【愛の◯◯】『二人称』の妙味

 

「川又さんとデートしたりしないんだね。せっかくの祝日なのに」

わたしから見て右斜め前のソファに着座中の利比古くんに言い、揺さぶる。

不意打ちされた利比古くんがタブレット端末を操る手を停める。ハンサムな彼はすぅっ……と息を吸い、

「彼女は彼女で忙しいので」

と言ってくる。

満足できる応答では到底無かったから、

「それじゃーデートをしない理由になんないなー」

と、わたしはさらに揺さぶる。

利比古くんは教科書通りに口ごもる。

そしてここで、

「さやかさんの言う通りだよ。最低でも140字以上は理由を言ってくれないと。そうでなきゃ、さやかさんもわたしも満足できないし納得できない」

と、利比古くんの真向かいのソファに着座しているあすかちゃんから、わたしの援護射撃となる声が発せられる。

ハンサムな彼の顔が少し青くなる。

彼の狼狽(うろた)えを少し味わってから、彼とは逆サイドのあすかちゃんに顔を向けてみる。

真剣過ぎるぐらい真剣な顔だった。

今度はわたしが不意打ちされてしまう。あすかちゃんの表情に不意打ちされてしまうのだ。

背筋を伸ばしながら、矢のような視線を利比古くんに飛ばしている。視線が射出(しゃしゅつ)される眼は、これまでに無いほどに真剣だった。

マジメかつオトナ。そんなあすかちゃん。

わたしは、彼女が中学3年生の時から彼女を知っている。

3ヶ月後には22歳になる彼女。知り合ってから7年が経とうとしているというコトだ。

7年間。長い時間である。少女だった彼女を「少女」と呼ぶコトはとっくの昔にできなくなっている。

それを分かっていても、わたしが今目撃した彼女のオトナぶりには驚かざるを得なかった。

オトナの女性に「脱皮済み」みたいなのだから。

『就職活動している』という事実だけが根拠じゃないと思う。でも、だとしたら、「脱皮済み」に見えるのを裏付けるさらに大きな根拠って、何……?

 

× × ×

 

「あすかちゃんが『オトナのお姉さん』でビックリしちゃったよ」

あすかちゃんルームに入ってからすぐに、素直なキモチをわたしは伝えた。

某サンリオさんの某メロディちゃんのライバルたる某ク◯ミちゃんのぬいぐるみを、あすかちゃんはベッドに座って抱え込んでいる。

某ク◯ミちゃんをめぐって現在大変な事態が巻き起こっているのだがそれは今は関係の無い情報であり、今この場において最も大事なのは渦中のク◯ミちゃんを抱え込んでいるあすかちゃんの、表情だ。

やや下向き目線。口は閉じて、『オトナのお姉さん』なのをわたしに指摘されたコトを時間をかけて消化し続けようとしている御様子。

こういうあすかちゃんも味わい深い。あすかちゃんの新境地が垣間見えて嬉しい。

でもやっぱり、こういう変化を直(ジカ)に感じているのは利比古くんなんだろう。ときどきこのお邸(やしき)を訪問するに過ぎないわたしとは違い、利比古くんはあすかちゃんとこの邸(いえ)で一緒に暮らしているのだから。

利比古くんがあすかちゃんをどう見ているのかも、知りたいな……。

そういう好奇心を膨(ふく)らませていたら、ドアをノックする音が響いてきた。

 

利比古くんに応対しているあすかちゃんの背中だけが見える。

黒に近いような濃紺色(のうこんしょく)のTシャツの背中をわたしに見せながら、彼女は、

「感想を言ってよ」

と、部屋の入り口の前に立つ利比古くんに要求する。

あすかちゃんから借りていた本を利比古くんは返しに来たのである。だから、あすかちゃんが要求しているのは本を読んだ感想だ。

「図版(ずはん)が豊富で楽しかったです」

コメントする利比古くんに、

「図版が豊富なのは当たり前だよ。浮世絵と現代日本サブカルチャーの関係についての本なんだから。もっともっと突っ込んだ感想をわたしは聴きたいの」

とあすかちゃんが厳しく言う。

「突っ込んだ、とは?」

微笑みを崩さず利比古くんが問う。

ささやかな間(ま)の後で、

「だっだからねっ、もっともっと詳しく……ってコトっ。『絵がいっぱいあって面白かった』なんて、小学生でも言える感想でしょ?」

と、さっきよりも早口になってあすかちゃんが答える。

「難しいですね」

微笑みを絶やさず言う利比古くん。

わずかな間(ま)を再び置いた後で、あすかちゃんは、

「そんなに難しくはなくない?」

と反発し、

「あなたのお姉さんだったら、この本の感想、1時間以上に渡って言い続けられると思うよ」

と、利比古くんの姉であるわたしの大親友を引き合いに出す。

「ぼくは姉ではないので」

教科書通りに彼は言うが、

「……もうそんなリクツが許される年齢(とし)じゃないでしょ。あなただってハタチを過ぎてるんだし」

と、21歳の彼女は、数ヶ月後に21歳になる彼に、なぜだか弱めの声になって、反発。

 

× × ×

 

浮世絵と現代日本サブカルチャーの関係性を論じているというソフトカバーの単行本が、あすかちゃんの両膝(りょうひざ)の少し上に置かれている。

利比古くんとのやり取りを終えてから再度ベッドに座ったあすかちゃん。両膝の少し上に本を置くなんて、なかなかレアな置き方だ。

わたしは、『両膝の少し上→お腹→胸→顔』とあすかちゃんに向かう目線を徐々に上昇させ、眼が合った直後に、

「あすかちゃんって、利比古くんのコト、『あなた』って呼ぶよね」

と、『二人称(ににんしょう)』についての指摘をする。

あすかちゃんの眼が見開かれ、

「それが……なにか」

と、意表を突かれたというキモチの充満している声が彼女の口から出てくる。

「ずっとそうだよね? 利比古くんをずーっと『あなた』呼びしてる。『あんた』だとか『きみ』だとか呼んでるの、見たコトも聞いたコトも一度も無い」

「……それが、なにか??」

2回連続でほぼ同一のコトバを発したあすかちゃんの視線は下降気味だ。

「あのね、あすかちゃん」

できるだけ柔らかく優しく彼女を見て、できるだけ柔らかく優しく彼女に呼びかけて、

「『あなた』っていう『二人称』を利比古くんに使うのも、あすかちゃんの『個性』なんだと思う。そういう個性、わたしは、好きだよ」

『好きだよ』と言い切った途端。

大げさなぐらいあすかちゃんの背筋が伸びた。

そして彼女は、驚きだけではなく戸惑いも混ざった眼で、テーブルに左肘(ひだりひじ)をくっつけて頬杖しながらカーペットに腰を下ろしているわたしに対して、

「あんまり、ヘンなコト、言い過ぎないで、くださいっ」

と、弱さの増した声を出してくる。

出し抜けに『好きだよ』と言われたからだろうか。細かくコトバを区切っていた。正直、とってもカワイイ。

わたしはわたしの穏やかな微笑(びしょう)をあすかちゃんに見せてあげる。

惑いのキモチを拭い切れない彼女は次のコトバがなかなか出せない。

悩んでるんだね。

そういうあすかちゃん、とってもカワイイから、くすぐったいキモチまでもわたしは感じちゃう。

少し前まで、あすかちゃんのオトナぶりに見入ってたのに、今のあすかちゃん、高校2年生になったばかりの女の子に見えちゃうよ。

ここで、あすかちゃんに対して、わたしの方から、『あなた』って二人称で呼びかけたら……いっそう派手に、ビックリさせちゃうんだろうな。