圭二のJ-POP講座 「浜田省吾のジレンマの巻」

圭二「前回1991年の話をしたので、今回は1992年の話をします。

 あまり91年と変わりません。フジテレビのドラマの主題歌になった曲がたくさん売れています。

 

君がいるだけで

君がいるだけで

 

  例えば年間1位の米米CLUBの『君がいるだけで』という曲、これは『素顔のままで』というフジテレビ系ドラマの主題歌でした。

 さらに、年間2位の『悲しみは雪のように』という曲も、愛という名のもとにというフジテレビ系ドラマの主題歌でした。

 

 『悲しみは雪のように』は、浜田省吾というシンガーソングライターの曲です。もともと原曲は、1981年に浜田省吾が出したアルバムに収録されていました。『愛という名のもとに』で使われた92年版のシングルは、アレンジが大きく異なっています」

 

七鳥子「浜田省吾さんは、下積みが長かったんですか?」

圭二「非常に鋭い!!  

 彼は、バンドがうまくいかなかったり、ソロデビューしても意に沿わないプロモーション活動をさせられたり、思うように行かない時期が長かったんです。

 そうですよね、編集長?」

 

編集長「広島県出身のミュージシャンって多いよね~

圭二「『はい』か『いいえ』で答えてください! (;´Д`)」 

 

イチロー浜田省吾って広島県出身だったの?」

圭二「そうだよ。

 話を戻すと、92年版『悲しみは雪のように』は170万枚も売れました。ただ、これもまた、浜田省吾の意に沿わないことだったかもしれない」

七鳥子「どうしてですか? ようやくブレイクしたのに!」

圭二「売れすぎたんだ

七鳥子「?」

 

圭二「曲が、桁違いに売れると、本人の意に沿わないパブリックイメージがあらわれてしまうこともあります。

 浜田省吾の場合、『悲しみは雪のように』だけが突出して売れてしまったので、『浜省=悲しみは雪のように=愛という名のもとに』という認識が生まれてしまう。

 極端な話、”浜省は(『悲しみは雪のように』だけの)一発屋というレッテルすら貼られてしまう。それは、浜田省吾本人にとって、むしろ悲しいことではないかと思います」

 

 

The History of Shogo Hamada―Since 1975

The History of Shogo Hamada―Since 1975

 

 

編集長「こういうCDを持ってきたよ」

圭二「聴いたことないですね……」

編集長「( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン ( ‘д‘⊂彡☆))Д´) パーン」

圭二「なんなん、さっきから!?」

編集長「うちの編集部員ならこのアルバムくらい聴いとけや!!

圭二「はぁ……(-_-;)」

 

編集長「まぁ、さっき圭二が話してたことは事実だと思うよ。

 それから、92年は尾崎豊が死んだ年だね」

七鳥子「誰ですか? (*´ω`*)」

編集長「( ゚∀゚)・∵. グググググハッ!! ( ゚∀゚)・∵. グハッ!!」

圭二「( ゚∀゚)・∵. グハッ!!」

イチロー「( ゚∀゚)・∵. グハッ!!」

 

・その場に倒れ込む編集長と圭二とイチロー

七鳥子「えっ……(;´Д`)

 ちょっと待ってください、この部屋から人の気配が消えてしまったんですけど……(;´Д`)」