぶる。
劣勢の彼女は、
「……からかわないでよ」
と、抵抗するキモチを込めた声で言う。
抵抗を受け止める僕は、
「ごめんよ。悪かった」
と言うけれど、
「だけどね、『これだけは伝えておきたい』ってコトが、1つだけあって」
「1つだけ……?」
「そうだよ。1つだけ」
あまり間を置かず、僕は、
「新田のこと、頼むよ」
と簡潔に告げる。
「たのむ……? たのむ、って……?」
上がっていく彼女の目線。
またもや、苦笑いしてしまいながら、
「上手く伝わらなかったか」
と僕は言い、それから、
「もっと具体的に言ってほしい? 幾らでも具体的に言ってあげるけど」
と訊く。
昼食をスキップしても――最早、構わなかった。