【愛の◯◯】ソッポを向かなくて波乱

 

夏休み中だというのに登校した水曜日。クーラーが涼しくしてくれている職員室にわたしは入室している。眼の前には、わたしたちの顧問の小泉先生。自分のデスクに背を向けて座る、23歳のフレッシュピチピチ女性教師の小泉先生に、

「これ、お返しします。ありがとうございました」

と、借りていた本を差し出す。

「2学期が始まってから返すのでも全然良かったのに」と小泉先生。

「できるだけ早く返す方がベターですから」とわたし。

「あはは。福良(ふくら)さんはマジメだね」

「ある意味ではマジメかもしれないですね」

「え?」

「もっとマジメにならなきゃ! と思う時もあるんです」

戸惑い気味の先生は、

「それって、どんな時……」

ためらうコト無く、わたしは、

「同級生の男子とコミュニケーションする時だとか」

先生は大きめに眼を開き、

「へ、へえぇ。だ、男子かぁ」

「どうして先生の方が照れ顔になるんですかー?」

「ふ、ふ、ふくらさんっ!?」

慌て過ぎなぐらい慌てちゃってる。

見た目の年齢が、ハタチ前後に下がっちゃってるみたいな感じ。

 

× × ×

 

職員室を出たあとも小泉先生のリアクションの微笑ましさを味わいつつ、昇降口へと向かって行った。

校舎の外に踏み出した途端に陽射しが降り注いでくる。まさに真夏の太陽。燃えながら輝いている。

水分を補給したくなって自販機密集コーナーへと向かう。自販機密集コーナーはとても大きな樹の陰になっているから助かる。タオルで汗を軽く拭いたあとで、自販機に小銭を投入し、缶の緑茶のボタンを押す。

緑茶を取り出して開栓しようとしていたら、向こう側から男子生徒が歩いてくるのに気が付いた。だんだん近付いてくる。『もしかしたら……』という気持ちがだんだん強まる。だんだん『気になるレベル』が上がっていき、その男子生徒に視線を集中させた。

やっぱり国見八潮(くにみ やしお)だった。

国見八潮はわたしのクラスメイトだ。3年の文系クラス。選択授業の移動教室がよく被るから、よくお喋りをする。ただし、よくお喋りするのは今に始まったコトではなく、1年生の時から選択授業で顔を合わせるコトが多かった。

カッターシャツ。首に水色タオルを巻いている。そんな現在の国見にわたしはゆっくりと近付き、

「水色タオルがわたしとお揃いね。ほら、わたしのタオルもほとんど同じ色でしょう?」

「開口一番がそれか。まったく万都(まつ)は、眼の付けどころがヘンテコ過ぎる」

『福良(ふくら)』ではなく、下の名前の『万都(まつ)』呼び。3年間の関わりの中で、そうなった。

わたしが国見に対し苗字呼びを貫き通しているのは、文字数の都合で省略する。

わたしの眼の付けどころに対する国見のツッコミを華麗にスルーして、

「国見は柔道場に居たの?」

「なんで知ってるんだ。気色悪い直感だな」

気色悪い、と言われたからには、眼を細くして、ジーッとジワジワと国見を凝視し続けるしかなくなる。それが、わたし流の、福良万都流の無言の抵抗である。

『うぐっ……』という呻(うめ)きが今にもこぼれそうな様子になる国見。

イニシアティブは完全にわたしの側(がわ)にある。わたしはわたしの黒髪をサラサラと撫でる。そうやってわたし自身の余裕を示したあとで、

「柔道部は引退済みのはずよね? OBになった身で、トレーニング? パリオリンピックの結果がそんなに悔しかったのかしら」

「……オリンピックは、関係無いっ!!」

キッパリとした大声。国見にしてはサマになっている。

「だいたいなんだおまえ。放送部なのに休日出勤か? この学校の放送部はそれほどまでに体育会系だったのか」

「とんだ思い違いね。そんな思い違いばかりしちゃってると、あなたから小銭をまき上げるわよ?」

「ハァ!? 小銭パクるとか、完全に犯罪だろーが。生徒指導に訴えられても良いんか」

「冗談を冗談と見抜けない。余裕の無さの裏付け」

ぐぬぬ……」と歯噛みの国見。微笑ましさレベルが高い。

「教えてあげるわ。顧問の小泉先生に、借りていた本を返しに来たの。ただそれだけよ、用事は」

「小泉先生に……。」

真顔の国見。わたしに向かい視線を合わせてくる国見。わたしはまったく動揺しない。落ち着いて、国見の態度から、今の彼の感情を読み取っていく。

「――うらやましいのかしら?」

苦笑混じりに、わたしはコメント。

そのコメントに対し、

「ま、まさか万都、おまえ、不謹慎なコト考えてんじゃないだろな?」

と国見が返すから、

「不謹慎〜〜?」

とあしらって、

「あなたまさか、ホンキで小泉先生のコト意識しちゃったりしてるの? いくら先生が23歳のピチピチ女子だからって、禁断の◯◯的じゃないの、もしホンキで意識してるのなら」

一気に煽ったし、煽った内容も攻撃性が強かったから、

『国見、ソッポ向いてわたしから逃げちゃうかしら』

という予測を立てていた。

でも。

立ち尽くしの国見が、わたしに視線を伸ばし続けているから……。予測は、裏切られた。

ソッポを向くという予測だったのに、まったくソッポを向いてくれない。伸ばされた視線が、わたしの眼の方に収束していくようで……。

予測不可能な見つめられ方と見つめ方。

わたしは一歩後(あと)ずさった。

胸の奥に戸惑いが兆している証拠の後(あと)ずさりだった。