アツマくんもわたしも、午後に講義がないがゆえ、月曜の昼下がりにもかかわらず、在宅している。
大きなリビングでくつろいでいると、いきなりアツマくんが、
「洗濯物畳んでおいたぞ」
と言ってきたから、超ビックリ。
「え……畳んだ……って……干してあったの、取り込んでくれたの」
「ああ」
「……」
「どーしたよ」
「わたしやあすかちゃんの洗濯物とか……混ざってないわよね」
「んなわけあるか」
「わ、わたしやあすかちゃんの下着とか……混ざって……」
「バカいうな」
「そっ、そうよね、男物(おとこもの)だけ、取り込んで、畳んでくれたのよね」
「そういうこった」
「――どういう心境の変化?」
「――学習したんだよ」
「学習?」
「先週の金曜日のことがあったから――反省して」
そっか……。
「すごいな……アツマくんは」
「どこもすごくねーよ」
「すごいよ」
「はあ…」
「す、すごいったらすごいのっ!! わたしがすごいって言ってるんだから、もっと嬉しそうにしてよ、『はあ…』じゃなくって」
「おれは、やるべきことを、やったまでだ」
…アツマくんが、そんなことを、言うなんて――。
圧倒的な成長、ってやつ!?
× × ×
「…そういえば、金曜日にわたしが怒ってから、洗面所の水、いちども出しっぱなしにしてないよね」
「そう何度も何度も出しっぱにしねーよ」
「……『学習』?」
「そーかもな」
「よ、よしっ。そのちょーしよ、アツマくん」
「なにがだ」
「いまのアツマくん……すごく立派に見えるわ」
「おー、そこまで言うか」
「だらしないあなたも……それはそれで、好きだったけど」
「お?」
「きちんとするようになったあなたは……もっともっと、好き」
「ほお」
……なにリビングで彼に「好き」って言ってんだろ。
ふたりだけだからいいけど。
リビングではラチがあかず、
「う、上の部屋に、移動しましょーよ」
「なぜに?」
「リビングでこんなことやってると、茶番劇みたいだから」
「茶番劇? わからんな」
「とにかくわたしがダメなのっ!」
「……そうでございますか。
で、部屋って、どっちの?」
「どっちが、いい??」
「おまえが決めーや」
「じゃあ……あなたの部屋。」
× × ×
「……なんだか、部屋の掃除も行き届いてる気がしてる」
「錯覚じゃね?」
とりあえず、テーブルの前に腰を下ろそう。
向かい側に、アツマくんがきて、
「そんで、なにがしたい?」
「……。
夕方まで、あなたと、ここにいたい」
「それはわかってるが。もっと具体的には」
「そ、そうね、
本棚とか…見たいかな」
「おれの本棚に、おまえが見て面白そーなもんは、あんまない気がするが」
「…そうでもないんじゃないの?」
ゆっくりと立ち上がり、
ゆっくりと本棚の前に移動。
本の背表紙を眼で追って、
「アツマくん……フォークナーの『響きと怒り』、読んだの?」
「読んだ」
「す……すごいわね、わたしには、とてもまねできないわ」
「オイオイ、どーしちまったんだよ、そんなこと言って。アメリカ文学の必修講義で『読め』って言われたから、読まざるをえなかったんだよ」
「そうだとしても」
「ったく……おまえがそんなんだと、こっちまで調子狂っちゃうぜ」
背表紙に眼は釘付けになっているけれど、本のタイトルはあたまをすり抜けていく。
もはや、彼の本棚を、見ているようで、見ていない……。
「――まだ、動揺してるんか? おれが洗濯物畳んだことで」
「――そうかも」
「だれだって、洗濯物ぐらい、畳むだろ」
「そんなもの……?」
「……そうした、だれでも当たり前にできるようなことが、おれはできてなかった」
「……」
「金曜日――愛に叱られて、スネちまって、夕飯拒否して、この部屋に引きこもったりしちゃったけどさ」
「……」
「情けねえ、って思った。おれ、マジで情けねえ、って」
本棚から視線を外す。
アツマくんの前に戻ってきて、
床に腰を下ろす。
なにも言わず、なにも言えず、向かいのアツマくんをただ見つめる。
「…どうしたよ。おれの懺悔が、耳に障ったか」
彼は少し笑う。
「おれ…情けなさすぎるからさ、
愛に『気合い』を入れてもらいたいなー、とか、思ったりしてんだ。
…ヘンか?」
「『気合い』って。…アントニオ猪木的な?」
「まさに。
一発おまえに殴ってもらって、気を引き締めたいとか、そういうこと、思ってる」
「……そんなに反省しきりなの、あなた」
「情けない、おれだから……おまえの情け容赦ないビンタとか、食らってみたくなる」
「……マゾな理屈ね」
「マゾかもな」
すぅーっ、と、わたしは深呼吸して、
「暴力なんか、振るうつもりなんて、ないよ」
「ホントか? パンチとかしょっちゅうしてるくせに」
「いつでも凶暴なわけじゃないのよ? わたし」
「おまえが言っても説得力ないなぁ」
…スルーして、
「いつでも凶暴なわけじゃないし、『いつまでも』、凶暴なわけじゃないし」
「んーっ…」
「むやみに、あなたに手を上げたくないし。きょうはとくに、ビンタとかパンチとか、そんなことする気にもなれないし」
笑い顔に努めて、
「それに……あなたを叩く理由も存在してない」
「……だから、おれは、気合いを入れ直してほしくって」
「……暴力だけが、愛情表現だとか、思わないでよ。」
アツマくんのそばに、にじり寄り、
彼の背中に手を回し、
抱きとめて、
わたしの正面に向かわせながら、
「せっかくだし、お互いが……元気になるようなこと、しようよ?」
「……どういうふうに。」
「――こういうふうにっ!」
ぐぐぐぐっ…と、アツマくんの胸もとに、わたしのからだを託していく。
「――無抵抗になっちゃイヤよ、わたし。
一方的じゃイヤなんだからね。
もっとそっちから、わたしに働きかけてよ。
いろいろあるでしょ……ぎゅーっとしてくれる、とか。」
「……攻めるのな。」
呆れ加減な顔になってるのかもしれないけど、彼のほうからも、わたしの背中に腕を回してくれる。
そしてわたしと彼は、ぎゅーーっ、と抱き合う。
「…もっと、キツくしても、いいのよ?」
「…おまえが痛がるだろ」
「妙なところで優しいのね」
「おれは基本、優しい。おまえには、そう見えていないのかもしれんが、な」
「説得力、あるんだか、ないんだか」
…こらえきれなくなる笑い。
「否定したってムダだからな。『優しいんだ』って、言い続けるから」
「――あなたの、体温、」
「?」
「あなたの体温――やっぱり、ちょうどいい。ちょうどいい温(ぬく)もり」
そう言って、甘え倒すように、彼の胸にあたまを埋(うず)めると、
5分間ぐらい――黙りこくってから、彼は、
「温(ぬく)もりが……優しさなんだろ」
「……いいこと言うわね。」
その温もりに、優しさに、
包まれたままに、
「大正解だと思う、それ」
「…だろ?」
「うん。」
「大正解なのなら、もっと褒めてくれたって…」
「…だったら、こう言ったげる。
いまのアツマくんは、
100点満点だって」
「……やったぜ」
「うれしいでしょ」
「ああ。
これ以上――、うれしくなれないぐらいに」