学修室での読書会が終わったところだ。
「また次回もよろしくね、羽田さん」
哲学科同学年の女の子が言ってくれる。
「羽田センパイの語学力にはいつも助けられてます」
哲学科3年の後輩クンが言ってくれる。
わたしの語学力に感謝してくれた後輩クンが退室してゆく。その背中を微笑みながら見送るわたし。
例によって(?)、学修室には、助教の堀之内先生とわたしのふたりしか居なくなった。
「堀之内先生、もう少しこの本を読んでいても良いですか」
「勿論」
よし。読むぞ。
それから小一時間は哲学書の文章に集中していたワケである。
しかし、読んでいる最中に「思いつき」が生まれた。
「思いつき」とは……。
バッ! と少し大仰に哲学書から顔を上げる。そしてデスクに居(お)られる堀之内先生に熱い視線ビームを伸ばす。
「? どしたの、羽田さん」
わざと甘めな声を作って、
「ちょっとお訊きしても、よろしいでしょうか?」
「え? 訊くって、何を」
「先生は――」
と言ってから少し息継ぎして、
「――伊吹みずき先生と、最近お会いになられたりしましたか?」
「んんんっ」
あらあらー。
堀之内先生、相当な焦りが生じてきてるみたい。
わたしには分かる。彼、伊吹先生と最近顔を合わせたんだわ。
伊吹みずき先生。わたしの女子校時代の最大の恩師。実は『伊吹』は旧姓で、本当は『白川』先生。でも旧姓云々はトリビアルな要素に過ぎない。
「堀之内先生の、その焦りぶりは、もしや――」
「ど、どうして、羽田さんは、そんなに鋭いのかな」
わたしの予想が見事に的中した。万馬券を1点買いで仕留めた気分。
まー、万馬券の比喩云々は勿論トリビアルなんだけど、さておき重要なのは、伊吹先生と堀之内先生が顔を合わせたコトの詳細。
「たしかに、みずきには、会ったよ。だけど、1対1の様相は呈してなかったんだ」
なーんか堀之内先生、おかしな口ぶり。
「その場には、堀之内先生と伊吹先生の他に、何人のお方が?」
「他には4人だった。男女ともに2人ずつ。男女比3対3だった」
「……青春の延長戦かな。」
「は、は、はねださん!?」
突拍子もなく、イジワルなコトをわたしが言っちゃったから、堀之内先生の声がハウリング。
「先生に向かって失礼な口をきいてしまってスミマセンでした」
ちゃんと謝るスキルぐらいは持ち合わせているわたし。
まったく恐縮なんかせずに、明るく謝ったんだけどね……!
× × ×
「男女比3対3の飲み会に伊吹先生と堀之内先生が参加したんだって。男女6人秋物語ね」
「何だよ、男女6人秋物語って。バブル時代じゃねーんだぞ。あの時代のテレビドラマの名前を捩(もじ)るなんて、ダサい……」
「ダサいって言ったわね!?」
ちょっとピリピリしちゃったから、ピリ辛のコンニャクの炒め物が盛られているお皿を、アツマくんのもとから強奪する。
「コンニャク、もうあげないわよ」
「ズルいぞー、愛よ」
何がズルいのよ。
「まったくもうっ。堀之内先生の口から『伊吹先生ニュース』が伝わってきたから、嬉しい気分だったのにっ」
「伊吹先生ニュースぅ?? なんやねん、ニュースって」
「関西弁モドキのツッコミはマイナス100ポイントよ」
「ポイントシステム継続なのかよ。めんどくせ」
「伊吹先生のお子さん、どんどん大きくなってるらしいわよ!!」
「ポイントシステムはどうした」
「男の子なのよ。お喋りが大分(だいぶ)上手になってきたんだって」
「あのさぁ」
「なぁに、アツマくん?」
「おまえ、伊吹先生んとこに、会いに行けば良いじゃんか」
言ってきたわね。
そう来るのは、予測済み。
わたしは右人差し指を3回軽く振る。『ちっちっち』と言わんばかりのジェスチャー。
ジェスチャーを見て困惑の色が浮かび始めた彼氏に向かい、
「わたし、自分自身に約束をしているの。『伊吹先生には、来年の教育実習で母校に帰るまで、敢えて会わない』って」
と、余裕アリアリに言う。
わたしの打ち明けに対し、
「おまえは来年度まで大学に通う。普通の1年遅れで教育実習をやる。そのために母校に行く。それまで、伊吹先生との再会をガマンするってか」
「街なかで偶然出会っちゃったら仕方無いけどね」
「その可能性、大いに有りそうだが?」
「だからあなたは甘いのよぉ」
「は!?」
× × ×
食器洗いと食器拭きをアツマくんに丸投げした。悪い女。
リビングの奥まった場所に、わたしだけしか使っちゃいけない小ぶりのテーブルがある。
そのテーブルに向かってやるコトはいろいろと存在するんだけど、やるコトのメインの1つとして、プライベートな日記を書く作業がある。
ふたり暮らしといえどプライベートはプライベート、プライバシーはプライバシー、秘密は秘密だ。もし彼氏が、日記を書く最中に接近してきたら、愛ちゃん特製パンチを2発お見舞いする準備はできている。
『おーい、愛ー、テレビ画面で、ベイスターズ公式YouTubeチャンネルの動画でも視(み)ないかー?』
背後からアツマくんのコトバが飛んでくる。わたしの彼氏はソファに腰掛けている模様。
わたしは一切振り向かず、
「あと70分待って。日記を書いてるから」
「70分? 中途半端な数字だな」
「古◯敦也の公式チャンネルの動画でも漁って楽しんでるのが良いわ」
「まーた、デンジャラスな発言を……」
どこがデンジャラスなのよ!?
あなたの感覚、疑わしいところが幾つ存在してるのかしら!?
勢い余ったわたし。
勢い余って、日記帳に書き足したモノ。
それは、伊吹先生の似顔絵と、堀之内先生の似顔絵だった。
伊吹先生は実際より美しく、堀之内先生も実際より若々しく……。