『えーっと、このクラスを今日から担当することになりました、荒木と言います、1994年生まれです』
- にわかに上がる歓声
- その歓声に混じる「若ーい!」という声
そして──、
はにかむ荒木先生。
音楽教室のいちばん後ろの隅っこで、わたしは荒木先生の自己紹介を眺めていた。
(94年生まれとか、わたしのお兄さんより年下じゃん)
……それが、
第一印象。
『皆さんは流石に知らないかな? 久保田早紀さんというシンガーソングライターがいて、えーっと今は芸能界からは引退で名前も変えたみたいなんですが、彼女の曲で「異邦人」って曲がありまして、昭和五十五年だったかな? あ、この教室、ぼくも含めてみんな、平成生まれだよね』
- あたたかい笑い声に包まれる教室
(知ってるよ……『夢がたり』ってアルバムに入ってることも)
と心の中では思っていたが、
もちろんその時口には出さなかった。
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『えーそれで、それでね、もしぼくが女の子に生まれた時は、久保田早紀さんの下の名前を丸パクリして【早紀(さき)】って名付けようとしたそうです、うちの親がそういう世代なので……』
(へぇ)
『でも産まれてきたのが男の子だったので、両親が青春時代によく聴いてた、シュガーベイブってバンドが、あったんだね、あったんだよ、じつは山下達郎がソロデビューする前にいたバンドなんだけど』
- へえーっ!! という歓声
(ま、普通は知らないよね、今どきのJC……女子中学生は、さ)
『それでですね、シュガーベイブはたった1枚だけアルバムを出していて、『SONGS』っていう名前のアルバム、シュガーベイブは、山下達郎と、大貫妙子っていう女性シンガーソングライターのツインボーカルみたいな体制だったんですが、この『SONGS』ってアルバムは、ぼくの親父が初めてお小遣いを貯めて買ったレコードだったそうです』
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(ふーん)
『そんでもって、ぼくが産まれた1994年にちょうどこのアルバムのCD版が出て、ボーナストラックで「指切り」っていう曲が入ってて、ぼくは「指切り」って曲が、シュガーベイブが演奏した曲のなかで特に好きなんです、けど、これ実は大瀧詠一のカバーで、しかも「指切り」じゃ名前の由来にならない……とか当時両親は考えてないと思うけど、さっきも言った通り「早紀」がだめになったので、『SONGS』の1曲目の「SHOW」って曲名から、ぼくは「しょう」と命名されたんです』
(ふぅん。
著しく回りくどいけど……、
まるで落語みたいな説明。)
ほかの生徒の質問「先生、『しょう』って名前はどう書くんですか?」
『あ、そうだね。うーんっと、字を書いた方が、手っ取り早いんだな』
荒
木
笙
『これで「しょう」って読むんだ。読むの難しいよね。ま、タケカンムリに生きる、なんだけど。たしか作家で……誰だったかな……女性作家……よわったなぼくは文学、詳しくないんだ…』
軽くパニクってるので、
助け舟を出さなきゃ──
とは、思わなかった、
のに、
ひとりでに声が出てた。
「笙野頼子。」
『そ、そう! よく知ってるねキミ!』
(あ……目が合った、まずい)
と、
あのときのわたしは思っていた。
そして、荒木先生がわたしに、
『きみ、自己紹介してくれないかな?』
と、ひどく強引に自己紹介タイムにわたしを引きずりこんだので、
(なんでわたしから……)
という戸惑いで、気まずい沈黙をわたしが教室内に落とし、
その波紋がやがて、ほかの生徒の戸惑い、あるいは「早くしてよ」という声なき急(せ)き立て……に変わっていったので、どうしようもなくなり、
「青島さやかです、以上」
とこれ以上ないほどそっけなく冷たい応答をこの新任教師に向かって飛ばして、
その場を取り繕う気も当時のわたしには皆無で、
当時の荒木先生が、それ以降どうやってそのクラスを運営していったか──云々は、別の機会に譲るとして、
実は今年度も2年連続で荒木先生がわたしのほうの音楽の受け持ちになり、
というのは、わたしと愛は、どっちも芸術科目で音楽を選択しているのだが、じつはこの学校、音楽選択の生徒が多いので、わたしと愛で音楽を教わる先生が違っていて、
………………、
ともかく今年も荒木先生に音楽を習うことになって、
今年度の終わり際には……………………………、
荒木先生を意識し始めて、およそ1年が過ぎることになる。