【愛の◯◯】バリトンの彼

八木家(マンション)

 

もう着替え終わって、自分の部屋の姿見で、わたし自身の身体をじっと見ている。 

 

「はー(溜息)」

 

× × ×

 

「お父さん行ってきます」

「おー、気をつけてな」

 

お父さんは、わたしが予備校に出かけるとき、『がんばってこい』とは言わずに、必ず『気をつけてな』と言う。

 

お父さんなりの、配慮かもしれない。 

 

わたしが通っているのは、駿台でも河合でも東進でもない。

無名の予備校だ。

塾、といっていいような規模の小ささかもしれない。

 

だからアットホームで、講師と生徒の距離、生徒と生徒の距離が近い。

 

”クラスメイト”の名前は、ほとんど覚えてしまった。

 

中学・高校とちがって、クラスメイトに男の子がいて、男の子の比率のほうが高い。 

 

そんな中に、工藤卓くん、という男の子がいる。

 

下の名前(「卓」)の読み方が、「たく」なのか「すぐる」なのか、いまだにハッキリしておらず、あいまいなままになっている。

 

ただ、工藤卓(くどう たく)を縮めた『クドタク』というニックネームが定着していて、みんなーーとくに男子ーーが『クドタク』『クドタク』と気安く呼びかけており、本人もそれをよしとしている。

 

わたしは、ふつうに「工藤くん」と呼んでいるけれど。

 

わたしが工藤くんを『クドタク』と呼べないのには、理由がある。

 

 

高等部時代に、放送部のコンテストで、工藤くんと面識があったからだ。 

 

工藤くんは男子校の放送部で、部員が極端に少なかったからだろう、番組制作部門にはエントリーせず、個人戦(朗読/アナウンス)にだけ参加していた。 

 

工藤くんは滑舌なめらかで、原稿を読むテンポには適切な間(ま)が生まれていて、読む技術は卓越していた。

それに加えて、工藤くんの書くアナウンス原稿は、構成が巧みでしかも劇的だった。わたしが見習いたいぐらいの文章力だった。

 

 

 

 

でも、わたしがいちばん気にいっていたのは、工藤くんの「」だった。

 

 

 

回想

・放送部コンテストの会場

 

「ねえ、八重子、工藤くんの声って、ほかの男子とちょっと違うよね」

「あんたも気づいた?

 低音だよね。

 バリトン、っていうのかしら」

 

・帰りのロビー

 

結果と、審査員の先生方の講評を受け入れて、わたしはロビーの椅子で半ば放心状態になっていた。

 

すると! そんなわたしに、工藤くんが、声をかけてきたのだ。

 

「ねえ、君、八木さん、だよね」

「そうですが」

「僕は不服だよ。八木さんもてっきり本選に通るもんだと思ってたのに」

「(いぶかしげに)それはどうも。」

「ねえ、君、アナウンサーを目指しているんじゃないの」

「(驚いて)そ、そう見えた!? わたし……」

 

「君のアナウンスを聴いていて、『努力している』って思って、さ」

「………………実は迷ってるの。

 ワセダで…いいえ大学で、社会学専攻に入って、放送局の入社試験を受けるのが、これまでの、わたしの夢だった」

「いまはちがうの?」

「ちがわないといえばちがわないけど、ちがうといえばちがう」

 

 

 

 

× × ×

 

いきなり話しかけてきたことも強烈な印象だったけれど、それ以上に工藤くんの、

語り口が、

話しかたが、

そしてバリトンみたいなの質が、 

わたしのアタマに焼きついて離れなかった。

 

 

放送部を引退したら、もう工藤くんと会うことはないんじゃないかと思うと、ハッキリ言って、さみしかった、わたし。 

 

そのさみしさは、小泉や葉山たちには秘密にしていた。

一度も工藤くんについて話したことがない。

 

その後、進路指導の先生とケンカしたり、センター試験で絶望的な点数をとったり、そのショックを癒やすために小泉と温泉旅行に行ったりしているあいだは、工藤くんの記憶は、うすれていた。 

 

 

だけど工藤くんは、再びわたしの前にあらわれた。

しかも弱小予備校の、クラスメイトとして。 

 

その事実がわかったとき、口から心臓が飛び出そうになった。

 

ただーー。

 

工藤くんの第一志望は、京都大学で、

第二志望は、大阪大学だった。 

 

 

 

 

でもーー。