第3幕。
ここから、主人公の座席がクロスシートに替わる。
主人公の八洲野(やすの)さんは、クロスシートで、ある女性と向き合っている。
3番目に八洲野さんが出会った女性。
彼女を演じているのは、さやかだ。
『あなたも……旅をする人なんですか?』
八洲野さんは問いかける。
『違う違う。わたしはここら辺の人間。
名乗るのがまだだったね。
わたし『サヤ』っていうの。
以後お見知りおきを』
『名乗る必要、あったんですか』
『タメ口でいいよ』
『……名乗る必要、あったの?』
『名前で呼んでほしいから』
登場人物のなかで、唯一さやかにだけ、『サヤ』という役名がついている。
名前のある人物が出てくることといい、ロングシートからクロスシートに座席が替わっていることといい、この第3幕は、今までの流れとはひと味もふた味も違っている。
いわば、起・承・転・結の『転』だ。
しだいに舞台が明るくなっていく。
光に包まれるように、明かりがまぶしくなっていったかと思うと、ゴトン、と列車の停車する音がする。
クリスマスを想起させる樅(もみ)の木のような背景が映し出される。
『なんだか――とたんに、賑(にぎ)やかになったみたい。
サヤさん、もしかして、ここがあなたの生まれた街――』
『呼び捨てでいいよ』
『――サヤ、あなたはこの街に住んでいるのね』
『よくわかったね。
わたしはここで生まれ育って、ここをずっと離れていない』
『陽気なお祭りみたいな風景。
まるで、クリスマスのお祭り騒ぎが、年がら年中続いているみたいに』
『楽しいでしょ』
『でも――列車は直(じき)に動いて、この楽しさからも離れていってしまう』
『しばらく停(と)まるよ?』
『しばらくって、どれくらい』
『演奏会があるんだ』
『演奏会?』
『そう、演奏会があるから――音楽が止(や)むまで、この列車は動き出さない』
× × ×
「雰囲気、ずいぶん変わったね」
たまきさんが言う。
隣に座った松若さんが、セリフに耳を傾けながら、
「あちゃー」
という声を漏らす。
「なにが『あちゃー』なの、マツワカ」
「勢いで書いちゃってる部分があるなー、って」
「セリフを?」
「セリフを。」
「そこがいいんじゃないの。ありのままが出てるんだから」
ふたりの背後に立っているわたしは松若さんをフォローする。
「ありのまま、って、あたしの、ありのまま?」
「そうだよ。ここの部分、わたしほとんど直してなかったでしょ」
「そういえば、第3幕、あまり羽田さんのチェックが入らなかったね」
「手をつけたくなかったの」
「なんで?」
「松若さん、自然に浮かんだんだな……って思ったから。弾けるように出てきたことばなら、なにも手入れしないほうがいい。ことばの鮮度を保ちたいから、余計なものを加えたくない。……飛躍だって、最大限に尊重したい」
「飛躍か……あたし、ちょっと飛躍しすぎかも」
「でもさ」
「――たまき?」
「セリフが自然と入ってくるよね」
「あたしの――書いたセリフが?」
「マツワカは飛躍しすぎって言うけど、むしろ違和感ないよ」
「そうよね。劇とうまい具合に溶け合ってる」
「ふたりとも……ベタ褒めだね」
たまきさんが、松若さんの肩をポンと叩く。
「マツワカが頑張った成果でしょっ」
「頑張った……というよりも、勢いだけで突っ走って」
「でも、走り切ったじゃん、あんた」
そうよ、松若さん。
書き切ったんだから、やり切ったんだから。
ところで――、
もうすぐ、アレが流れる時間か。
× × ×
荒木先生が、劇のために、作曲してくれた。
さやか直々(じきじき)のお願いだった。
「最初は作曲すること自体渋ってた感じがしたから、『いち場面だけのBGMでいいんです』って言ったら、『それでも時間かかるよ、作曲なんて久しくやってないんだから』って、先生なんだか弱腰だったの」
「それでどうしたの? 押したの?」
「押したに決まってるでしょ。『先生ならできます!』って。それだけじゃ押し弱いと思ったから、『日ごろの鬱憤(うっぷん)晴らすいい機会ですよ!!』とも言った」
「日ごろの鬱憤って。強引だなあ、さやかも」
わたしが笑いながら言うと、
「吹奏楽部で立場が弱いのはわかってたから」
「それは阿久井(あくい)先生が先輩の顧問だってだけの話でしょ」
「阿久井先生の下(した)でうだつが上がらないのよ」
「そんな力関係なの?」
「若手教師の悲哀(ひあい)ってやつよ」
……そんなに阿久井先生が強権(きょうけん)振りかざすかなあ。
「で……どうにかして、荒木先生折れてくれたんだよね」
「うれしくって、『ありがとう荒木先生!!』って、思わずタメ口になっちゃった。荒木先生にタメ口になるの――初めて」
「あらあら」
「なにその反応…」
「でも、さやかのお兄さんより若いんだものね」
「だからだと思う……変な言いかただけど、先生、っていう感じがしなくなって、敬語忘れてた」
「――もうすぐ『先生』でもなくなるもんね」
少しだけの沈黙のあと、さやかは、
「卒業したら――そうなるよね。教え子と先生の関係じゃなくなる」
「疎遠(そえん)になるの――怖くない?」
「不安はあるよ」
少し考えて、わたしは、
「…さやかはさやかの気持ち、伝えたくないの? 残りは少ないよ。伝えたいときに、伝えておかなきゃ――」
「勇気がいるでしょ」
「だれだってそうだよ…。わたしだって」
「想いを伝える難しさなら、愛、あんたのほうがよくわかってるはず」
「でも、最終的にはちゃんと伝えたわ。すごく思い悩みながらも。言葉だけじゃ想いが伝わっていない気がして、泣きじゃくったり、抱きしめたり、抱きしめられたり――そういうのを積み重ねて、いまでも、想いを伝え続けている」
「アツマさんに」
「そうよ。アツマくんに」
「……素敵な恋だね」
「さやかの気持ちだって……素敵だよ。自分自身を裏切らないで、さやか。ちゃんと伝えて、純粋に焦がれる心を」
気づくと……さやかの両腕を握っていた。
「録音に行かなきゃ」
「バイオリンを弾くのね」
「荒木先生が出張で、聴かせられないのが残念だけど」
「こんなときにどうして、荒木先生…」
「どうしようもないでしょ。生徒のワガママで出張引き留められるわけないじゃん」
「…わたし、あした荒木先生に頼んでおく。『絶対文化祭当日は劇を観てください』って」
× × ×
「ちゃんと来てくれたよ……さやか」
「――羽田さん?」
「なんでもないの、松若さん。
ただのひとりごと」
× × ×
荒木先生作曲BGMが、さやかのバイオリン演奏で流れ出す。
『いい曲でしょ』
『とても素直な旋律――柔らかで、滑らかで』
『演奏会もクライマックスだな』
『サヤは――加わらなくていいの?』
『楽器弾けないの。
正確には、弾きかたを忘れてしまった。
ある日、気づいたら弾けなくなっていた。
急に……音楽が、自分から抜け落ちたみたいに』
『ごめん……つらいこと、言わせちゃって』
『でも聴くことはできるから』
ふたりはしばし、車窓(しゃそう)を見つめ、音楽に耳をすませている。
『ねぇ、よかったらさ。
この曲に、名前、つけてよ』
『わたしが!?』
『そう、あんたが』
『どうして、サヤじゃなくって、わたしが』
『あんたの、音楽を聴いてる顔が――とっても、幸せそうだったから』
『わたしのことを『幸せそうだ』と言ってくれた人間は、
もしかしたら、サヤが最初だったかもしれない。
だれかが、『幸せそうだ』と言ってくれることほど、
自分を満たしてくれることはない。
――わたしは、いつも俯(うつむ)きつつ、生きていたのかもしれない。
だれからも声をかけられることもなく、
前も見えずに。
そんなわたしが、いまでは顔を上げて、
サヤをまっすぐ見つめている。
この列車では、だれかがわたしに声をかけてくれる。
他人(ひと)とのほんとうの意味での交(まじ)わりができる。
明るい光が、わたしの進行方向に広がっていく』
『――『体温』。』
『『体温』――か。
納得行ってるって顔してるね、自分のネーミングセンスに』
『からかわないでよ、サヤ』
『からかってない。
…そっか。この曲は、きょうから『体温』か』
『人肌で……温められている感じがしたから。
まるでだれかに、抱きしめられてるような』
『経験、あるの?』
『だからからかわないでよっ!』
『わかったわかった、照れなくていいから、こっち向きなよ』
ふたたび、「わたし」はサヤに向き合って、
『もうすぐ、演奏会も終わるんだね。
出発か。
サヤともお別れになっちゃうんだね。
サヤと、この場限りって――ちょっとさみしいな。
ちょっとどころじゃない。
とてもさみしいし……哀しい』
サヤが、真面目な面持ちになり、
『訊きたいことがあるんだけど』
『どうしたの?
サヤも嫌なの? 別れるのが』
『そういうことじゃなくって。
どこで降りたい?
あんた、どこで降りたい?』
『降りたいっていうのは――この列車を』
『そう。
この列車を、下車する場所。』
『……実は、降りる駅を決めずに、始発駅から、乗り込んで』
『だけど決めなきゃ。いずれは降りなきゃいけないんだから』
列車の駆動音が、ふたたび鳴り出され、徐々に高まっていく。
『どこで降りたい?』
『……そんな眼で見ないでよ、サヤ』
『――じゃあ質問を変える。
どんな世界を、あんたは見てみたい?』
「わたし」は、黙(もだ)して、考えて、
『……わたしが、見てみたい世界、行きたい世界』
『そうだよ、それがあんたの終着駅になる。
あんたが自由に決めていいんだよ、
あんたがあんたの意志で願った世界が、そのまま旅の目的地になるんだ。
あんたが思い描く場所まで……レールはずっと、伸びていく』
『続くのね……レールは』
『続くよ。どこまでも』
『サヤ。』
『決めた?』
『決めた、決めたよ!
わたしが思い描く、世界は――』