きのう、星崎さんは、『わたし、惚れっぽいんだ……』と、わたしに言った。
どういうことなんだろう。
ひとめ惚れが、どうとか。
『その類(たぐい)のこと』で――過去に、いろいろとあったんだろうか?
――男の人がらみのことで。
予備校時代、とある男の子に――工藤くん、なんだけど――ジワジワと惚れていってしまった、ということがあった。
……わたしにも手痛い過去があって。
惚れっぽい星崎さんとは、ちょっと違う経験をしているかも、だけど、
なんか――過去を思うと、お互いさまだね、星崎さん。
きっと、失恋も経験したんだよね?
デリケートそうだから……そっとしておきたいと思ってるよ、わたしは。
彼女と――星崎さんと、よりいっそう仲良くなりたいから、
こういうふうな考えを、行きの電車のなかで巡らしていた。
× × ×
ただ、『あすの日曜は来ない』と彼女は言っていたので、
星崎さんに会うのは、月曜まで、お預け。
学生会館。
きょうも、季節外れの勧誘ブースが出ている。
ポニーテールの男子学生が、ブースに陣取っている。
おそらくは、4年生以上。
『お笑い文化なんでも研究会』
そういうサークルらしい。
興味――なし、だな。
だから、素通り。
縁のなさそうなサークルのブースを素通りして、『MINT JAMS』の部屋へと足を進めた。
× × ×
『開放弦』を読んでいる。
もはや、『開放弦』という雑誌が、音楽雑誌なのかどうかも、わからない――そんなぐらい、編集部の面々が、自己主張している。
編集部のひとのキャラ、立ちすぎ。
なんの雑誌だったかな――『ファミ通』だったっけ――編集者やライターが、前のめりなくらい前面に出ている、そんな雑誌もないわけではない、と――知り合いが話していたような記憶がある。
『開放弦』の編集者も、ほんとうに前のめり。
編集長、
副編集長(なぜか関西弁)、
イチローさん、
小鳥遊さん、
圭二さん、
『テル』さんこと輝三さん、
さつきさん、
みんな、キャラクターが立っていて、
まるで、キャラクターが物語を紡いでいるみたい。
なんか――『開放弦』の編集部を舞台にした、小説、を読まされてるみたいな。
そんな感覚になる。
少し、
いや、少しどころではないか――、
『開放弦』で展開される編集部員たちのストーリーを追っていると、
『わたしにも、キャラクターとストーリーが創(つく)れないかな……』
そんな意欲が、わいてくる。
なぜだか、わいてくる。
どうしてか、睡(ねむ)っていた創作意欲が、『開放弦』を読むことで、覚醒していくような――。
もっとも、わたしは、短編小説すら、書き上げたこともない。
だから、創作意欲なんて、語弊がある。
だけど。
キャラクターを産み出せたら、ストーリーを紡げたら、
楽しいだろうな、面白いだろうな、って……本気で、思っちゃう。
夢見がちな妄想が、膨(ふく)らむ。
× × ×
妄想癖、あるのかな。
わたし、案外、妄想癖が――。
現在サークル部屋にひとりぼっち状態だから、イマジネーションが際限なくなってくる。
それはつまり、『創作』へのイマジネーションであり、モチベーションだ。
…ノートでも買ってみるか。
だれにも見せられない、ノート。
わたしの妄想癖を書き留めるノート。
ノートでも買わないと、イマジネーションやモチベーションを抑えきれない、
わたしはすでに、そんなところまで――、
不意にガチャリと音がした。
部屋にだれかが入ってくる。
――鳴海さんだった。
「どうしたん八木ちゃん?? ぼくが入ってきた途端、起き上がりこぼしみたいになって」
「起き上がり……こぼし……??」
「椅子から飛び跳ねるような勢いだったよ」
とつぜんの鳴海さんの入室に驚いて、オーバーなリアクションをしたのはたしかだった。
…いけない、
『開放弦』を、床に落としてしまっていた。
焦りと恥ずかしさが、ごたまぜになる。
感情ごたまぜのまま、落ちた『開放弦』を拾って、ゆっくりと本棚に収める。
「お、おはようございます、鳴海さん…」
「おはよ~~、八木ちゃん」
「…あの、わたしが『起き上がりこぼし』だったのは、気にしないでください」
「うん、わかってるよ」
若干わざとらしく、
「……音楽、かけましょうか。無音の音楽鑑賞サークルなんて、不可解だし」
そう言って、CDの入っている棚のほうを、ぎこちなく向いて、
「たまには、サブスクの音源じゃなくて、CDも――鳴海さん、なにか聴いてみたいCDとか、ありますか?」
そしたら、
「八木ちゃんが決めなよ~」
と、彼は、朗らかに笑って言うのだ。
そう言われて、困ったけれど――前から、聴いてみたい! と思っていた洋楽アルバムが棚に在(あ)ることを、思い出して、
でも、その洋楽アルバムは、棚の高いところにあって――だから、
「あのっ……助けてくれませんか? 鳴海さん」
「――ヘルプ?」
「ヘルプ、です。
わたしが聴きたいアルバムのCD――高いところに入ってるから、背の低いわたしじゃ、手が届かなくって」
「なるへそ。それなら、お安い御用だよ」
無造作に、鳴海さんは、CD棚に接近。
必然的に、間近な距離に、鳴海さんが、来る。
ぴたっ、とひっつくぐらいに、
鳴海さんとわたしの距離が……ない。
体温が、ひとりでに、上がっていく。
鳴海さんは、軽々と、わたしの聴きたかったCDを、取ってくれる。
「…ありがとうございます」
早口でわたしは感謝した。
「どいたまー」
どういたしまして、を略して、鳴海さんは軽快に言う…。
……。
ふしぎ。
となりで、戸部くんを見上げたって、なんにもときめかないのに、
鳴海さんとゼロ距離で、鳴海さんを、見上げてしまうと……、
わたしの小さな胸の鼓動が、飛び跳ねるように加速していくのが、耳に響いて。
なにが違うんだろう。
どうして、鳴海さん『だけ』に、こういうドキドキな感情を、抱いてしまうんだろう――。