授業が終わって廊下を歩いていた。
右サイドには、音楽室のある校舎へと続く渡り廊下。
音楽室を覗いてみたいキモチを否定できない。今の時間帯は、音楽室は授業で使われていないはずだし。
お行儀の悪い常勤講師のわたしは、できるだけ足音を響かせないようにして、渡り廊下を歩いていく。
× × ×
入り口の前に立って、音楽室の中を見ている。足を踏み入れる勇気はない。
窓際には、かなりの大きさのグランドピアノ。
わたしの彼氏の実家にあるグランドピアノとどっちが大きいんだろう。
見入ってしまう。
常勤講師に過ぎない上に音楽科ではなく社会科担当なのだから、あのグランドピアノを弾くコトなんて到底許されるワケもない。今、中に入っていって、鍵盤の蓋を開けたりしたら、それだけでもう不祥事。
音楽科の先生が、
『弾いてもいいですよ、羽田(はねだ)先生。私が許してあげるから』
と言ってくださったら、どんなに嬉しいコトか。
……そんなチャンス、なかなか巡ってこないのは、わかっている。
去年の教育実習の時、阿久井(あくい)先生が予想外に寛容で、『一度っきりよ?』と、放課後に、母校の音楽室のピアノを好きに弾くのを許してくれた。
わたしの演奏に引き寄せられるように生徒の娘(こ)たちが次々やって来て途中からピアノリサイタル同然と化したのだがそれはいいとして、現在(いま)すぐそこにあるグランドピアノを弾ける機会が巡ってこなさそうなのは、やっぱりせつない。
『――目立っちゃうかもしれないものね、教育実習の時みたいに』
苦笑いしつつココロの奥で呟くわたし。
我ながら、性格難アリな常勤講師だ。
× × ×
自分のベッドに腰掛ける青島(あおしま)さやかが、なんとワンピースに身を包んでいる。
いったいどういうコトなんだろうか。この娘(こ)がワンピースに身を包むコトなんて2年に1回ぐらいの激レアケースよ。
さやか、あなた何かあったの。あなたがジーンズ履いてる時みたいに、平常心でもって向き合うコトができない、ぶっちゃけ。クールでサバサバしててボーイッシュと言ってもいい身長163センチのあなたが相当可愛らしいワンピースを身にまとってるから、こっちは落ち着いて対処する自信を無くしちゃいそうだわ。
「――驚いてんの? もしや」
冷静を保ちつつ微笑を浮かべてさやかが言う。
「愛(あい)って、そんなに初心(ウブ)だったかー」
う、ウブって、なによっ。
「からかわないでさやかっ」
反発が早口になってしまうわたしは、
「あなたのお家(うち)に来て、『部屋に居るから』ってあなたのお母さんに言われたからあなたの部屋をノックして、あなたが『どうぞー?』って言ってくるからドア開けたら、すごく涼しげな色のワンピース姿のあなたが眼に飛び込んできたから――」
「――あらためて経緯を説明してくれてるトコロ、申し訳ないんだけど」
遮るさやかが、
「もーすこし、落ち着きなよ?」
と、更なる笑顔で言ってくるから、わたしのココロもわたしのカラダも萎縮していってしまう……。
× × ×
さやかのお母さんからのコーヒーの差し入れがあって、落ち着きをやや取り戻せた。お母さん、本当に本当にありがとうございます……!!
「……荒木(あらき)先生の浮気が発覚したとか?」
思い切って言ってみた。思い切り過ぎたかもしれないけど。
「まさかまさかー」
さやかは軽快に否定。
「笙(しょう)さんとは、順風満帆だよー?」
「だったら、どうして、ワンピース姿なのよっ」
「こだわるね」
免れがたく過剰な前のめりとなり、
「ワンピースのさやかは、しょーじき、さやかのイメージに、そぐわないと思うのっ」
「わたしがワンピースなの、そんなにイヤ?」
ヒラヒラとしたワンピースをつまみながら問うてくるさやか。
ワンピースをつまむ手つきが異様に可愛らしいから、季節外れの肌寒さが背中に到来してくる。
「……慣れないし。2年ぶり、ぐらいだと思うんだけど、あなたがワンピースに身を包んでるのにわたしが直面するのも」
「直面とか、おーげさな」
だって、だってだって……!
「ねえー、せっかく仕事帰りに青島家を訪ねてきてくれたんだからさー、テンパるんじゃなくて、もっとくつろいでほしいよー」
たしかに、あなたのお母さんからのコーヒー提供の甲斐もなく、わたし、テンパっちゃってる。
だけど、それはあなたの過剰なまでに爽やかなワンピースのせいでもあるのよ……!?
背中を肌寒さに覆われながら混迷と混乱に近付いていくわたしに、
「ベッドまで上がってきてくれたら、『おこづかい』あげるんだけどなーっ☆」
と、さやかの声が降りかかる……。
というか、
「『おこづかい』って、なに? なんなの?? お金なんかに、わたしは、釣られないっ」
「ベッドで隣同士がそんなに恥ずいのかー」
似合わないワンピースから、ブレない声。
恐ろしさが倍増するわたしに、
「わたしとしては、このワンピース、大親友のあんたには、もーっと間近で味わってほしいって――そういう『願い』、あったりするんだけどなーっ☆」
と、ブレない大親友女子が、マジで朗らかに言ってきて……自らのワンピースを謎の繊細な手つきでつまむのだった。