【愛の◯◯】優しい時間、愉快な時間

 

「弟の誕生日が近くて、プレゼントでTシャツを縫ってあげたいので、そのための買い物がしたい」

苦しい言い訳だった。

部活を休む口実。

ただ、文芸部のみんなは案外、スンナリと受けいれてくれた。

「弟さん想いでいいね」と言ってくれる部員の子もいたけど、もしかしたら弟想い云々以前に、『居候』というわたしの事情をよく理解してくれているから、あっさりと欠席を認めてくれたのかもしれない。

羽田さんもいろいろあるんだよね、大変だよね……って。

ちなみに、もちろん「Tシャツ縫うから買い物したい」というのは欠席するためのでっちあげなのだが、利比古の誕生日は来月だから、近いといえば近いのである。

本当に、Tシャツを縫ってあげてもいい。

 

× × ×

 

部活欠席の本当の理由は、伊吹先生がお邸(やしき)に家庭訪問に来るから、先回りして帰って、心の準備も含めた諸々(もろもろ)の準備をしておきたかったからだ。

伊吹先生は「仕事を終えてから伺(うかが)うね」と言っていた。

とりあえず制服から着替える。

CDラジカセで音楽を聴きながら、考え事をしつつ自室で待機する。

5時半になると同時に階下(した)に降りる。

まずは明日美子さんを捜(さが)す。

そしたら、ソファにごろごろと寝転がっている明日美子さんを発見した。

これから伊吹先生に応対するとは思えないリラックスっぷりだ。

でもそれでこそ明日美子さんだから、わたしは少しホッとした気分になる。

「おはようございます」

「あら、わたし眠ってたのかしら」

ふあ~、とあくびして、「伊吹先生まだ来られてないよね?」と訊いてくる。

「来てたら起こしてますよ」

「そうだった、そうよね」

常識では測れないマイペースっぷりだ。

「えーっと、2年ぶりかしら」

「伊吹先生が邸(いえ)に来るのが?」

「そう」

「はい、そうですよ。わたしはあんまし思い出したくない出来事でしたが」

「先生と愛ちゃんがケンカしたんだよね」

「はい……あまりにもわたしがお子様な出来事でした」

「でも仲直りできたからよかったじゃない」

「そうですね……あのときもいろいろありましたし、それからも先生とはいろいろありましたが」

「担任なんだよね? ことしは」

「担任じゃなかったら家庭訪問しないですよ」

「そうだった~」

――で、お茶は何にしようかとかお菓子は何出そうかとか相談していたら、あっという間に時間が経ち、

玄関のチャイムが鳴った。

 

× × ×

 

わたしと明日美子さんが隣り合い、伊吹先生を向こうに回して2対1の面談のかたちが出来あがった。

伊吹先生はいささか硬い口調で、

「きょうはよろしくお願いいたします、お母さま――じゃなかった。えっと…」

「明日美子でいいですよぉ~」

「は、はいっ。明日美子さん、きょうは娘さんのご様子をお訊きしたいというか、なんというか」

「娘じゃないですが」たまらず先生にツッコみたくなって、ツッコむ。

しかし明日美子さんは、

「どっちだっていいじゃない。細かいこと気にしない気にしない♪」

『えぇ……』と同時に声を上げるわたしと伊吹先生。

「逆にこっちからお訊きしたいんですけど、愛ちゃんは学校でどうですか?」

思わぬカウンターパンチを食らって悩む伊吹先生。

どうですか? という問いが漠然としているからだろう。

「娘さんは……非常に優秀です。優秀というのは学業にとどまらず、校内でのいろいろな場面で、そうなんでありまして」

娘じゃないんですが。

わたしも最早『娘さん』でも『愛さん』でもどっちでもよくなってきちゃった。

「――それ聞いて、わたし安心しました」

明日美子さんの先生に対する返答に、一瞬ドキッとする。

明日美子さんが本当にわたしのお母さんになったみたいな感覚。

「もっとも、わたしは愛ちゃんを普段から信頼してますから、きっとそうなんだろうって――なんの心配もいらないって思ってるんですけど、やっぱり先生に太鼓判を押してもらえると、安心するものですね」

うれしそうに明日美子さんは笑う。

伊吹先生も安堵の表情になって、

「普段から信頼されていらっしゃるってことは――お邸(うち)でもとくに問題なく過ごされているんですね」

「はい。順調です」

明日美子さんのほうからも、太鼓判を押してもらえた。

「よかったです。進路だったり受験だったり、ことしはいろいろと大変なことが多いと思うんですが――きっとだいじょうぶだからね、愛さん」

と、伊吹先生がわたしのほうを向いて穏やかに励ましてくれる。

「そうよ、愛ちゃん。だいじょうぶじゃないときがあったら、だいじょうぶにしてあげるからね」

と、明日美子さんが言い、わたしの左手にしっとりと右手を置いてくれる。

「それに――わたしだけがいるわけじゃないですから」

これは明日美子さんから先生に向けて。

「6人――でしたっけ」

「そうです先生。ぜんぶで6人です。6人で互いに支え合っているので。家族です」

家族なんだ、と、明日美子さんは断言する。

わたしも同意を込めて、うなずく。

しばらくしみじみとした時間が流れていく。

心地よい時間。

わたしと明日美子さんと伊吹先生との、優しい時間。

――が、せっかく優しい時間にひたっているのに、アツマくんが不用意にドタドタと階段を降りてくるのだ。

「あ……どうも」

「ほんとしょーがないよねぇアツマくんも」

「なんのはなしだよ」

「優しい時間の余韻が台無し」

「え??」

「ほら、先生に自己紹介して」

大人の女性ふたりはクスクス、と笑い合っている。

「と、戸部アツマと申します。あの……いつもお世話になっております」

言うと思った。

『お世話になっております』って。

「アツマ、ちょうどいいわ。あなたもかけなさい」

そうやってソファに着席を促す明日美子さん。

「でも…愛の家庭訪問なんだろう?」

「お世話になっておりますって言ったからには――ね」と明日美子さんは微笑。

「タイミング悪かったねアツマくん。それともタイミングが良かったのかしら、むしろ」とわたしも畳み掛ける。

「あの、あたし実は、アツマくんの話も聞いてみたかったんです。だから――座ってほしいな~って。ダメ?」と大人の女性の余裕を含ませて伊吹先生も同席をすすめる。

伊吹先生に「ダメ?」って言われたら、アツマくんは断れないよね。

事実、恐縮そうにわたしの右隣に彼は座ってきた。

「せ、先生…話っていっても、おれ何話せばいいんですかね」

「それは今からわたしが決めるわ」

「何言ってんの愛!?」

「収拾つかなくなるし。いいですよね先生?」

「うんいいよぉ。そのほうがあたしも面白いから」

「さすが。それでこそ伊吹先生です」

さっきまでの優しい時間が、愉快な時間に変わっていく。

それはアツマくんのせいであり、アツマくんのおかげでもあるんだけど――、

やってよかった、

家庭訪問。