【愛の◯◯】幼馴染との旅々!?

 

今日はキョウくんがわたしの家に来てくれている。嬉しい。万馬券を的中するより100倍嬉しい。

キョウくんは、わたしの部屋の入り口間近に立っている。わたしの2メートル前。

今日は『パターン』を変えてみたかった。

というのは。

「キョウくん。さっそくだけど……」

「? なになに、むつみちゃん」

まずは距離を詰めていく。50センチ未満の至近距離まで歩み寄る。キョウくんの顔を見上げてみる。わたしを不思議そうに見下ろす彼。これからわたしが何をするのか疑問なんだろう。その表情が何だか可愛かった。可愛かったから、彼の上半身に対してどんどん前のめりになっていった。彼の胸元にもう少しでわたしの顔が当たりそうになった。寸止めのように前のめりをいったん停める。焦らしたいから。『ゴクン』という音が聞こえた。その音でいっそう嬉しくなる。一気に、彼の上体に向かって両腕を伸ばす。そして、その両腕を彼の背中の中心に回していき、彼を引き寄せる。

抱き締めたら、温かかった。さっきまで、わたしの部屋の室温が低めだったから、ちょうどいい。彼の温もりでポカポカになる。心地良さのあまり、ほにゃ〜ん、とした気分になってしまう。それは夢見心地みたいな気分で、甘えたいレベルがレベル100を超越してしまいそうで……。

「……大胆だね」

キョウくんは、コメント。そのコメントのおかげで、くすぐったさが倍増しに。

「いつもは、たっぷりと時間をかけて、あなたに寄り添っていくでしょう? スキンシップを始めたのが、あなたが帰る間際になっちゃったコトも多かった。今日は、帰る間際の逆。『出オチ』と言ったらそれまでだけど、最初からクライマックスにしてみたかったの」

説明した後で、むしゃぶりつきレベルを上昇させていく。キョウくんが家にやって来てから15分も経っていない。出会って15分でハグ。幸いにして、両親は外出中。ここは、誰にも咎められない空間。

 

× × ×

 

まだ照れているキョウくんが、わたしの眼前(がんぜん)であぐらをかいている。

小さな楕円形のテーブルを挟んで互いに腰を下ろしている。わたしは、両膝をぴったりと床につけ、両脚を左斜め後ろに向かって伸ばしている。男の子はこういう姿勢ができないらしい。

ゆるりとした手付きで、クッションの上に置いていたソフトカバーの本を手に取る。ゆるりとした速度で、本をテーブル上に置き、すうっ……とキョウくんに向けて差し出す。

「連絡してた通り、借りた本を返すわ」

「もう読んだんだ。早いね」

「読みやすかったから」

「でも、かなりページ数が多かったでしょ。おれはこの本、読み通すのに1か月もかかっちゃったよ」

「かける時間は人それぞれよ。……この小説、佳(よ)かったわ。いろいろと勉強になった」

本のタイトルは、

『小説 小田急SE車を創った男たち』

だった。

小田急3000形『SE車』。日本鉄道史に多大な影響を与えた名車。1950年代にSE車の開発に関わった男(ひと)たちをモデルにした、ノンフィクション・ノベル的な鉄道小説。

キョウくんは照れ笑いでもって、

「良かった良かった。『いろいろと勉強になった』と言ってくれて嬉しいよ。どんな感想が来るのかハラハラしてたんだ」

ふふっ。

「面白くてためになる小説だった、んだけど……。改善の余地もあって」

「改善の余地、かぁ。具体的に教えてよ、むつみちゃん」

「文体」

「ブンタイ?」

「平たく言うなら、文章力よ。こういう半分ノンフィクションの小説には良くあるコトだけど……書き手が小説を書くのに慣れていないのか、読み応えに欠ける文章が産まれてきてしまうの」

「あー。むつみちゃんは、もっと本格的な小説が好きなんだよね」

本格的な小説なるモノの定義をこねくり回していたら厄介なコトになっちゃうので、

「普段はもっと尖った小説を読んでるから、それだけ『落差』が眼についちゃったのよね。内容は面白くてためになったから良いんだけど、内容と同じくらい『形式』も重要なんであって」

わたしの背後の本棚には、いわゆる『ヌーヴォー・ロマン』の作品群がたくさん並べられている。

「だけど、イチャモンをつけ始めちゃったら、際限が無くなるし。わたしは満足よ、この本に。貸してくれてありがとう」

微笑みのキョウくんは差し出した小説本を手に取る。

それから、

ロマンスカー、乗ってみたくなった?」

と言う。

ちょっとドキドキしちゃう。

なぜか?

眼前の彼と『乗ってみたい』というキモチは前々からあったけど、実際に乗る機会は未だに無かったから。

 

× × ×

 

「おれさ、今日、『せっかくだから』と思って、本を持ってきたんだ」

「その本も、わたしに貸すための?」

「ううん。きみと2人で見てみたかったんだよ」

「えっ。見る……って」

「なーんか、顔、赤くなってない?」

「な、ないわよっ!」

大きな判型の本が彼のバッグから出てくる。彼は「本」と言ったけど、雑誌が別冊で出している「MOOK(ムック)」と言った方がより正確だろう。表紙には大きく鉄道車両の写真。堂々とした車体の列車が、日本のどこかを走っている。

日本国有鉄道が、『ディスカバー・ジャパン』というキャンペーンを行っていたコトは、キョウくんに教わっていた。山口百恵の「いい日旅立ち」的なアレである。なぜだか、MOOKの表紙写真を見て、頭の中に「いい日旅立ち」の旋律が流れてきてしまった。

『ディスカバー・ジャパン』なんてわたしの両親が子どもの頃のキャンペーンじゃないの。世代的には、ディスカバー・ジャパンより『アンビシャス・ジャパン』よ……と、昭和っぽい旅情風情を頭の中から振り払おうとする。

振り払おうとしていたら、キョウくんがMOOKのページをめくり、海岸沿いを疾走する緑色の列車の写真が大々的に掲載されている見開きページをわたしに見せてきた。

「……キョウくん? この車体の色って、もしかして」

「あ、感づいた? むつみちゃん」

トワイライトエクスプレスの色じゃないの。幼少期からあなたは、重度のトワイライトエクスプレス信者で、『北斗星カシオペアよりもトワイライトエクスプレスが好きだ!!』といつもいつも言っていて……」

「よく憶えてるねー」

「簡単には忘れない。あなたとの記憶なんだもの」

「おれ、たしかにトワイライトエクスプレス信者なんだけど、『重度』は余計だったかな」

「……それはゴメンナサイ」

「縮こまらないでよー。もっと写真、見てみてよ」

鮮やかな緑色の車体。その写真の傍らには、

『TWILIGHT EXPRESS瑞風(みずかぜ)』

と書かれていた。

トワイライトエクスプレスは廃止になったのよね? これってもしや、トワイライトエクスプレスの後継的な……?」

「ズバリだ。さすがにむつみちゃんは賢いね。高校時代に京大模試で全国3位になっただけはある」

「……どうしてそんなコト憶えてるの。わたし、結局、大学受験自体しなかったから、京大模試全国3位なんて何の意味も……」

「あるだろ〜? だってきみは、『これから受ける』予定なんだから」

「……そうだったわ、確かにそうね」

JR西日本、良い仕事もしてくれるもんだ。でも、『瑞風』がいつまで走ってくれてるかは分かんない。走るのを辞める前に乗ってみたい。何事も『善は急げ』であって」

善は急げ、と言ったキョウくん。彼の発言の意図が、じわじわとわたしに染み込んでくる。

つまりは。

「あなたのキモチを、先取りしちゃうみたいだけど」

前置きして、軽く息を吸ってみる。

そしてそれから、

「キョウくん、あなた、『瑞風』に、わたしと一緒に乗ってみたいのね?」

彼のほっぺたが淡い熱を帯び始めた。

わたしの体温が1℃上がった。

仄(ほの)かに赤くなってきている彼は、

「きみと旅行したのって、小学校低学年の頃が最後だったじゃんか」

「……家族旅行だった。あなたの家とわたしの家の、合同で」

「久方ぶりの旅行も、悪くないと思うんだ。もっとも――」

彼は一拍(いっぱく)溜めてから、

「――今度は、きみとおれの、2人だけで」

わたしは懸命にキョウくんの日焼けした顔を見つめた。

マジ顔のキョウくんもわたしの顔面に向かって懸命に視線を伸ばしてきた。

静寂が走る。

しかし、しかししかし、ここでドアのノック音。お母さんのノックであるとしか考えられない。いつの間にか両親は帰宅していて――。

立ち上がったのはキョウくんの方だった。ドアを開き、わたしのお母さんに応対する。

『盛り上がってるー? お菓子買ってきてあげたわよー。『シャルロッテ』って名前のやつ』

『ありがとうございます。盛り上がってるというか、楽しくて仕方無いです。むつみちゃんと居ると、どれだけ時間が経っても飽きないです』

こういった会話をBGMにしながら……わたしは、MOOKの『瑞風』の写真すらも直視できなくなり、顔面の派手な炎上も鎮火できなくなっちゃう。