初めて会ったときから、実は気になっていた。
誰にも――麻井や利比古くんにも――悟られないように、気持ちは伏せていたけれど。
月並みな言葉だけれど、その人は、私のタイプだった。
だから某大型書店でアツマさんに声をかけられたとき、すごくドギマギして、言葉を交わしていても気持ちはうわの空だった。
アツマさんの顔を見るのが恥ずかしくて、おでことか首元のあたりに視線を泳がせていた。
情けなかったな。
やがて、栗色の長い髪の女の子、今までに出会ったなかでいちばん可愛い女の子――愛さんが、アツマさんのもとにやってきたとき、「やっぱりな」という諦めが、綿菓子がふくらむみたいに、私の心のなかで盛り上がっていった。
少しだけ残念な気持ちで、愛さんとアツマさんのやり取りを眺めていた。
その、ほんのちょっとの悔しさ――愛さんは、たぶん気づいていたんだと思う。
× × ×
夜、愛さんからLINEが届いた。
『夜遅くごめんね、勉強してた?』
『いまはちょっと休憩中』
『アツマくんがだらしなかったから、謝ろうと思って』
『だらしなかった?』
『なんか不誠実だったからさ、しぐれちゃんに対して。
デリカシーのかけらもなかったよね、喫茶店のときとか』
『そう?』
『もっとしぐれちゃんのこと、考えてほしかった。
しぐれちゃんの気持ちを……。
ねえ、少しだけでいいから、通話できない?』
『OKだよ。
実はわたしも、もうちょっと愛さんと話したかったから』
× × ×
『……だからね、時たますっごく無神経になっちゃうのよね、彼。気くばりできないわけじゃないのに。むしろ気くばり上手なはずなんだけど、妙なところで鈍くって、』
「よく知ってるんだね、アツマさんのことを」
『もうすぐ4年だから…一緒に暮らしはじめて』
「ひとつ屋根の下、ってやつか。
率直に言って、うらやましいな~」
『ほ、ほんとうにうらやましそうね、』
「あなたたちの関係、うらやましいけど――けど、素敵だね、って思う」
『しぐれちゃん』
「うん。」
『いつ、気づいた?』
「最初から。あなたをはじめて見たとき。」
『…あちゃー』
「わかっちゃうよ~~。だってアツマさんと話してて、あんなに自然に接してるんだもん」
『……』
「…アツマさんは、いいパートナーがそばにいて、幸せなんだなあって」
『わたしも……アツマくんがいてくれなかったら、どうしようもなくなってたかもしれない。
ひとのこと言えないな。
むしろアツマくんより、わたしのほうが面倒くさい』
「そうなの? そうは見えなかったけど、私には」
『あのね』
「うん」
『ときどき――『性格ブス』って言うんだよ、彼。わたしに向かって』
「そりゃひどい」
『ほんとにひどいよね』
「でも、アツマさんが愛さんのことをよくわかってる裏返しでもあるんじゃないの?」
『たしかに…』
「――どっちから告白したの?」
『ど、ど、どうしてそんなこというのっ』
× × ×
可愛いな、愛さん。
電話越しでも可愛いってわかる。
どうやったら、私も愛さんみたいに可愛くなれるのかな。
髪――伸ばしてみる?
× × ×
翌日。
中間テスト、絶賛開催中。
チャイムが鳴り、現代文のテストが終わったところで、親友の平原が私の席にやってきた。
「いつもより簡単じゃなかった? わたし思ったより解けちゃったんだけど」
「えっ、いつもより難しく感じたんだけど」
「……甲斐田がそう言うのって、珍しいね」
「解きにくいというか、答えを迷っちゃった問題が多かった」
平原が、なぜか私の顔をのぞきこんでくる。
「…平原? どしたの?」
「なーんか冴えないねえ、きょうの甲斐田は」
「どうしてそう思うの」
「顔に出てるよ」
『失恋でもした?』とは、さすがの平原も言ってこなかったけど、次の科目のテストを解いているあいだ、平原のカンの鋭さが気になって、あまり集中できなかった。
× × ×
――失恋なんて大げさだし、もう過ぎたことだ。
いまではアツマさんよりも、麻井のことが気になっている。
麻井が、ちゃんと中間テストを受けられているかどうかが、気がかりだったのだ。
最近、麻井の様子が、ちょっとどころじゃなく、変だったから。
麻井とは仲が悪いんだけど、彼女の暴走を止める義務もあると自覚している。
心のどこかで――麻井がダメになるのを、放っておけないんだろう。
× × ×
旧校舎の近くに、噴水がある。
噴水のへりに腰掛けて、麻井がアンパンを頬張っている。
「ご苦労さま、麻井」
「甲斐田、なにしに来たの」
「なんにもしないよ」
麻井を見下ろす。
アンパンを食べる速度、豆乳を飲む速度が、こころなしか、いつもよりせわしない。
「…テスト、ちゃんと受けてる?」
「なにそれ。とぼけたこと言うんじゃない、バカっ」
「受けてるなら『受けてる』、受けてないなら『受けてない』って答えなさいよ」
「受けてるに決まってるじゃん、受けない理由がないでしょ、受けないと卒業できないじゃん」
「そうだよね…、卒業する、っていうのは、大学受かるより、ずっと大事だよね」
麻井が豆乳をこぼした。
麻井から3メートルほど離れた位置に腰を下ろす。
麻井の横顔を見る。
血色が悪い。
冴えない、どころじゃない。
こんなことでは――。
「ね、こんど模試あるじゃん。
模試受けるの――もしかして不安?」
「まだ…まだ先のことでしょっ、いまは中間。」
「これからいろいろ現実が襲いかかってくるよ」
「なにが言いたいの。意味深な口ぶりで」
「私は麻井のこと嫌いなんだけどさ~!」
「は?!」
「でも、嫌いすぎると、好きになることだってあるんだ。」
「――死ぬほど気色悪いこと言うなっ」
「………たまには、麻井のこと、見守ってあげたいよ」
アンパンの袋を握りしめて、くしゃくしゃにする麻井。
その場から動かずに、私の言葉をずっと受け止めているだけ、偉いと思う。
「見守ってあげたいし、応援してあげたい。
ねえ、
超久々になるけど――麻井、私んち、来てみない?
私の両親も、きっと喜ぶよ。
近い内がいいな~。
だって、放っとくと、麻井ぶっ壊れちゃいそうだもん。
今いるところの居心地が悪いんだったら、さ、
甲斐田家に来て、気分リフレッシュしなよ。
…腐れ縁でしょっ。」
うずくまって、
子猫のように丸くなって、
それでも私の言葉は受け止めている、
受け止めることのできる余裕くらいならあって、
それでも――麻井は辛そうだ、苦しそうだ。
麻井が麻井でなくなる前に、
私は麻井を取り戻したい、
腐れ縁だから、
そう――腐れ縁だから、
うずくまってダメダメな麻井に、近寄って、
たっぷり1時間、ほとんど言葉を交わすことなく、様子を見てあげていた、
見守ってあげていた。
母性本能というか――、
母譲りの、優しさだったのかもしれない。