【愛の◯◯】イカ娘とザッハトルテの天秤

 

どうも。

僕、脇本浩平(わきもと こうへい)っていいます。

都内某大学の、1年生。

第一文学部で、ドイツ文学を勉強するつもり。

 

――サークルは、

漫研ときどきソフトボールの会』

っていう、少々ヘンテコな名前のサークルで、

まあ、漫画を読んだり、ソフトボールをやったりしています。

ソフトボールをやる、という性質ゆえ、割りに大所帯(おおじょたい)で、

個性的なメンバーが、寄り集まってます。

 

× × ×

 

 

いま、僕は、『漫研ときどきソフトボールの会』のサークル部屋にいる。

広いスペースの壁際に張り巡らされた本棚には、漫画本がいっぱいだ。

 

そしていま、僕の前方には、僕と同じ1年生女子がふたり。

 

ひとりは、羽田愛さん。

僕と同じ第一文学部。哲学科だ。

実は、羽田さんとは縁があって、

というのも、昨年の夏、高校生向けの読書セミナーに参加したのだが、

そこで、羽田さんに出会っていたのである。

それから、今年の春、同じ大学で再会したというわけ。

 

羽田さんの髪は、高校生時代と比べ、短くなっている。

セミナーで出会ったときは、腰のあたりまで届くぐらいの長髪だった。

その長髪をばっさりカットして、いまは肩の後ろにかかるぐらいの穏当な長さになっている。

栗色がかった鮮やかな髪の色は変わらない。

きっと、地毛(じげ)なんだろう。

そして、大切なことは、彼女がとびっきりの美人であるということだ。

高校時代にドイツ語をすでに勉強していたらしく、僕がドイツ語を教えてもらうこともあるのだが、

サークル部屋で、となり同士になって、教え上手な羽田さんの話に耳を傾けていると――、

『こんな贅沢があっていいんだろうか』という気分になってしまう。

もっとも、彼女のようなパーフェクト美人に、恋人がいないわけがなく、

どうやら、『アツマさん』という年上の男の人と、一緒に住んでいて、なおかつ、つきあっているらしい……。

 

彼女は一度、強調していた。

つきあってて、一緒に住んでるんじゃないの。

 一緒に住んでて、つきあってるの

 

……強調されたはいいものの、

どういうニュアンスの違いであることか……。

 

 

……さて、羽田さんの左には、もうひとりの1年女子、大井町侑(おおいまち ゆう)さんが。

大井町さんは第二文学部である。

絵本作家を目指しているらしく、きょうもスケッチブックをテーブルの上に出している。

無口なタイプで、なかなか気持ちを表に出してくれないけど――、

大井町さんも、羽田さんに負けず劣らず、なかなかの美しいルックスである。

『顔ばかり気にしやがって!!』と怒られるかもしれないけれど、

美人がふたり並んでいると、つい……その美貌(びぼう)を、ほめ称(たた)えたくなって、

その欲求には逆らえず、

苦しい言い訳だが……美人であることを指摘せずにはいられないのである。

 

羽田さんとは対照的に黒髪の大井町さんが、スケッチブックとにらめっこしている。

「お絵かき?」

声かけしたのは、羽田さんだ。

無言の大井町さん。

羽田さんは構わず、

「――なにも言わないってことは、『否定しない』ってことの意思表示なんだね」

対する大井町さんは無言でスケッチブックのページを見つめている。

「あなた――否定するときは、全力で否定しそうだから」

羽田さんの認識は、そうなのか。

 

険しい眼で、大井町さんが鉛筆を手に取った。

そんな険しい眼つきにならなくても。

せっかくの整った顔立ちが――もったいない。

完全に余計なお世話なんだけど。

 

× × ×

 

描(か)き続けていた大井町さんが、いったん鉛筆を置いた。

大井町さんが描いているあいだ、羽田さんは漫画単行本を積み上げて、大井町さんのお絵かきなどお構いなしに、ひたすら漫画読みに興じていた。

それが、大井町さんが鉛筆を置いた途端、

「――休憩?」

漫画単行本から眼を離して、流し目のように大井町さんを見て、ふたたび臨戦モードに入らんとする勢いに、たちまち成り代わったのだった。

余裕をもった笑い顔で、

「息抜きがてら、わたしの『リクエスト』に、応えてほしいんだけど」

と、先制攻撃のごとく、ことばを浴びせていく羽田さん。

疑問に満ちた表情で、「リクエスト……?」と問い返す大井町さん。

「このキャラ描いてほしいの」

テーブルの上の漫画単行本をひょい、と手に取り、表紙を指差す羽田さん。

 

イカ娘。

イカ娘だ。

『侵略! イカ娘』の――イカ娘。

 

――呆然と、羽田さんと『イカ娘』の単行本を見つめる大井町さん。

 

羽田さん――、

大井町さんに、即興で、イカちゃんを描いてくれ、ってか。

無茶振りだよ。

 

『羽田さん、それは無茶振り…』と、思わずツッコミを挟みたくなったが、

 

「かわいいでしょ? 描きやすいと思うの」

押しの強さに、さえぎられる。

「ねっ? おねがいよ」

迫る羽田さんと、

迫られる大井町さん。

不敵な笑みで、

「…なにも、無報酬、ってわけじゃないのよ」

強い押しを重ねるように言う羽田さん。

「もし…描いてくれたら、喫茶店でおごってあげる」

彼女の勢いに反発して、

「言ったでしょ……おごられる筋合いなんてないって」

キッパリお断りします、的な様子で言う大井町さん。

「とっておきのお店が、あってさぁ~~」

余裕たっぷりに羽田さんは、

ザッハトルテ

と具体的なケーキの名前を提示する。

 

――羽田さんが「ザッハトルテ。」という名前を出した瞬間、

大井町さんの毅然(きぜん)とした表情が、毅然でなくなるのを、僕は見逃さなかった。

どうやら、「ザッハトルテ」に、誘惑されているらしい。

イカちゃんを描かされるのは、羽田さんに屈服するようで、悔しいけど、

悔しい思いをしてでも……ザッハトルテは食べたい。

彼女の悩ましげな顔が、そういうジレンマを物語っていた。

 

ザッハトルテが美味しい喫茶店、見つけたのよ。

 この娘(こ)を描いてくれたら――ドリンクでもなんでも、わたしが全部おごってあげるから」

そして優しく、

「これぐらいの見返りはないと――ね?」

 

大井町さんは迷い続ける。

 

ううぅむ。

見ているだけでいいのか。

ふたりのやり取りを、見ているだけでいいのだろうか。

 

迷いの大井町さんに、なにかことばをかけてあげるべきか?

でも、かけてあげることばの、見当が、つかない……。

 

女子ふたりのあいだに、どうしても踏み込めないでいると、

サークル部屋のドアが、ガチャッと開き――、

もうひとり、女子が、入室してきた。

入ってきた彼女の名は、日暮真備(ひぐらし まきび)さん。

3年生の、先輩だ。

 

そうだ。

日暮さん、日暮さんなら……!!

この場を、なんとかしてくれる。

収拾を、つけてくれる。

 

「ヤッホー、1年生諸君!

 …あれ、女子ふたりは、なに無言で見つめあってんの?」

 

「交渉(ネゴシエーション)です、日暮さん」

「……へえぇ、そっかあ。羽田さんは、交渉人(ネゴシエーター)かあ」

 

『微笑ましさいっぱいだぁ』、と言いたげな表情で、僕の席の後方にあるソファに歩み寄っていく日暮さん。

僕を見て、

「お、ワッキーじゃん!!」

ワッキー、ですけど、」

「ん、なに」

「日暮さんなら……女子の友だちづきあいとか、よく、わかってますよね!?」

「唐突な。言いたいことを簡潔に述べよ」

「ですから……あそこのふたりの、ぶつかりあってる空気を……なんとかしてくれないかなー、と、淡い期待を」

「…ワッキー。ぜんぜん簡潔に言えてないよ」

「日暮さん…」

「――ま、眠ってるあいだに、丸く収まるでしょ。寝かせて」

「日暮さんが……そんなに放任主義だったとは」

ニヤニヤと彼女は、

「じっくり見てなよワッキー。漫画でも読みながら」

そう残酷にも言って、ソファに小柄なからだを委(ゆだ)ね、

どこからともなく……某週刊少年漫画雑誌を、取り出すのだ。

「チャンピオン、あるよ」

「チャンピオンですか…」

「気が進まないの?」

「い、いいえ。

 ――あの、その。

イカ娘』の原作者が、いま描いてる連載って、なんでしたっけ」

安部真弘(あんべ まさひろ)?」

安部真弘。」

「『あつまれ! ふしぎ研究部』でしょ」

「そうでした……そういうタイトルでした。

 日暮さんの守備範囲の広さ……尊敬します」

ワッキー、あんがと」

「どういたしまして」

「寝るね」

「……いい夢を」