【愛の◯◯】卵焼きは甘くない仕様で

 

わたしには、キョウくんという幼なじみがいる。

去年の春、湘南で再会を果たして、それからわたしはキョウくんの家庭教師になった。

浪人生だったキョウくんを、見事わたしは第一志望合格に導くことができた。

「夢を叶えたんだね」って言ったら、彼は「まだ夢への第一歩だよ」って。

そういうキョウくんが――これ以上ないくらいにまぶしくって、素敵で。

 

× × ×

 

少しだけ荷物を携えて、副都心線の駅を降りる。

理工系の学部が集まるキャンパスはすぐそこだ。

キョウくんはここで学んでいる。

オフラインの講義を受けている最中のはずだ。

オフライン講義を。

――フィクションなので、オフライン講義が実施されているのです。

――フィクションですよ。

――フィクションですから。

そこんとこお願いしますよ…と誰に言うでもなく、キャンパスの門の傍らに立つ。

大学か。

わたしの選択は、正しかったんだろうか。

ついついそういう考えが脳裏をよぎってしまうけれど、せっかくキョウくんに会えるんだから、めんどくさいことは、棚上げにしておく。

 

で、少し早く到着してしまったので、区立図書館に立ち寄って、軽く海外文学の棚を物色して時間をつぶす。

そしてキャンパスに戻って、「もうキョウくんの講義終わったのかな?」と考えながら、構内に入ってベンチに腰を下ろす。

わたしみたいな部外者が入ってきても、道行く誰も、気にも留めない――あぁ大学なんだねー、って思う。

やがて彼の姿を、建物から吐き出されるようにして出てくる大量の講義終わりの学生群のなかに見つける。

控えめに手を振るわたし。

すぐに彼は気づいてくれる。

 

× × ×

 

戸山公園。

ウォーキングやランニングするひとの他にも、楽器を吹いているおじいさんがいたりなどして、賑やかな風景だ。

都会の公園はいいよね――と思いながら目を細めていると、

「公園じゃ屋外で暑いけど、むつみちゃん大丈夫だったの?」

と心配げな声をかけてくれる。

「カラオケとか、そういう選択肢もあったんだぜ」

「涼しいから?」

「うん」

「キョウくんのほうが歌う曲に困っちゃうじゃない」

レパートリーがあるとは思えない。

しかしキョウくんはしおらしく、

「おれは……むつみちゃんの歌うの、聴いてるだけで楽しいけどさ」

そんなに、キョウくんの前で歌う機会は、多くはなかったけど。

「よく知ってるね、わたしが歌上手いって」

あえて自画自賛してみる。

キョウくんの顔をのぞきこむようにして、余裕をもたせた笑顏を作ってみる。

「……当たり前さ。小学校の音楽のとき、むつみちゃんがいちばん歌上手かったから」

「お、おぼえてるんだね…そんなむかしのこと」

お互いに照れ合ってしまう。

このままデレデレとなってしまうのが恥ずかしかったので、

「でもわたしばっかり歌うのもねー。連続で歌ってばっかりだと消耗しちゃうもの」

「そうだった、そうだよねそもそも。カラオケはだめだやっぱり。ごめんすまない」

「テンパらないで」

苦笑しながらおどけた声で言い、

「はい、タオル」

「あ…申し訳ない」

こっちのペースになる。

「公園のほうが絶対健康的でいいわよ」

「きみの言う通りだ」

「飲み物も持ってきたしね。熱中症対策は万全」

「さすが……で、なにしようか」

「なーに言ってんのぉキョウくん」

「?」

「お昼の時間でしょ、お昼の!」

「あ! もしかして」

「もしかしなくても弁当作って来てるのよ」

「そーだったんだあ」

「――天然ボケ? キョウくん」

 

キョウくんの体内時計やら時間感覚やら諸々(もろもろ)が気になったが、それはどうでもいいから、お弁当を広げるのであります。

「あっ、この卵焼きすごく美味い」

でしょでしょ?

「キョウくん、『甘い卵焼きは苦手だ』って言ってたよね」

「よくおぼえてるね」

「だから塩辛いぐらいがちょうどいいと思ったの」

「味付けがそんなに自在にできるもんなんだね。やっぱりきみはスゴいや」

でしょでしょ?

「卵焼きの味加減ぐらいなら、わけないわよ」

「――もったいない気もするなあ」

んーっ、

「宝の持ち腐れ――ってこと?」

「そうだよ、きみは料理のほかにもいろんなことができるんだから、その腕前をどこかで活かせればいいと思うんだけど」

キョウくんがそう言ってくれて、うれしい気分。

でも、ちょっとだけフクザツ。

たしかに、現在(いま)のわたし――持て余してる部分もあるんだと思う。

キョウくんが「もったいない」って言うのも、分かる。

「ありがとうキョウくん。――でもわたしなかなか踏み出せなくて」

手にしたオニギリを見つめながら、「弱いね…」ってつぶやく。

するとキョウくんはまるで妹想いのお兄さんみたいな表情になって、

「少しずつで、いいじゃないか」

あたたかみのある声が、わたしを包んでくれるみたい。

「そうだよね……それはわかってる、わかってるんだけど」

「たとえば――定期的に、弁当を作ってきてくれるとか。むつみちゃんがイヤじゃなかったらの話だよ」

「そんなくらいで、踏み出せるのかな」

「ん~、若干、おれに都合よく話したりしてるのは自覚してる」

彼は苦笑い。

「そんなにわたしに弁当を作ってきてほしいの?」

「――勝手な願望。」

「勝手なんて言わないでいいよっ」

「えっ」

「いくらでも作ってあげるっ」

それから、おもむろにオニギリをもぐもぐするわたし。

――踏み出せるか、踏み出せないか、なんていうシリアスなところに持っていかなくてもいいんだ、たぶん。

きっかけはなんでもいいんだ、たぶん。

きっかけなんてむしろ、そこらじゅうに広がってる。

だけれども。

きっかけを与えてくれるのは、できるかぎり彼であってほしい、キョウくんであってほしい。

どうしてか?

キョウくんのためなら――無我夢中になれるから。

わたしは残りのオニギリを無我夢中でほおばって――次もがんばろう、って、強く強く、決意する。