Tシャツを着ようとしていたら、親友の久里香(くりか)から電話がかかってきた。
机の上のスマートフォンに向かって、
「ちょっと待って。もう少しでTシャツ着終わるところだから」
と言うんだけど、
「ほ〜〜〜っ」
という久里香の変声(へんごえ)が聞こえてきて焦ってしまう。
「な、なにその声、久里香」
「エロいぞー、あすかー」
「どどどこが!?」
「まだ完全に着終わってないんでしょ? 『そこ』だよ」
「『そこ』って、どこ」
「あすかのご想像にお任せします」
どうしようも無い親友。
シャツを着終えたあとで、深めに息を吸って吐く。机の前の椅子に座り、スマホを見る。
「着替え終わったよ、久里香」
「ひとりでよくできました」
「ボケ過ぎだから。日曜の午前中から……」
「だって日曜だし」
「どういう理屈?」
「理屈なんて無いよ。わたしはロジックでは動かないのだー」
残念な親友だ……。
「わたし、あんたよりはもう少しロジカルだから」
「だねー。あすかが書く文章、ちゃんとしたロジックが全体に貫かれてる気がする」
なんでそこを理解してるのに自分自身はロジカルじゃ無いのかなぁ。
親友のコトが気がかりになってしまい、肩を落とす。
× × ×
「ねー、あすか。温泉旅行、興味ある?」
「いきなり何!? なんで温泉旅行だなんて。わたし、大学の後期が始まったら忙しくなるんだよ。なかなか旅行なんかできないよ」
「箱根〜」
「箱根がどうかしたの」
「あれっ、箱根がどこら辺か知らないの? あすかはもうちょい賢いと思ってたのに」
「知ってるよっ。神奈川県の西の方でしょっ」
「そーそー。箱根だったら近くない? 近場だから、忙しい合間をぬって行くコトができるんじゃない?」
「……久里香と2人で行くってコト?」
「そーだよ。ロマンスカーに乗って、2人旅」
「ロマンスカーにわざわざ乗らなくたって」
「ロマンスカーに乗らないで箱根に行く選択肢なんて無いよ」
「久里香ってそんなに電車とかにこだわりがあったの。ロマンスカーをゴリ押しして……」
「あすかは鉄道趣味とかには興味無いの?」
「これっぽっちも無い。」
「鉄道車両の写真とか撮るの、結構楽しいよ?」
「まさか、大学で鉄道サークルに入ってるとかじゃないよね?」
この問いに久里香は答えるコト無く、
「わたしら互いに『フリー』でしょ。現在(いま)、どっちも彼氏いないじゃん。フリー同士で温泉行って、お湯で女子力高めて、夜は布団に隣同士で女子力をさらに高めるトークを……」
「……久里香って、昔はそんなに、『女子力』なんてコトバ使ってなかったよね」
「女子大学生だから、敢えて女子高校生が連呼するようなコトバを使う」
ロジックの破綻だ。
それに、
「イマドキの女子高校生、『女子力』なんてコトバ、多用するかなぁ?」
「するんじゃないの? 検証したコトなんか無いし、今後も検証するつもりなんか無いけど」
わたしはため息をついてから、
「アルバイトが忙しくならなければ、考えてみても良いよ」
「南浦和のカフェレストラン」
「そう。ランチタイムまでしか営業せず、スタッフはご主人とわたしの2人」
「ご主人ってカッコいいの?」
「……ご主人はオジサンだよ??」
「あちゃー」
「『あちゃー』じゃないっ」
「あすかに怒られた」
「軽く叱っただけだから」
「叱ってくれてありがとう」
……わたしはため息を我慢できない。
× × ×
箱根の旅館を事前リサーチしているらしく、お宿情報をペチャクチャと喋り続ける久里香。
ウンザリしていたら、
「――ところで、ここ最近の利比古くんの様子は?」
といきなり訊いてきたからビックリ。
鼓動の速まりを自覚しつつ、
「は、箱根のコトはもう良いの、久里香っ。急に話題を打ち切られるとビックリしちゃうよっ」
「あんたの部屋と利比古くんの部屋って距離が近いんだよね」
「……近いけど?」
「近かったら、簡単に出入りができる」
「……利比古くんは、オトコノコだし」
「でも、彼の部屋に入っていくコトもあるんでしょ?」
あるよ。
あるけどっ。
「不穏な下心でもって喋んないでよっ、久里香」
たしなめる。
でも親友は、シカトして、
「彼の方からあんたの部屋に入っていくコトだってあると思う。……Tシャツを完全に着てない時にノックされたら、困るよね」
「だからっ、そーゆー下心っ!!」
「――それで、利比古くんは元気なのかな? 矢印は上向きと下向きのどっちなのかな」
いつの間にか、わたしはスマホを右手で掴んでいた。余分なチカラを入れてスマホを握ってしまう。
矢印。上向きか下向きか。虚偽の報告はしたくないし、曖昧な答えも言いたくない。だから、現在の彼の『ありのまま』を素直に言いたいと思う。
依然としてスマホを握る右手にチカラは入っているけど、
「下向き。ここしばらく、『参ってる』ような状態が続いてる」
「え、ナーバスになってるの!? あんなにイケメンなのに」
「イケメンだってナーバスになる時はなるでしょーがっ」
「確かに。あすかのコトバの方が、筋が通ってる」
「本人のプライバシー尊重で詳しくは言えないけど。いろいろな出来事が彼にはあったんだよ」
「追い込まれてる感じか。起こった事態に」
「そんな感じ」
「追い込まれてる利比古くんの顔を見るとドキドキしちゃうんじゃない?」
「だ、誰が」
「アンタだよ、あすか」
脳内がこんがらかってくるわたし。
「追い込まれると、絶対の絶対に、イケメンに拍車がかかってくるよねえ?」
「あ、あのね久里香。確かに彼は2枚目俳優みたいだけど、顔のコトばっかり言うのは、どーかと思うよ?」
「『中身も大事でしょ』って、あすかは言いたいんだ」
「そういうコト。彼の内面にも、気を配ってあげて……」
「偉いねえ。偉い偉い。彼より1つ年上の優しさが滲(にじ)み出てる」
「これぐらいの彼に対するフォローは……するから。」
「ね、ね、今は、利比古くん、どこに居るの?」
「居る可能性が高いのは、階下(した)のリビング。たぶん、タブレット端末いじったりしてる」
「じゃあこのあと、階下(した)に下りて慰めてあげなよ。彼のナーバスを癒してあげなよ」
「……恥ずかしいセリフ言っちゃうかもしれないから。慰めて癒してあげようとしたら、カラダにチカラが入り過ぎて」
「へえぇ」
俯いて、縮こまり気味になり、無言になってしまうわたし。
「彼への対処にずいぶんと悩んでるみたいだね」
と久里香。
そうだよ。その通りだよ、久里香。
前よりはずっとずっと、悩んでる。前だったら、彼が落ち込んだりしてたら、もっとズバズバ言ってた。だけど、振り返ってみたら、彼に攻撃的に接し過ぎてたんだと思う。
彼に対する意識が様変わりした。だから、接し方も変わった。
変わった意識が、今後どうなっていくのか、分からない。誰にも分からないし、わたし自身にも分からない。
椅子から立ち上がり、ベッドへと歩み寄り、スマホをベッド上に置き、自分の背中をベッドに委ねた。
勢いよく背中をつけたから、Tシャツが少しめくれ上がり、お腹が見えてしまった。めくれ上がったTシャツの裾を急いでつまみ、お腹を隠した。