夕暮れまであと少しの時間帯。ぼくの部屋。
タブレット端末から充電ケーブルを外し、ベッドの近くまで運ぶ。ベッドのそばのカーペットに腰を下ろし、タブレット端末のロックを解除しようとする。
PINコードの数字4桁をなかなか思い出せなくて焦る。
脳にも指にも定着しているはずの数字4桁なのに、なかなか出てこない。気温は高めのはずなのに背中が冷えてくる。
脳を振り絞り、数字4桁の記憶をようやく蘇らせる。
どうにかロックを解除できたタブレット。やることは1つ。『W』1文字のアイコンに指を伸ばす。
Wikipediaを閲覧したかったのである。
『テレビ金沢』と入力し、記事を表示させる。
『テレビ金沢』。石川県で3つ目にできた民放テレビ局。慣れていないと、『石川テレビ』と混同してしまう。テレビ金沢は日本テレビ系列であり、石川テレビはフジテレビ系列である。そして、石川テレビの方が開局が早い。つまり、石川県では、フジテレビ系列局の方が日本テレビ系列局よりも早く開局したのである。
……さて、記事を読み込んでいかねばならない。
タブレットの画面に右人差し指を近付ける。
『テレビ金沢関連情報を全部インプットするんだ』とココロに決め、画面をスワイプしていこうとする。
しかしながら……。
× × ×
終始下向きで階段を下り、『リビングB』へと向かう。
『リビングB』の領域に入り、下を向きっぱなしだった目線を少し上昇させる。
背の高い女性がソファに座っている。床に向かって伸びる長い脚が眼に食い込む。
このお邸(やしき)の住人ではない。
今日から2泊3日で邸(ここ)に滞在する太刀川(たちかわ)ヒカリさんが、もう既にやって来ていたのである。
無難に足を動かすぼくは、無難にヒカリさんの真向かいのソファに近付いていく。
ソファに着座すると同時に、
「こんにちは、ヒカリさん」
と挨拶する。
『こんにちは』を言うべきか『こんばんは』を言うべきか微妙な時間帯だった。結局『こんにちは』を選択した。
『こんにちは』の声に勢いが無かったのを自覚する。ヒカリさんではなく、ヒカリさんとぼくの間に横たわっている長テーブルに眼を凝らしてしまう。
「こんにちは、利比古(としひこ)くん」
ぼくの姉に匹敵するぐらい涼やかで美しい声を出すヒカリさん。
「このお邸、リビングが幾つもあるけど、ここは『リビングB』だったっけ」
「はい、そうです」
彼女の問いに答えると、
「長テーブルの上に雑誌が置いてあるけど、もしかして、利比古くんの私物?」
彼女が鋭くて、目線が上がる。
170センチ前半の彼女の全身が視界に入る。168センチのぼくよりもスタイルがいい。コーディネートがスタイルの抜群さを際立たせている。ぼくの姉なんかよりもファッションセンスが断然上だ。
「そうなんです。ぼくが毎月読んでる雑誌なんです。放置してしまってたので、回収したくて」
眼前(がんぜん)の彼女のコーディネートを詳細に解説していくのを諦めて、問いに答える。
「そのために、『リビングB』まで来たのね」とヒカリさん。
「はい」とぼく。
ヒカリさんの薄茶色のショートボブには髪飾り。蝶々(ちょうちょ)を象(かたど)っていると思われる髪飾りはシルバーカラーで、自ずから光り輝いてる。
「あれ」
何かに気付いたのか、ヒカリさんが短く声を発する。
「利比古くん、あたしの顔に眼を向けながら、雑誌を手に取ろうとしてるじゃないの」
誤魔化せなかった。鋭すぎる。
「髪飾りに眼が行ったんじゃないの? 違う??」
いとも容易く見抜かれた。雑誌回収どころではなくなり始めてくる。
「今日の髪飾りには自信あったから、注目してくれて嬉しいわ♪」
涼やかで美しい声が鼓膜を震わせる。
なんとか雑誌を手に取り、なんとか背中をソファにくっつけるが、またしても、姉と同い年で姉と同等に輝かしき女性を直視できなくなってしまう。
「あらー?」
またもや何かに気付いたらしく、輝かしきヒカリさんが声を伸ばしてくる。
ぼくの胃袋がキュウッ、と疼(うず)く。
「もしかして、ナーバスなの?」
簡潔にして鋭利な問い。
『ナーバス』の4文字が、ぼくを切り裂く。
「顔色、よろしくない気がするもの。前に会った時の顔色は、今よりもっと『よろしかった』し。せっかくお姉さん譲りの美形フェイスなのに、出し切れてないじゃな~い」
幾つもの汗の粒が背中に産み出されていってしまう。
縮こまらざるを得なくなるぼくのカラダ。ヒカリさんに圧倒されるがゆえに、ヒカリさんよりも小さくなる。
人生相談モードに突入していってしまうのを何より恐れるが、これはもう、必然的に、必然的に……!!