起きた。
カレンダーで、日付を確認する。
3月30日。
4月は――すぐそこ。
× × ×
新聞片手に、父さんが食後のコーヒーを飲んでいる。
「おはよう父さん」
「おはよう、さやか。きょうも、起きるの早かったな」
「春休みだからって、いつまでも寝てたりしないよ」
「いい心がけだ」
「生活リズム。」
うん、うん、と父さんはうなずく。
「さやか、コーヒーがあるよ。眠気覚ましに飲んだら?」と、キッチンから母さんが声をかけた。
わたしは、父さんがブラックでコーヒーを飲んでいるのを見て、
「うん、飲む。――砂糖とか、なにも入れずに、持ってきて」
と母さんに言う。
「えっ、ブラックってこと?」と母さん。
「そう」とわたしは答える。
「さやかもチャレンジするわね」
マグカップを置きつつ母さんが言った。
「父さんの真似かぁ?」
笑いながら父さんがわたしを見やる。
「父さんの、というより――友だちの、真似。」
「ほー」と父さん。
「ブラックコーヒーしか飲まない友だちがいて」
「だれ?」と父さん。
「愛」
「へぇ、愛さんか」
「愛は――ブラックコーヒーとか、妙なところでオトナなんだよね」
そう言いつつ、マグカップに口をつける。
コーヒーの熱さと、苦み。
ちょっとずつ口に含まないと、とても飲みきれない――、
そう、感じてしまった。
「――どうだ、飲みにくいだろう」と父さん。
「……苦い」
「ほろ苦(にが)、だな」
「……愛って、こんな『重たい』飲み物を、平気で飲んでたんだね」
感想を漏らすわたし。
「かなわないや」
父さんは優しい眼でわたしを見つつ、
「ところで――愛さんといえば、彼女はどこに進学するんだったっけ?」
「言わなかった?」
「この歳だと、記憶力がなあ」
わたしは愛の進学先を伝えた。
「おーっ、あそこは、いい大学だ」
「父さんの出身校なわけでもないでしょ」
「たしかに、な」
「ぶっちゃけ、東大だって京大だって余裕で受かれたんだよ。
わたしより、かしこいし。
でも――ブランド大学、全部蹴っちゃって、じぶんがほんとうに行きたいところを選んだんだ。
あんなに強い意志の力は……だれにも真似ができない」
「そっか」
父さんはコーヒーを飲み終えて、
「おまえ、愛さんに、惚れ込んでるみたいだな」
……なっ。
「ほ、惚れ込んでるってっ、そんなんじゃないもん」
あはは……と笑うばかりの父さん。
取り繕(つくろ)うように、マグカップのブラックコーヒーをふたたび飲み始めた。
熱さが冷めて、少し飲みやすくなっている感じがした。
× × ×
昼間、部屋の机で本を読んでいたら、母さんがやってきて、
「さやか、きょうね、兄さん仕事が終わるの早いんだって。
だから、ふたりで外食でもしないか? って」
「ほんと!?」
「行ってきてごらんよ。平日になかなか、兄さんにも会いづらいでしょ?」
ウキウキ状態になって、
「何時に会える? 兄さんと」
――もはや、読書どころではなく。
× × ×
着ていく服に、かなり時間を費やした。
母さんの言う通り、平日の夜に兄さんとごはんを食べに行くなんてことは、めったにない。
臨時のお小遣いが入るより、ぜんぜんうれしい。
レストランにいるあいだ、ひたすらわたしは、仕事終わりの兄さんを労(ねぎら)っていた。
「さやかは優しいなあ。心配しすぎなくらい、心配してくれて」
「だって仕事は疲れるだろうし」
「そんなでもないよ。きょうは上がるの早かったし」
「でもっ。」
「――ま、思いやりがあるに、越したことはない」
「兄さんは――特別。」
「特別扱いされちゃったかー」
「きょうだいだもん」
「なら、兄さんにとっても、さやかは特別だ」
「兄さん――」
特別だ、と言われて、こころが少し跳ねる。
「特別で、そして、『誇り』でもある」
「『誇り』、って。大げさだよっ」
きっとわたしの東大合格のことを言ってるんだ。
それで、『誇り』なんてことば、持ち出して。
「まるで、じぶんの夢が叶ったような気分になったよ。東大に受かったのは、おまえなんだけどな」
ほらやっぱり。
テーブルのお冷やを喉に流し込んで、
「まだ、受かっただけだし。勉強して、卒業しなきゃ、意味ない」
「進振り――だっけ? あれもまた、厄介みたいだな」
「いろいろ頑張んなくちゃなんないの」
そうでは、あるけれど。
「――けど、兄さんが、とっても喜んでくれているんだってわかって、うれしい、わたし」
「ああ、ハッピーだ、兄さんは。ずっと仕事も頑張っていける。さやかのおかげで、な」
素直に、気持ちがあったかくって、
笑ってしまうわたし。
お互い、幸せな気分に満ち満ちて、
きょうだいで――笑い合う。
× × ×
帰り道。
「まだこんな時間なんだね」
「そうだな。時間もたっぷりあるし、家、寄ってくよ」
「来てくれるんだ!!」
「――喜ぶよな。たまんないな、さやかは」
「ねぇ兄さん」
「んー?」
「カービィ? カービィっていっても、いろいろありすぎるじゃないか」
「そうだね。どのカービィに、しようかな」
「迷いすぎても困るぞ」
「……やっぱり、エアライドかな」
「エアライドとか、また、懐かしい名前を」
「スーパーデラックスでもいいよ?」
「そりゃもう、伝説レベルの懐かしさだよ」
「伝説のゲームソフトじゃん、『星のカービィスーパーデラックス』は」
「……バーチャルコンソールは、偉大だな」
「ん~~っ、候補がどんどん出てくる……」
立ち止まって思案するわたしを見かねたのか、
「――あいだを取って、スマブラにしておく、という手は?」
「それはないよ、絶対ない。カービィで縛る」
「あまりにもゲーム選びが難航しそうだから」
「どっちも桜井政博じゃないか」
「そういうことじゃなくってですね、兄さん」
「おれ――桜井政博って存在を、ほんとに心の底から、尊敬していてさ」
「だ、脱線してるよ!?」
「マニアックすぎるよ。しかも、カービィぜんぜん関係ないじゃん」
「――『ジョイメカファイト』って、バーチャルコンソールに、あったっけ?」
「桜井さん、関わってなくない……? 『ジョイメカファイト』には」
「あれ、HAL研関係なかったか」
「ジョイメカファイトはHAL研じゃなかったと思う」
「――負けた。さやかのほうが、物知りだ」
なんか……。
ウチに帰っても、兄さんと、ゲーム談義をし続ける勢い……。
オタクじゃないんだけどな。