【愛の◯◯】穏やかなそよ風に誘われるように

 

ことしも、あと2ヶ月。

 

× × ×

 

フローベールの『サラムボー』を読みながら、副都心線に乗っていた。

目的地の駅で下車。エスカレーターに乗り、地上に出る。

 

月曜日で、駅の近くにある区立図書館は、残念ながらお休み。

わたしは、キョウくんの通っている理工学部キャンパスに直行する。

 

嬉しいことに、自販機にメロンソーダがあった。

構内のベンチに腰かけ、メロンソーダをゆっくりと味わう。

それから、岩波文庫の『サラムボー』を再度読み始める。

ほんらい、わたしは部外者なのだが、そんなことをだれも気に留めたりはしない。

まあ、ストレートで大学に進学していたら、3年生なんだもんね、今年度。

現役の大学生だと思い込まれるのも、自然の成り行き。

キャンパスに溶け込んじゃってる感じ。

 

――講義の終了時間になり、建物から学生たちがドッと出てきた。

キョウくんの姿を、わたしは見逃さない。

馴染みのある姿が、眼に飛び込んでくる。

 

× × ×

 

「ご苦労さま、キョウくん」

「むつみちゃんこそ、ご苦労さまだよ」

「わたしはなんにもしてないわ?」

「ここに来るまでに体力使ったでしょ」

「あー、そういうことね。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

「だいじょうぶなんだろうけど――もう少し、この場所でゆっくりしようか」

 

おもむろにキョウくんがとなりに座ってきた。

同じベンチ。となり同士。

 

「……冷やかされないかな」

そう言うと、彼は苦笑しながら、

「まさか。」

「……あと10分したら、公園に移動しましょう?」

「だね」

「……」

 

ベンチで、彼との距離がゼロ距離で……少しだけ、肩がこわばっていた。

 

× × ×

 

公園に移動して、からだもこころも軽くなる。

足取り軽やかに、わたしはキョウくんの前を行く。

 

「今月はむつみちゃんの誕生日だね」

後ろからキョウくんの問いかけ。

そのとおりなのである。

11月21日が、バースデーなのだ。

 

「――キョウくん。誕生日当日の夜に、あなたのおうちに行こうと思うの」

「え、マジ?」

「マジよ。できれば……バースデーケーキ用意して、待っててほしいかな」

「わかった。じゃあ、楽しみに待ってるよ」

「よろしくね」

「泊まる?」

「泊まる。」

この前の、寝起きの一件を思い出して、

「泊まるんだけど――ゆっくり寝かせてね」

「あー、この前、おれがむつみちゃん起こしに部屋に行って、びっくりさせちゃったからねぇ」

「そうよ、そういうこと。くれぐれも、パジャマ姿の寝込みを襲わないこと」

「……大げさだなぁ」

「約束よ?」

 

――あの朝は、とっても、恥ずかしかったので。

 

× × ×

 

キョウくんがおにぎりを食べている。

キョウくんのための、お手製弁当。彼の好みに合わせ、卵焼きに砂糖を入れなかったり、タコさんウインナーにしたり。

彼がいま頬張っているおにぎりの具は、昆布。

昆布入りおにぎりが好物なことも、憶えていた。

わたしは水筒のコップにほうじ茶を入れて、彼に渡す。

「このお茶、昆布のおにぎりに、よく合うから」

「……ほんとだ。すごいね、飲み物との相性まで考えて、きみは弁当を作ってくれたんだね」

「――あなたも知ってるでしょ。料理には、自信があるって」

「天才だよ、きみは」

「……なんでもできるわけじゃないわよ」

「謙遜しないでよ~」

 

しないほうが……いいのかもね。

とくに、彼の前では、遠慮なし、で……。

 

いまが、いちばんの公園日和(びより)だな。

束の間の、公園日和だとしても。

 

穏やかなそよ風に誘われるように、小さかったころを想い起こす。

 

――キョウくんの家に、プラレール専用のお部屋があった。

小学生のわたしは、キョウくんの家にお邪魔して、彼とあの部屋で過ごしていると、少しも退屈しなかった。

レールの上を、プラレールが走る音……。あの音が、わたしは大好きだったのだ。

列車名とか、ぜんぜん憶えていないんだけどね。

 

「ねえ、キョウくん」

「?」

「さすがに……もう、プラレールで遊んだりは、してない?」

彼は笑いながら、

「小学生じゃないからなあ。でも、プラレールは、とってあるよ」

「あら、物持ちがいいこと」

「だって……大切だもの」

 

そうよね……。

 

「そうよね……。あのころの『大好き』が、キョウくんの『いま』に、つながってるのよね」

「レールが、つながるみたいに、だね」

「――上手いたとえ。」

 

ふたりとも、すでに弁当箱はカラッポ。

樹々の葉っぱがサワサワ揺れるのを、いっしょに眺める。

 

――葉っぱを揺らすそよ風に誘われるように、わたしは鼻歌を口ずさむ。

 

「それ、なんの歌?」

「――昔の歌よ。わたしたちが生まれる前の」

「昔の歌、か……」

「そう。旧(ふる)い歌だけど、いまみたいな季節に、ピッタリの歌」

「……優しい歌だね。」

「――ありがとう。」