「杏(アン)、あなたはほんとにいくつになってもだらしないわねぇ!」
部屋に入ってくるなり――言われてしまった。
「こんなに散らかしちゃって!」
「すごく、散らかってるわけじゃ……ないじゃん」
「口ごたえはやめなさい」
わたしをにらみつけて、
「こんなんだから――男の子にフラれちゃうのよ」
「ママッ」
――素っ頓狂な声を上げてしまった。
思わず、母を、『ママ』と呼んでしまう、おまけつき……。
「立ちなさい、アン。立って動きなさい」
そうは言われても、
眠い、だるい。
「シャンとしなさいよ」
わたしがなおもグズグズしていると、
「掃除をするのよ。葉山さんを、こんな部屋にお迎えする気?」
そうだった。
きょうは、はーちゃんが、久々に藤村家に来てくれる日。
ママ…じゃなかった、母の表情が、柔らかくなって、
「いっしょに掃除するのよ」
「ママと…?」
「そう。ママといっしょに。」
しまった。
またわたし、ママ呼びに――。
「手早く片付けないと、あっという間に、葉山さんが来る時間になっちゃうでしょう?」
「うん……」
「わかったらママに従いなさい」
笑顔で命令。
笑いながら、『ママ』って言わないで……、
ママ。
× × ×
「あら、お部屋がとてもキレイじゃないの」
はーちゃんが、部屋を見回して言った。
「ずいぶんお掃除、がんばったのね」
「わたしだけが、がんばったわけじゃなくって」
「ママさんの協力、か」
「……そうです」
「それでも、アンは自力でなんとかできるのね」
「部屋を?」
こくん、とうなずき、
「わたしなんか、どうすることもできないわ。散らかしどおし」
わたしは気くばりで、
「はーちゃんは、無理する必要ないよ。がんばって片付けようとして、かえって調子を崩しちゃったら……」
微笑みのはーちゃんは、
「――優しい。」
「心配だし。『どうすることもできない』なんて、自分を責めてほしくない」
「そうか――、そうね」
「そうだよ」
「あなた、オトナね」
「オトナ!? ほめてくれるの」
「ええ。
あなたの受験生時代、この部屋で家庭教師をしていたころと比べると、ずっとオトナになってるわ」
「……何年前の話ですかね」
つい、苦笑いになって、
「いまも、ママ…お母さんには、『だらしない』って言われまくってるよ、わたし」
「アンが……可愛いからなのよ、それはきっと」
ん~っ。
過保護だから、『だらしない』って言うのかな。
「身だしなみも、きょうはちゃんとしてるじゃない。成長してる証(あかし)」
素直に、
「ありがとう」とわたしは感謝。
「――でも、はーちゃんには、負けちゃう」
「よそのお宅にお邪魔させてもらうんだもの。きちんとしないわけないでしょ」
「鬼に金棒だよね」
「?」
「きれいなルックスに、きれいなファッション」
「……」
「憧れる」
――戸惑ったのか、話を強引に打ち切るように、
「……本棚を見せてもらってもいいかしら」
とはーちゃん。
照れ隠し、なんだろうな。
「どうぞ、ご自由に」
はーちゃんは立ち上がり、じっくりとじっくりと本棚を吟味して、
その挙げ句、
「――本をあまり読まない人の棚ね」
「ひっ、ひどいよ」
「アンには、本音しか、言わないから」
「はーちゃんほど読書家じゃないし、わたし」
「それにしたって、もっとがんばれるはずよ、読書」
「そんなに……物足りないの? わたしの本棚」
「不足してる」
「……容赦ないね」
「本好きの、本音」
本棚から1冊、文庫本を取り出して、
「でも……これは、いいチョイスよ」
「それが!?」
「名著(めいちょ)じゃないの」
「なにが書いてあるか、もう思い出せないよ、その本」
「なら読み返すべきね」
「読み返す時間、あるかな……」
本棚の前に腰を下ろし、ベッドに座るわたしに顔を向けて、
「あなたの忙しさを考慮してなかったわね」
「大学に、バイトで……ぶっちゃけ、読書は、後回しなんだよね」
「つい、行き過ぎな言いかたになってしまって――ごめんなさい」
「いーの、いーの」
「塾講師、してるのよね?」
「なんとか続いてる。中学生が相手だから、たいへん」
「中学生は、生意気なものよねぇ」
「『おりこう』じゃないもん、到底」
「――中学生だったときのアンと比べて、どう?」
……。
「わたしも、それほど、真面目じゃなかったかも」
「荒れてたの?」
「そこまで痛々しくはなかったけど。学校でも、家でも、反抗期っぽいこと――してたかな」
両親の顔をいっさい見ないで、夕ごはん食べたりとか。
ありがちなパターン……だろうけどね。
ところで。
「はーちゃんの中学時代は?」
「…言ってくると思った。」
「語りたくないなら、無理しなくてもいいけど…」
苦笑しつつも、
「人生でいちばん荒れてました……とだけ、言っておく」
と打ち明けるはーちゃん。
わたしの良心が、ちくり。
「か、過去を語り合うのはやめて、わたしの塾でのおもしろエピソードでも言おうか」
「テンパらないで、アン」
「ほ、ほんとにいろんなことが起こるんだよ、わたしの教室」
取り合わないように、
「いまではもう、いい思い出になってるから……荒れてたことだって」
また、はーちゃんは、本棚から1冊取り出し、
「ささくれだったこころで、この本を読んでいたのを思い出すわ」
「はーちゃんは……中学のときから、そんな本を読んでたの」
「正確には、中等部」
「あ、はい」
さらにもう1冊、文庫本を引き抜いて、
「本棚って不思議なものね。
『本をあまり読まない人の…』とか言っちゃったけど、そんな本棚でも、わたしがむかし読んで印象深かった本が、何冊かあるんだもの」
「……『共有』ってこと?」
「素晴らしいわ、アン。ズバリのひとことよ。
他人の本棚にも、わたしが思い出深い本を見いだせる。
素敵よね。
アンとわたしで――本を『共有』してるんだ、ってことが、アンの本棚を見ることで、わかった」
「――本棚って、大事なんだね」
「あたりまえでしょ」
「わたしは、たった今、わかった」
「――で、これから生意気中学生のことを、たっぷりと話してくれるんじゃないの? アン」
「そのつもりだよ、はーちゃん」
「たっぷりと聴いてあげるわ」
「……すごく、ワクワクしてる顔。」
「ワクワクするわよ」
「しょーがないねっ、はーちゃんも」
「でも、わたしらしいでしょ?」
「たしかに……」
なんだか、ニヤけてきちゃった。
ニヤけるぐらい、はーちゃんとやり取りするのが、楽しくて仕方ない。
……来週はもう、大学の新年度だけど、
はーちゃんのおかげで、なんだか、みなぎってきたぞ!