【愛の◯◯】まだ浴衣が着られない

 

わたしは明日夏祭りに行く。羽田利比古くんが住んでいるお邸(やしき)の近所で催されるお祭りである。花火が打ち上がったりとか結構盛大なお祭りらしい。わたしは初参加である。

誘ってきたのは羽田くんのお姉さんの愛さんだった。いつの間にか連絡先を交換していた愛さんからお誘いの電話が来た。どういう経緯で知り合ったのか、『これまでの流れ』を知っている人ほど不可解だと思うが経緯の詳細は省くとして、電話において愛さんから熱烈なラブコールを送られてしまったのであり、勢いに圧倒されてラブコールに応えざるを得なくなったのである。

羽田くんの邸(いえ)の近所で催されるお祭りなのだから当然羽田くんも来るワケで、だけど羽田くんには川又ほのかさんという交際相手がいるから、ふたりのために距離を置きながらお祭りを楽しまないといけない。愛さんのラブコールを受け容れて通話を終えた時、羽田くんと川又さんの関係を思い起こしてしまって少し辛くなった。たぶん、明日は、羽田くんとはあまり関われないだろう。もしかすると、喋る機会が一度も無いかもしれない。

それでもわたしはお祭りに行くのに前向きだった。たしかに、羽田くんには近付きにくい。でも、わたしは、羽田くんだけではなく、羽田くんのお姉さんの愛さんにも強い興味があった。だから、羽田くんには近付けなくても、愛さんには近付きたかった。愛さんと会うのがお祭りに赴く原動力だった。

羽田愛さんは信じがたいほどの美人である。現在21歳。大学生で、彼女のヴィジュアルを思い浮かべると、『きっと、高校時代から信じがたいほどの美少女で、20代になって、美しさレベルがさらに跳ね上がって……』という感情が産まれてくる。わたしは本当に羨ましい。恵まれ過ぎなほどに容姿に恵まれているから、鏡を見たりするのが楽しいんだろう。鏡を見て溜め息をつくコトもあるわたしとは大違いだ。でも、羨ましさよりも、好奇心が上回る。羨ましさの度合いも高いが、好奇心の度合いはさらに高いのだ。好奇心というのは、彼女のスペックに対する好奇心である。もし、『すこぶる美人である』という印象だけだったら、お祭りで彼女に会いに行くモチベーションは高まらなかっただろう。

愛さんが所有しているスキルは果てしなく多いという。その全てはとても列挙できないほどだという。果てしなくスキルが多いというのは伝聞の域ではあるんだけど、数回顔を合わせただけでも、『なんでもできるオーラ』はひしひしと感じ取れた。現時点で明らかになっているスキルは主に3つ。「お料理」「ピアノ」「スポーツ」の3つだ。とっても美味しいお料理を作れる。とっても上手にピアノが弾ける。とっても速く走れて速く泳げる。「お料理」「ピアノ」「スポーツ」はいずれもわたしの不得意分野だった。食事を作るのは親に任せっきり。ピアノは習い始めて3ヶ月でギブアップした。体育の成績は5段階評価で「3」を上回るコトが無かった。

愛さんをとっても魅力的に思っているわたしがいる。お近付きになって、親交を深めたい。彼女のスキルをもっと知りたい。ハイスペックな彼女をもっと間近で見ていたい。それに……愛さんとお近付きになれたら、弟の羽田くんにまつわる◯◯な情報だって聞き出せるかもしれない……。邪(よこしま)であるとは分かっていても、期待感が膨らむのを抑え切れない。

 

× × ×

 

夏祭りには浴衣。いつの時代も変わらない取り合わせだ。愛さんが明日浴衣姿だったら、胸がときめく。わたしも浴衣姿だったならば、彼女が興味を示してくれて、屋台が立ち並ぶ道を一緒に歩いてくれるかもしれない。

羽田くんに対する想いとは別種の想いが、羽田くんのお姉さんに対し産まれてきている。

そんな事実を素直に受け入れられているわたしは、現在、自分の部屋の椅子に座りながら、愛さんへのお近付きのための有力アイテムたる浴衣について考えている。自分の浴衣は持っているのだ。ただ、身にまとったコトが無かった。確か、高校1年生の時に買ってもらった浴衣だったと思う。運用する機会がこれまで無かった。高校1年時と体型はほとんど変わっていないはずだから、これからでも運用は可能だ。問題は、着方(きかた)。浴衣を身にまとう方法。こればかりは母に教わるしかない。そして、本日中に教わらなければ間に合わない。

あと3分したら椅子から立ち上がって部屋を出て、お母さんのもとに向かおうと決意した。

しかし、決意の邪魔をしてくる音が鳴り響いた。

鳴り響いたのは、わたしの出来の悪い弟がドアを強打してくる音だった。

怒ってわたしは立ち上がる。強打されたドアに急行し、

「ヒバリ!!」

と怒鳴りつけるような声を発しながらドアを開く。

「どうしてあなたはそんなにガサツなの!? 姉として恥ずかしいわ」

下向き気味にヒバリは、

「ガサツって、なんだよ」

「ノックのやり方よ。あなた、ドアを壊す勢いでノックしてきたわよね……!」

「おれのノックでドアが壊れるワケねーだろ。姉ちゃんも大げさだな」

頭をはたいて制裁するべきかとも思ったが、携えている本が眼に留まったので、

「あなた、もしかして、読書感想文の教えを乞いに?」

「大正解。夏休みも終わりに近いのに、全然書けねーんだ。姉ちゃんはまだ1か月は大学の長期休暇あるから、時間余ってるだろ? 手伝ってくれるよな」

「……人に教えを乞いたい時に、そんなチャラチャラした言い方するのは厳禁よ」

「お叱りモードか」

「当然でしょ!!」

「叫ぶなよー。ヒステリック姉ちゃんじゃねーか、カンペキに」

衝動的に、本を携えていない左手を右手で鷲づかみにし、部屋に入らせる。

「痛いじゃんか」

「この程度で『痛い』なんて言うの? 世の中にはもっと痛い思いをするコトがあるのよ」

「それ、心理的な意味合いの強い『痛み』だろ? おれは物理的な『痛み』を言ってんだよ。姉ちゃんがあんまり強く左手を引っ張ってくるから」

予想外だった。

ヒバリの物言い。心理的な痛みと物理的な痛みを区別して、わたしをたしなめた。中学に入りたての頃ならば、こんなたしなめ方はできなかっただろう。中学3年で、高校受験が迫っているヒバリ。その物言いから、オトナへの階段を上っているのを実感する。

「と、とりあえず……どこかに座りなさいよ」

「えっ? なんで姉ちゃんキョドってんの」

息を大きく吸ってから、

「つべこべ言わないで座りなさい。あと、『キョドる』とかそういうコトバはあまり言っちゃダメ」

ヒバリはテーブル付近に腰を下ろして胡座(あぐら)をかいて、

「『キョドる』がダメなら、なんて言うの?」

「それは、たとえば……『動揺してる』とか」

「ふうーん」

読書感想文テキストと思しき本をテーブルに置いて、

「姉ちゃんの『言い換え力』も、捨てたもんじゃねーな」

とヒバリ。

生意気なっ……。

眼つきの険しさを和らげられないままに、わたしも腰を下ろす。ヒバリは左斜め前。

「わたしにもあまり時間が無いのよ? 手短なアドバイスしかできないわ。あとは自分のチカラで――」

「ええー。時間が無いってなんだよーっ。さっきもおれ言ったけど、大学の長期休暇はまだ腐るほどあるんだろ?」

テーブルを握り拳で叩きたくなるのを懸命にこらえて、

「もっと短期的な問題なのよっ! それぐらい把握してよ!! 今日中にやるべきコトがわたしにはあるの、絶対にやるべきコトが!!」

ヒバリの顔を見ると平然とした表情だった。実の弟にヘイトを抱く瀬戸際。

「アレなんじゃね? もしかして、姉ちゃん」

「あ、アレ? アレって、いったい、何なのかしらね。あなたはどんな推測を……」

「だから、アレだろ」

「……早く『アレ』の中身を言いなさいよ」

「母さんにお小遣いをせびる」

「!?」

「だって姉ちゃん、『美容院に行くお金を出して〜』とか、よく母さんにせびってるっしょ? どうせ今日も、臨時収入を要求したいキモチでいっぱいなんだろ。母さんが銀行のATMみたいで、ちょっと可哀想だよな」

「お母さんは銀行でもATMでもないわよっ!! なにバカなコト言うのっ」

「姉ちゃーん」

やり取りの主導権を100%握り締めたヒバリが、

「少しは、自力で稼ごうや」

とか、やんわりと言ってくるモノだから……収拾をつけるパワーが0%になる。