【愛の◯◯】弟に 「腕を貸して」と 日曜日

 

いつもより遅く目が覚めた。

夜遅くまで起きていたからだ。

夜更かしの名残(なご)りのように、少し頭が痛む。

その鈍い頭痛を引きずりつつ、枕の近くに置いていたCDに手を伸ばす。

けれど、クラシック音楽を流す気分には、今ひとつなれない。

だから、いったん掴(つか)んだクラシックのCDを手放す。

そして、これもまた枕近くに置いていたMr.Childrenのベストアルバムを手に取り、ベッド近くの丸テーブルの上にあるラジカセにCDを突っ込む。

再生ボタンを押す。

わたしが産まれる前の楽曲が流れてくる。

その楽曲の中には、かなり直接的なラブ・ソングもあって……それが耳に入ってくると、背筋がゾワリとなったり、ヒヤリとなったりしてくる。

やがてそのようなラブ・ソングに耐えきれなくなってきてしまう。

もちろん、ミスチルのせいではないし、桜井和寿さんのせいでもない。

原因は、自分自身に……。

『自戒を込めて』なのかどうかは判然としないけれど、とにかくわたしはCDの演奏を停止させる。

それからわたしは、読書のほうに興味を移す。

150ページあたりまで読んでいた文庫本の小説を読み始める。

祈りながら読み始める。

なにを祈りながら、なのか?

濃厚な恋愛描写が、出て来ないこと。

それを、祈りながら……わたしは読み進めていこうとするのである。

 

× × ×

 

ありがたいことに、キャラクター小説的な色の濃いその作品は、第3章以降、妖怪となったニホンオオカミの親子愛を綿密に描写していて、200ページを過ぎても、語り手の女子大学生と探偵役の青年との関係性が進展する気配がない。

この2人の関係性はどうやら、ライトなまま。進展するにしても、続編以降のことなのだろう。

『もし、この妖怪譚(たん)に続編があるとしたら、の話だけど……』とココロの中で呟いた。

ココロの中で呟いたとたんに、部屋をノックする音が聞こえてきた。

このノック音は――。

立ち上がり、ドアに歩み寄る。

『亜弥』

とわたしの名を呼ぶ声がする。

やはり母だった。

わたしは鍵のないドアを開ける。

 

× × ×

 

朝食に促されたのだった。

新聞をぼんやりと見ながらトーストを齧(かじ)る。

「お行儀悪いわね」

母の小言(こごと)。

「たしかにお行儀は悪いけど、新聞の社説を読んでるから、それで帳消し」

「なにそれ」

強引に言い返したわたしに対して、母は苦笑い。

朝日が燦々(さんさん)と降り注(そそ)いでいる。

わたしが今見ている新聞は全国紙だが、これが朝日新聞であるかどうかは伏せておく。

理由は無い。

「もうすっかり春ね」

窓の外を覗き込むようにして母が言う。

それから、ホットミルクを口に運ぼうとしているわたしの顔面に視線を移す。

「亜弥も、そう思うでしょ?」

訊いてくる母の表情と口調に、かなり意味深なものが……籠(こ)められているような、そんな悪寒がしたので、黙りこくってホットミルクを飲むことに集中する。

 

× × ×

 

母がダイニング・キッチンを去ったかと思うと、今度は弟のヒバリが入ってきた。

「ちょうど良かったわ」

ヒバリを呼び止めるように言い、

「あなたもたまには、新聞を読みなさい」

と、某全国紙を渡そうとする。

「姉ちゃん知ってんだろ? 新聞なんか、一度も読んだことねーんだぞ」

汚い口調ね……。

どんどん、姉のわたしとは、似ても似つかなくなっていく……。

「あのね、新聞の文章は、中学生でも読めるように書かれているそうよ」

「ソースは?」

「ソースではなく『出典』と言いなさい」

「やだね」

「……。

 実は、出典がどこだったか、曖昧なんだけど」

「ダメじゃね―か」

 

たしかに……。

たしかに、そうね。

ダメなのかもしれないわね、わたし。

いろんな意味で。

とりわけ。

とりわけ、この前の卒業式の日は……これ以上無く、愚かだったわ。

 

羽田利比古くんに、あんな真似(マネ)をしちゃうなんて。

羽田くんに。

羽田くんに、羽田くんに、わたし……!!

 

「ど、どーした。いきなりガバッと立ち上がって――」

「ヒバリ」

「な、なんだよ姉ちゃん」

「腕。腕を、貸してちょうだい」

「は!?」

「腕を貸してって言ってるでしょっ」

 

「わけがわかんねえ」とヒバリが言うと同時に、腕を掴(つか)んでいた。

あの日。

卒業式の日。

卒業式のあとで。

あの部屋で、ふたりきりのあの部屋で、わたしが掴んだ羽田くんの腕と――同じほうの腕を。