【愛の◯◯】写真を落としてしまったからには

 

タカムラよりも早く【第2放送室】に来たおれが椅子に座ろうとしたら、床に何かが落ちているのを発見した。

とりあえず拾ってみる。写真だった。大学生ぐらいの男性が写っている、のだが、どう考えてもこの男性は、見覚えのある外見の男性だ。

「これって、選択美術の……」

思わず呟く。

呟いた5秒後に、駆け足で誰かがやって来る音がドア付近から聞こえ、ノックもせずにタカムラが部屋に入ってきた。

様子が少しヘンだ。おれに挨拶もしないのは普段通り。異変を感じるのはそんなコトに対してではない。明らかに挙動不審である。いつものタカムラの何倍も挙動不審なのである。

立ち尽くして部屋をキョロキョロ。何かを探しているみたいだ。おれが拾った写真と関連性があるのは明白だ。

だから、

「おいタカムラ、おまえ昨日、この部屋で写真を落っことしたんだろ」

キョロキョロしていたタカムラがピタッと静止する。恐る恐る、おれの顔を見てくる。少し離れた距離からスローモーションに目線を移してきた。

おれと向き合った数秒後に、おれが右手に何かを持っている事実に気付いた。事実に直面して、後(あと)ずさる。しかし、眼つき顔つきが険しくなったかと思うと、ずんずんとおれに向かって前進してくる。

「やっぱりこの写真、おまえの所有物だったんだな。見られたらマズかったのか? おまえが落っことしたのも、いけないんだぞ。身から出た錆(さび)というコトバがあって――」

言い終わらない内に、タカムラは、おれから写真を奪い取った。

「奪い取った」というのは正確な表現ではない。タカムラの所有物であるのは確定的なのだから。しかし、タカムラの勢いは、まさに「強奪」の2文字が相応しいモノだった。

即座に、タカムラはおれに背を向けた。

その1秒後、タカムラは駆け足で部屋から出ていった。これまでに見たコトも無い素早さで、ドアを乱暴に開いて脱出した。

開け放たれたドア。旧校舎の廊下が見える。おれ1人が部屋に残される。タカムラの急な脱走に戸惑い、その場から動けなくなる。

しかし、『追いかけねば』という感情が産まれてきて、走り出しはしないものの、足を動かして、ドアの開け放たれた出入り口に着実に近付いていく。

 

× × ×

 

旧校舎の庭の涸(か)れた噴水よりも奥の所にタカムラの背中を見つけた。この学校の敷地内で最も中心から外れた場所だ。

雑草を踏みしめて着実にタカムラの背中に近付いていく。とんでもない女子だ。とんでもなくて、どうしようもない。所有物の写真を見られたショックは分かるが、こんな最果ての地にまでやって来なくても良いだろ。

曲がりなりにもクラブ活動の同期なのだ。逃げようとするのなら、追いかける。それが筋(スジ)ってもんじゃないのか。

たしかに、厄介過ぎるくらい厄介な女子だ。でも、いきなり脱走されると、驚きの直後に心配になってしまう。尋常じゃない行動を無視(シカト)できない。

おれにだって人間のココロはあるんだよ。

 

「見つけたぞ」

白い制服の背中に声を掛ける。その背中は約3メートル前。

発見され、声を掛けられた。どれだけカラダが震えて、どれだけココロが震えたのかは分からない。

しかし、おれの方に一切振り向かないというコトは、動揺しているのを覚(さと)られたくないというコトではないのか。

「あのな。タカムラよ。たぶんおまえは、自分以外に見られたくないモノを見られてしまったんだと思う」

そう言った後で、僅(わず)かにコトバを溜めてから、

「だが、おまえが怒るのを承知で、言わせてもらう。落としてた写真に写ってるのは、選択美術の菱田(ひしだ)先生だろ」

タカムラの背筋が大仰(おおぎょう)に伸びた。核心に触れられたから、オーバーリアクションにならざるを得ないのだ。

おれの指摘にダメージを受け、大仰に伸びた背筋が、逆に縮んでいく。雑草だらけの地面に沈んでいくかの如(ごと)く、肩を落とし、うなだれる。

「菱田先生の大学生時代の写真だとおれは思ったんだが。……まあ、深堀(ふかぼ)りすると、おまえはキレるだろうし、おれの良心も痛むから、あんまり言い過ぎないでおくが」

チカラの無い声で、

「トヨサキくん、もう、言い過ぎてるから。キミに自覚が無くても、言い過ぎてるんだから」

とタカムラは。

穏やかに、

「悪かったよ。写真に関する話は、打ち切ろう。写真のコトは『これっきり』にして、【第2放送室】に戻って、活動をしよう。おまえは、学期末のイベント開催に向けて、これから忙しくなってくるんだし」

と言ってやる、のだが、瞬時に、

「今日は、イヤだ。KHKの活動、今日は、やりたくない」

とコトバを返してきやがるから、おれの眉間(みけん)にシワが寄ってしまう。

『デリケートな場所に足を踏み入れられたからって、ワガママが過ぎるんじゃないのか?』

おれのココロの中にそんな呟きが産まれる。

あっちのココロがさらに荒れるのを承知の上で、説教を一発お見舞いしてやろうか。……そんな気分になり出していた時に、

「話すよ。話す。トヨサキくん、わたし、キミに説明する。もちろん、この写真にまつわるコトを。秘密が中途半端に漏れるぐらいなら、全部オープンにしてしまいたいから」

おれは少したじろいだ。

なぜ、この学校の美術教師の大学生時代の写真を、タカムラが所持しているのか。真実を伝える気でいるらしい。自動的に、身構える。

ついにタカムラが振り向いてくる。さっき写真を拾って持っていた右手を、おれは硬く握り締めてしまう。

「……『シキちゃん』って、呼んでるの」

いきなり言われた。一瞬、意図を把握できなかった。だけど、菱田先生の下の名前が『志貴(シキ)』だったのを思い出し、タカムラは菱田先生のコトを言っているのだと理解した。

「幼馴染だから。学校で出会う以外では、『菱田先生』なんて呼び方しない。シキちゃんの方が、8歳上なんだけど、ずっとそう呼んできて、あっち側も受け容れてるから。『シキちゃん』って呼ばれるのを望んでるから」

完全におれと向かい合ったタカムラは、両手を後ろで組んでいる。

「芸術の選択科目を音楽にしたのは、シキちゃんが美術教師だから。……分かるよねトヨサキくん、シキちゃんが美術を受け持ってるから、音楽にするの。シキちゃんがこの学校に勤務してなかったら、美術を選択してたかもしれない」

おれの脳裏に、かつてのタカムラの発言が蘇ってくる。

それは、タカムラがこの学校を選んだ理由に、まつわる発言。

「おまえさ」

思い切って、こちらからも口を開いて、

「KHKでイベントを開催する以外に、もう1つ、桐原高校を志望した大きな理由があるって……言ってたよな。それって、つまりは……」

「案外、冴えてるんだね」

苦笑混じりの微笑で、

「シキちゃんを追っかけて、桐原を受験した。……このコト、ほとんど誰にも打ち明けてないんだけどね」

それは。

まさか。

8歳も年上、であるとはいえ。

また、たじろいでしまう。心理的にも物理的にも、後ずさる。

おれの『読み』は、言い出さない方が良い。……そう強く思った。

「なーんかビビってない、トヨサキくん? わたしの打ち明け話が、そんなに強烈?」

微笑が、タカムラの顔面に満ち溢れる。

その表情が、怖かった。