放課後
学校
の
図書館
「さーて、文芸部、文芸部、っと」
「あれ?
さやかじゃないの」
・じーっと本を睨みつけているさやか
「ど、どうして文庫本に向かってしかめっ面してるの……」
「(無言で席を立ち)……、
(カウンターの司書の先生に)この本借ります」
「あれ、珍しいんじゃない? さやかが図書館で本を借りていくなんて」
「・・・・・・(思いつめた様子で出口へ向かう)」
「おーい、さやか?」
「どうしちゃったんだろ、わたしに気づいてなかったわけじゃないよね?」
・
・
・
空き教室
だれもいない教室。
教壇に腰掛け、
借りた本を開く。
著者は、芥川龍之介の息子で、作曲家。
いわゆるクラシック名曲100選みたいな体裁で、
10曲目に紹介されてるのが、
チャイコフスキー『大序曲 一八一二年』。
bakhtin19880823.hatenadiary.jp
↑VTR
『チャイコフスキーの『1812年』』
『Σ( ;゚д゚)ドキッ!』
× × ×
『いいよね。『1812年』、こう、勇ましくってさ。
青島さんらしい選曲だと思う』
そう、賢明な読者の皆さんならお分かりのとおり、
4月にアカ子と荒木先生の音楽準備室の片付けを手伝ったとき、
準備室に取り残されたわたしが、CDラジカセで再生していた曲、
チャイコフスキーの『1812年』。
その『1812年』を、『大序曲 一八一二年』として、芥川也寸志先生が、わたしが借りた本で取り上げているのです。
ただ……。
「この曲ほど世に馬鹿馬鹿しい名曲はありません」(ちくま文庫版36ページ)
「大げさなのがお好きな方、馬鹿馬鹿しいものに興味のある方に是非おすすめします」(同37ページ)
……、
ヒドくない!?
芥川先生。
なんだか、4月のことだけど、大事な思い出を馬鹿にされた感じ。
荒木先生と良さを語り合った『1812年』をディスられてる感じがして、
ずっと36ページと37ページの見開きを睨み続けている。
× × ×
ただ、いつまでも本のページを睨みつけて芥川也寸志と格闘しているわけにもいかない。
あー、やり場のない怒り、どこにぶつけたらいいの。
うつむきながら、廊下を歩き続ける。
<ボスッ
い、いけない、前見て歩いてなかったら、 人にぶつかっちゃった!!
「(あわてて顔を上げ)す、すみませんーーって、荒木先生!?」
「青島さんだめだよぉ、廊下は前向いて歩かなきゃw」
わたしーー、
荒木先生に正面衝突した。
× × ×
「音楽準備室を開けてほしい?」
「その、わがままなのはわかってるんですけどっ、どうしても聴きたいCDがあって」
「困ったなあ」
「(・_・;)」
「わかった。だれにも内緒だぞw」
「(・_・;)」
「お礼は?」
「あ、ありがとうございます、ついむしゃくしゃしてて…すみません、反省します」
「(^_^;)おいおい」
音楽準備室
「なーんだ、『1812年』が聴きたかったのか。
4月だっけ、ここの片付けしてもらったときに聴いたねえ」
「せんせえ」
「??」
「芥川也寸志さんがひどいんです。『1812年』は馬鹿馬鹿しい音楽だって」
「???」
当該ページを荒木先生にむりやり読んでもらった。
「ひどくありませんか?」
「そうかなあ?
だいいち、好みってのは人それぞれだろ?
もちろん芥川也寸志の意見だから、『好み』っていう次元じゃあないけどさ。
でも、『批評』っていうのかな、この文章は芥川さん個人の批評であって、青島さんがそんなに深刻に受け止める必要もないんじゃないの?
芥川さんは芥川さん、青島さんは青島さん。
それに、悪いけどぼく、この文章で、芥川さんが『1812年』を『馬鹿馬鹿しい曲』って『断定』してるとは思えないよ。
行間を読む、って言うのかな? ぼく、国語はどちらかというと苦手科目だったし、本読むの得意じゃないけど、こういう言い回しが好きな音楽家の先生って、いるだろ?
まあ、『まだ』青島さんには、そういう経験って少ないかもしれないけどーー」
顔じゅうが熱くなるのを自覚しながら、
わたしは我を忘れていた。
「『そういう経験』って…どういう経験ですかっ」
「(^_^;)いや…ぼくが出た大学でまさにこういう言い回しが好きな教授がいたっていう……でも青島さんは、音楽家の先生とかに会う機会は『まだ』あんましないでしょ、ってことで……」
「荒木先生はこの本の味方なんですねっ」
「(;´Д`)ええ?! ひ、飛躍しすぎだよ、青島さん。冷静になりなよ、よく読み返したほうがいいよ」
「(>_<;)この本先生にあげます!
さよなら! ごきげんよう! また来週!!」
まちがってるのは、わたしのほうだったって、気づき始めた。
だから、小走りに、音楽準備室のある校舎から、脱走した…。