【愛の◯◯】黙ってれば美人な葉山とヘッドホンの想い出

 

きのうの午後は講義が立て続けに入っていて、非常に非常に忙しかった。

ようやくひと息つける。

 

大学に――馴染んだ。

 

去年の今ごろは、予備校の空気を吸っていた。

吸い尽くしていた。

ボロい校舎の、弱小予備校で、講師と生徒の距離が近くて、みんな仲が良くて。

戻りたい、とは――そりゃ、思わないけど、

懐かしみはある。

もうひとつの母校といっても、過言ではない。

 

けれど、工藤くんとのことを想いだすと、ちょっとだけ胸がチクリと痛む。

工藤くんと食事したファミレスや、

工藤くんと並んで歩いた通りを、

いまもわたしは――避けている。

情けないオンナだって、自分でも思う。

工藤くんがトラウマになってどうすんだ、って。

 

× × ×

 

たとえば、書店で、平野啓一郎森見登美彦の本を見かけるたび、工藤くんのことがたちまちぶり返してくる。

 

連想。

京都大学

 

京大、楽しいだろうな。

東大よりも楽しそう、って勝手イメージ。

 

京大に行けたら行きたかった、なんて思わない。

工藤くんへの未練を引きずってるみたいで。

はじめっから、わたしの学力じゃ京大なんて無理無謀で――、

住む世界が――違ってたのかな。

偏差値的に、いや、偏差値以外にも。

 

工藤くん、

京都は……どうですか。

 

 

× × ×

 

 

火曜と打って変わって、水曜はラクをできる。

学生会館に入り、『MINT JAMS』の扉の前に立つ。

カギが開いていた。

もうサークルに定着しているので、とくにノックもせずに入室する。

 

鳴海さんひとりだった。

目をつむって、ヘッドホンで音楽を聴いている。

あいさつしないほうがいいのかな、音楽聴くジャマになったらいけないし。

 

書棚には、音楽雑誌がところ狭しと並んでいる。

そこから1冊抜き出して、パラパラとめくってみる。

 

めくっては戻し、めくっては戻し……の書棚との往復を、しばらく繰り返していた。

 

レコード・コレクターズ』のとある号を読み始めたときだった。

 

鳴海さんが、動く気配がしたのだ。

 

見ると、眼を開けて、ヘッドホンを外そうとしている。

外したヘッドホンを首にかけて、

「おはよう八木ちゃん」

と爽やかな声であいさつする。

 

「おはようございます。もう午後ですけど」

鳴海さんは、いつ何時(なんどき)でも「おはよう」とあいさつするらしい。

夜に会っても「おはよう」な気がする。

 

「ごめんねえ、気づかなくって」

「いえいえ。おかげで雑誌もたくさん読めましたし」

胸の前で、ヘッドホンを両手で持ちながら、

「八木ちゃんは、きょうはなんの日か知ってる?」

11月18日って、なんとなく、いろいろな記念日がありそう。

「――なんの日なんですか?」

「『いいイヤホン・ヘッドホンの日』なんだよ」

「…ああ、語呂合わせですか」

「そゆこと」

大事そうに両手で持っているヘッドホンを見て、

「そのヘッドホン、お気に入りなんですか?」

「これで音楽を聴くのが、いちばんしっくり来るんだ」

「へえ~」

「ヘッドホンは何個か持ってるんだけどね」

「こだわり、あるんですね」

「あるんですよ、こだわり」

 

「――せっかく『いいイヤホン・ヘッドホンの日』なんだし、八木ちゃんに合うようなヘッドホンを探してあげるよ」

「鳴海さんが、ですか? 自分で探しますよ」

サークル部屋に大量にイヤホンやヘッドホンが保管されていることは知っていた。

「鳴海さんの手を煩(わずら)わせなくても」

「いや、ぼくはヘッドホンにはうるさいんだ」

「それはわかりますけど……。わたしにも、探させてほしいかなー、って」

「じゃ、ふたりでやろっか」

「そのほうがわたしも楽しいです」

 

× × ×

 

色とりどり。

大きさも形状も、多彩。

 

「いまは、ワイヤレスが流行ってるみたいだけど……」

「わたし、有線のほうが好きです」

「どして?」

「ワイヤレスだと……音楽聴いてる感じがしないような気がして」

 

口から出まかせみたいなことを言ってしまった。

でも、さっきまで鳴海さんがつけていたヘッドホンも、有線だった。

 

「だけど、時代はどんどんデジタルになっていくよ」

「だからこそ、アナログ要素を残したいっていう気持ちもある」

「それは八木ちゃんの気持ち?」

「わたしの気持ちというより――『音楽にアナログな部分を残したい』って思ってるひとは、多いんだと思います」

「たしかにそれは言えるねぇ」

「有線ヘッドホン、っていうのも――ささやかなアナログ要素って、言えないでしょうか?」

「言えると思うよ」

 

鳴海さんは――わたしを、かなり、立ててくれる。

やさしい鳴海さん。

 

ふと、

葉山むつみが、高等部時代に愛用していたのと、似たヘッドホンを発見した。

わたしや葉山が卒業したのは2年も前だけれど、

記憶はまだ、ある程度、鮮明で。

 

たとえば、こんな秋の日。

放課後、木陰(こかげ)のベンチに座って、ゆったりとヘッドホンをあてて、音楽に聴き入っている葉山。

そんな情景を――何度か、わたしは見たんだと思う。

もともと、黙ってれば美人の葉山。

なにも言わず、なににも動じず、ゆったりとして音楽の世界に浸っている葉山は……間違いなく、美少女だった。

 

そんな葉山も……3日後の誕生日で、ハタチになる。

もう、少女って、歳でもない。

葉山もわたしも。

 

「でも……なぜか知らないけど、葉山の外見、高等部のころから全然変わってない気がする。

 あの当時から、完成されてたのかな。

 妬(や)けるな。」

 

「……八木ちゃん!?」

 

眼を丸くして、気づかうように、鳴海さんが、わたしの顔をうかがう。

 

「すみません、なんでもないんです」

「葉山、さんって……きみの、同級生の子だっけ」

「知ってましたか」

「きみとルミナちゃんが、前に話してた」

「あ、そうか」

 

なにが、「あ、そうか」だ――と、自分で自分にツッコミを入れつつも、

 

「――わたし、葉山を追いかけてるんです。

 まぶしいから、追いかけてるんですけど。

 とってもとっても、まぶしいから。

 追いつけない気もする。

 だからこそ、追いかけたい。

 追いかけてばっかりな気も、正直しますけども。

 工藤くんといい――そんな存在が多くて。

 だけど、だからこそ、いま、がんばれるんです」

 

「工藤くんって……だれ??」

 

鳴海さんの疑問は当然だけど、あえて答えてあげない。

 

とりあえず――、

今度、葉山に会うのが、楽しみ。