【愛の◯◯】あたしがあたしの幼なじみを特別な存在に思いはじめたころ――。

 

『MINT JAMS』のドアを、ドンドンと叩く。

返事を待たずに、勝手にドアを開けて、部屋の中に入っていく。

 

中にいたのは、ギンだけ。

 

「――よかった、鳴海がいなくって」

胸をなでおろすあたしに、

「入ってきて、いきなりそれか」

ギンが、どうしようもないと苦笑する。

 

めずらしく音楽のボリュームが絞られている。

ギンは机に向かっていたみたいだ。

つまり、お勉強中だったってこと。

基本情報技術者』という、参考書の表紙の文字が、眼に留まった。

 

「――あんたもあんたで、がんばってるんだね」

「――手遅れかもしれないがな」

「あたしは、応援してあげるよ」

 

爽健美茶のペットボトルを、ギンに向かって投げた。

見事にキャッチしてくれるギン。

あたしは適当な場所に座り、紅茶花伝のフタを開ける。

 

「サンドイッチも――買ってるんだけど。食べる?」

爽健美茶に、サンドイッチかあ」

「別にいいでしょ。買ってきてあげただけ感謝してよ」

「ずいぶんと、気が利くんだな」

「きょうは、特別」

「なにゆえ」

それには答えずに、

「サンドイッチ欲しいんなら、あたしのとこまで取りに来て」

そう要求したら、「わかったよ……」とギンは腰を上げて、サンドイッチを受け取りに来た。

 

……黙々とサンドイッチを食べるギンを、あたしはしみじみと眺めていた。

 

食べ終わり、爽健美茶をぐい、と飲み干したギンが、

「なんか、ルミナらしくないな」

と、あたしを見すえて言ってきた。

「らしくない!? あたしはあたしだけど」

突っぱねるあたしに、

「いつもと違う気がする」

「どこが!?」

「や、なんかさ……きょうのルミナは、『叙情的』だなあ、って」

 

なに、それ。

『叙情的』、って。

 

「おれがサンドイッチ食ってるところを眺めてる様子を見て、そう思ったんだ」

「……あっそ」

「あっそ、じゃない」

眼を逸(そ)らし気味にするあたしに向かって、ギンは言う。

「名残惜しいんだな――って、そう感じた」

あたしは、わざとらしい口調で、

「そりゃーねー、卒業間近に控えた4年生なら、だれだってそーでしょー」

「おれは来年もあるけどな」

「ギンが、これまでがんばらなかったせいじゃん」

「おっしゃる通り。サボりすぎたせいで、おまえと同時に卒業できない」

「……」

「人生で初めて、おれと道が分かれるから、おまえは2倍さみしい」

「……ホントよ。」

「それと――。

 なんだかんだで、おまえは、この部屋が、この空間が、好きだったんだな、って。

 おまえがそう思っていることが――感じ取れた」

「あたし……本来部外者だし」

「事実としては、な。でも、あんまり、意識してこなかった」

苦笑しながら言うギン。

 

再びギンに眼を向けて、あたしは言う。

「しめっぽいよ、ギン。あんまりしめっぽいの、あたしはイヤ。

 外に出よ、外。

 食べたら少し、動こうよ」

 

× × ×

 

公園。

おいしい空気の、公園。

 

――去年のいまごろ、鳴海があたしを好きであることが発覚した公園。

ギンには、なにも話していない。

話す必要もないだろう。

鳴海のためにも……。

 

……あたしが、

あたしが、好きだったのは、

あのときから――すでに。

 

いつから?

 

いつから、あたしは、

ギンとかかわっていると、

特別に楽しいって――そう思うようになったんだろ。

 

他の人とは、違うんだって。

ギンとの時間が、特別なんだ、って。

ギンの、存在が、特別なんだ、って。

 

もしかしたら――。

 

 

高校のとき、とつぜん、ギンが音楽にのめり込み始めた。

始終、ヘッドホンをつけて、音楽雑誌を読んでいたギン。

幼なじみの変化に、あたしは戸惑いに戸惑った。

 

そして――さみしかった。

 

ギンが音楽ばっかりで、あたしに取り合ってくれなかったからだ。

 

あたしの話を、ギンがまともに聴いてくれない時期が、しばらく続いた。

ギンの音楽への傾倒ぶりが――重症で。

 

 

「――『ロッキング・オン・ジャパンで殴打事件』」

「ず……ずいぶん古い話を持ち出すんだな。しかも唐突に」

手すりに寄りかかって、公園の池を、ふたりで眺めている。

唐突に昔話を切り出したのは、否定できない。

否定できない、だけど、あたしは話してみたくなったのだ。

 

「あんまりにも、ギンが、あたしのしゃべりに耳を貸さないから、読んでたロッキング・オン・ジャパンを強奪して、ギンの頭部を何回もはたいた」

「放課後の、高校の教室で」

「騒ぎになったよね」

「けど、おれが逆ギレとかしなかったおかげで、丸く収まった」

「一方的な、あたしの暴力だったけど」

「寛大な幼なじみで良かったな」

「…ギンのせいもあるよ」

「当時は、音楽のこと以外、なにも見えてなかったし、なにも『聴こえていなかった』」

「ホントだよ。……あたしをもっと見てほしかった。あたしの言うこと聴いてほしかった。気にしてほしかった……」

「……さりげなく、爆弾発言みたいなことを」

「口が滑った。というより、意図的に口を滑らせた」

「恋愛ドラマみたいなセリフは、もっと勿体ぶって言わないと、効果がない気がするけど」

「――『セリフ』、じゃないよ」

「んっ――」

「本心だから。本心は『セリフ』にならないから」

 

困りきった顔でギンは、

 

「ごめん。鈍くって……ルミナがなにを打ち明けたいのか、まだ、はっきりしてこない」

 

あたしは、

黙って、ギンの背中をバァンッ、と叩いた。

 

「痛いだろ……まったく」

 

あたしが背中を叩いた意味は、絶対ギンに伝わっている。

産まれたときからの――つきあい、だから。

 

「……つまり、

 あんたが音楽バカになって、あたしのこと気にしてくれなくって、それがあたしにはさみしくって、

 そんなさみしさが……あたしに、『ギンが特別なんだ』ってことを、気づかせて、

 高校の教室で、ロッキング・オン・ジャパンであんたを殴ってたときから、あたしはあんたを意識してた。

 それで、

 それから、ずっと――あんたのことを、特別に思ってる」

 

少し、目線を上げて、風景の先を見るようにして、

 

「ギン――あんたといるのが、世界でいちばん楽しいよ」

 

あえて、ギンの表情は、見ない。

 

「そっか……ルミナは、そんなに一途(いちず)だったわけか」

「『一途』とか、ロマンチックすぎて、恥ずかしくなってきちゃうよ」

「……なおさら、おまえの想いに、応えないといけなくなったな」

「あたしの気持ち、受け容れてくれて、うれしい」

「なんだか――おまえの話を聴いてて、高校時代が、よみがえってくるみたいだった」

「――あのころは若かったね」

「ルミナは、さほど変わってないけどな」

「……何年前だと思ってんの、JKのあたしが」

「制服、着られるだろ?」

「……もう着ないからっ、ギンのヘンタイ」

「――うん、よくわかった」

「なにがっ!」

「いい意味で――おまえは変わっていない」

「……」

「JDだけど、JKだ」

「……なんかキモい」

「悪かった、キモくて」

「鳴海だったら、池に突き落としてた」

「……おれはずいぶんラッキーだったんだな」

「ギンは別よ」

「特別な存在……ってやつか」

「……そういうこと。

 さっきみたいなキモさも――特別に、あたしは認めてあげるの。」