『女の子にモテるんでしょ!?』
そう、葉山さんに問い詰められ、イジられまくって、金曜日はさんざんだった。
――くたびれた。
ひとことで、くたびれた。
ようやく、そのくたびれも癒(い)えかけた、月曜の朝。
モテるんでしょモテるんでしょ…とひとは言うけれど、ほんとにぼくのことわかって言ってるのかなあ!?
たとえば、下駄箱にラブレターとか、そんなテンプレートすぎるシチュエーション、実際にあるわけが……、
と、
昇降口に行くまでは、思っていた。
下駄箱を開けると、
封筒が、一通。
――しかも、これ、この封筒、
典型的な、ラブレター的な封筒だ……。
嘘だろ?
ま、まさか。
でも、こんな封筒に、たとえば、『果たし状』なんかが、入ってるわけ、ありえないし。
見るのが、怖い、
封筒の中身を。
で、でも、良心に誓って、この封筒を捨てるわけにはいかない。
おそらく、
『放課後、しかるべき場所で待ってます』
的なことが書かれているであろう手紙が入っている、この封筒を――!
「なんで棒立ち状態なの? 羽田くん」
クラスメイトの野々村さんが背後から近づいてきた。
たまらず、下駄箱をバタン! と閉じ、
「ちょっと……深呼吸を」
と苦し紛れになる。
「ふ~ん。」
流し目をぼくに送りつつ、野々村さんは昇降口を去っていった。
彼女に勘付かれた可能性は……そこそこ高い。
× × ×
「なに羽田くん、その落ち着かない様子は。もっとシャンとしなよ」
板東さんに怒られた。
「5時からドラマの撮影だよ? 羽田くんは存分に働いてもらわないと」
彼女が言う通り、KHK制作のテレビドラマ撮影が、5時からある。
ぼくが落ち着けないのは――5時からの撮影の前に、ラブレターを下駄箱に入れてきた相手と、約束の場所で会わなければならないからだ。
だとしたら――【第2放送室】で油を売っている場合じゃないのかもしれないけど、
中途半端に、【第2放送室】に、来てしまった。
約束の場所で会う、約束の時間が、刻一刻と迫ってきた。
「…さっきから、スマホ見まくってるね、羽田くん」
「……」
「やっぱし、落ち着きがない」
時間を確かめる必要があって――なんて、板東さんには言えない。
不意に、
板東さんが……、
「――女の子と会う約束でもあるの?」
…と言ってきたから、超ドッキリ。
すさまじくドッキリして、心臓が確実に跳ねた。
どうしてわかるんですか……なんて、言えるわけなく。
「わたし、
女の子と約束あるんだったら、
羽田くんの撮影現場への遅刻――、許すよ」
「ゆ、ゆるす??」
「ちょっとぐらい5時に遅れたっていいよ。…女の子にちゃんと向き合うことは、大事でしょっ?」
うぐっ……と苦しくなってくる、ぼく。
「行ってごらんなさいよ」
いつになく先輩風を吹かせるようにして、促す板東さん。
「くれぐれも、相手の女の子を傷つけないことだよ?」
完全に、見透かされた……。
早くも、ぼくのメンタルは、ボロボロになりかけていて。
× × ×
でも、約束の時間に、約束の場所に、行かなくてはならないんだし、
メンタルはすり減っていたが――、
行く、という約束は、少なくとも――果たした。
× × ×
勉強机の前に座っていても、ごちゃまぜな思いがひっきりなしにあたまのなかを泳いでいて、気持ちの整理整頓なんて夢物語みたいな状態だ。
こころを尽くして、
女の子の申し出を――断った。
1年生だった。
『入学して3ヶ月で、羽田先輩のことしか、考えられなくなった――』
彼女はずっと見ていたのだ、ぼくを。
ぼくはずっと見られていたのだ。
見られているのに気づくことなく。
こころを尽くした、といっても、
ぼくは、彼女を、振った……という、わけで、
『あんなこころ尽くし、偽善と大して違わないじゃないか』
……という思いが、やって来て、
『傷つけないようにしたくても、やっぱり彼女に傷みを与えてしまった』
そんな思いがジクジクと疼(うず)いて、
ぼくはぼくの後悔に責め立てられ――、
あたまを抱えるくらいに、つらくなってくる。
だれかに、甘えたくはなかった。
そう、できるだけ、甘えない。
でも――あまりにも、沈み込みすぎていて、
勉強机の前で、自虐的になり続けるぐらいなら、
部屋から出て――だれかに、じぶんの弱さを見せて、
寄りかかりたかった。
だれに寄りかかりたいか。
……決まってるじゃないか。
一択だ。
一択クイズだ。
× × ×
ノックする。
姉が現れる。
二言三言(ふたことみこと)交わして、
ぼくは、倒れ込むようにして……姉の部屋に入っていく。
「どうしたのよ。顔が青いじゃないの。元気、なし?」
「うん……元気Nothing」
懸命にうなずきながら、ぼくは言う。
「元気Nothing」……。言語が、壊れ始めている。
「いったいなにがあったっての」
落ち着き払って、姉は問う。
「いろいろあってさ……」
ぼくは答えるも、
「いろいろあって、じゃ、なーんにもわからない」
と、姉は厳しく言う。
テーブルの前に、鎮座して、
「結論から言うと、自己嫌悪なんだ。自己嫌悪になっちゃった」
と、弱く言う。
向かい合いで、テーブルに頬杖をついて、姉は、
「――なにがあったかは、教えてくれないんだ」
「秘密だよ――悪いけど、そこは秘密にさせてよ」
ぼくがそう言うと、姉はじぶんの顔を指差して、
「――ね、利比古、わたしの顔、見てごらんなさいよ」
「え? 見て……どうするの」
「わたしがいま、なにを考えてると思う?」
…言われた通り、姉の顔に焦点を合わせる。
なにを考えてるか、と言われても。
ただ、『ずっと見つめているのが苦しくなるぐらい、美人な顔だ…』という感想だけが、浮かんでくる。
「ごめん……わからない。
お姉ちゃんが、なにに勘付いているのか……きっと、なにかに勘付いているんだろうけど」
「そうねえ」
姉は、楽しそうに、声を弾ませ、
「じゃ、宿題♫」
「しゅ、宿題が、増えちゃった」
「…どういう宿題か、わかるかしら?」
「んー……」
「現代文のテストみたいなもの……登場人物の心情を読みなさい、的なもの」
ぐうっ、と顔を、こっちのほうに近づけ、
「じぶんの姉の心情ぐらい……読めるでしょ。現代文のテストより、簡単でしょ」
「…お姉ちゃん」
「なあに」
「宿題の、締め切りは…いつまで」
「それは、あんたがじぶんで決めていいよ」
「…困るな」
戸惑っていると、
スーッ、と、姉が手を差しのべてきて、
その差しのべる手は、やがて、
ぼくのあたまのほうに向かい、
頭頂部に……触れる。
ぽん、と優しくあたまを叩かれる。
それから、サワサワ……と、優しくあたまを撫でつけられる。
お姉ちゃんに……甘えたい気分に、なってきてしまう。
もう、子どもじゃないんだけど。
でも、お姉ちゃんは……やはり、ぼくのお姉ちゃんで。
あらためて、姉の存在が、まぶしい。
すがり寄りたくなってくる。
自己嫌悪を、なぐさめてほしい……そんな感情を、せき止められず、
なんてじぶんは幼いのかと、あらためて思ってしまうけれど、
「自己嫌悪なんか、しなさんな。
じぶんを嫌う必要なんかないじゃない、利比古。
…そこんとこは、もうちょっと、わかってほしいかな。
きっと…悔やんでしまうことが、あったんだよね。
悔やんでも悔やみきれないぐらい……なーんて、語弊あるかも、だけど。
でも、立ち直れないのは、姉のわたしが、いちばんいちばんツラいから。
ねっ?
弟を元気にさせるのも――姉の役目。
だから、甘えていいよ。利比古。」
ひと息に、そう言われて、
徐々に、しかも確実に――癒やされていく。
ぼくの姉は――日本でいちばん、偉大な姉なんじゃないか、って。
それも、誇大妄想とは――思えなくなってくる。
そんなぐらいの、姉の、愛情を――、
いま、ぼくは、肌で感じている。