マンションのお部屋のリビングで、文字通りゴロゴロしている。リビングの奥から手前へと、横たえたカラダを転がしながら行ったり来たり。
リビングの中(なか)ほどで、カラダの転がりが止まる。思い出したのだ、昨日のアカちゃんの優しさを。夕方に彼女の邸(いえ)に行ったら、慰(なぐさ)めのスキンシップをしてくれた。頭をナデナデしてくれたり肩を寄せてくれたりして、未(いま)だに打ちひしがれているわたしを癒やしてくれた。
もう気温が上がっているから、午前中の室内を冷房で遍(あまね)く冷やしている。
そんな中であっても、
『アカちゃん、あったかくて、やわらかかったな』
という感情を抑えきれないから、冷房によるヒンヤリとした感じとアカちゃんによるヌクヌクでフニフニな感じがミックスされる。
一夜明けても昨日のアカちゃんを肌に感じ続けているんだから、ほんとーにどーしよーもないわたしである。
正午が近付いていたので、お昼ごはんを食べるためにマンションを出た。
向かった先は、近所の某・蕎麦屋チェーン。都内のいろんな蕎麦屋チェーンが思い浮かぶかもしれませんが、屋号なんて晒すワケありません!
何を隠そう、わたしはお蕎麦大好き女子なのである。物足りないのだ、こういう暑い時期に冷たいお蕎麦を啜(すす)るコトができないと。そうめんも好きだけど、お蕎麦は別格。当然のコトなんだけど、『もり』で蕎麦の風味だけを存分に味わうのが正しい食べ方なんである。
お蕎麦メニュー選択の自由を認めない悪いわたしは、マンション部屋に舞い戻ってきた。
利比古(としひこ)がやって来る時刻が、着実に迫っているのだ。ダイニングテーブル上に鏡を置き、ヘアブラシを入念に丹念に動かす。最愛の弟のために、本日2度目の髪梳(かみと)かしを敢行する。恥ずかしいから、最愛の弟に寝グセを指摘されちゃたりしたら。
× × ×
「わたしとの距離を2メートル以上とってほしくないわ」
いきなり、姉のわたしは要求する。
昼下がり。ダイニングテーブル。必然の姉弟(きょうだい)向かい合い。順調に2杯目のコーヒーが入っているわたしのマグカップ。
利比古も、わたしを慰め癒やしたいがためにわたしを訪ねてきたのだ。それならば、あまり距離をとってほしくない。姉弟の間(あいだ)に距離感があって余所余所(よそよそ)しくなるのは、イヤだ。
利比古が、ダイニングテーブルの真向かい席で呆然となっている。それゆえに、わたしは、ずいっ、と自分の席から身を乗り出していく。
利比古用のマグカップを抱え込むようにして、縮こまる利比古。よくないわねー。
「身を乗り出さないでよ、あんまり」
不平の利比古を可愛がるように、
「言ってるでしょ? 『距離を2メートル以上とってほしくない』って」
と言い、
「姉の頼みを受け入れてくれないのね」
と、たしなめる。
熟慮しているかのような俯きを見せてきたかと思うと、利比古は、
「試験不合格のダメージが長引いてるから、そんな要求するの……?」
と、不甲斐無い応答を。
「かわいくないわね」
わたしは弟にワザとそう言って、
「たしかにそれもあるけど、それだけじゃーないのよ」
「……もしかして、『それだけじゃーない』理由を考えてほしいワケ」
「どうしてわかったの。そのとーりよ。言わば、姉であるわたしからのクイズの出題」
ポトリ、とマグカップ内部に視線を落とした後で、
「それ、夏休みの『宿題』にしてくれないかな」
と利比古は。
不甲斐無いわねー。
過剰な身の乗り出しはやめてあげるけど、利比古から視線は外さない。
流石はわたしの弟、本日もちゃーんとハンサムである。保湿に気を付けているみたいで、肌に若々しき潤いがある。
利比古の肌の潤いとわたしの肌の潤いを響き合わせたくて、利比古のハンサムフェイスにより一層焦点を絞る。可愛いわたしは可愛い笑顔を創(つく)り上げ、ハンサムだし可愛い利比古に眼を凝らし続けていく。
「ねえ、少しだけでいいから、立ち上がってよ」
姉としての要求。
ご機嫌斜めだけど、弟はすぐに立ち上がってくれる。いい子だ。言った通りにしてくれる。
わたしも当然ながら立ち上がり、スリッパの音を小気味良く響かせながら弟の目前まで来る。
「明日はあんたの誕生日だけど、1日早いプレゼントよ」
と言った直後、利比古をぎゅっ、と抱き締める。
あったかくて、やわらかい。アカちゃんとは違った意味で。実のきょうだいなんだし性別も違うんだし、感触が異なってくるのは当たり前なんだけど。
鼻腔(びこう)をくすぐってきた、髪の匂いが。たぶんあのメーカーのあのシャンプーなんだろうな……と、自信を持ってわたしは推測する。
増してみる、背中を抱き込んでいる両手の強さを。年に1度のバースデープレゼントだから、姉の愛情を精一杯注ぎ込んであげたくって。
ハグとは別に形(かたち)あるプレゼントも用意しているのは、まだヒミツである。
「こんなコトしちゃダメだよ、人前で」
咎める利比古が、カワイイ。
上昇する、シ◯タコンお姉さんを演じていきたい度合いが。
「わかんないわよ」
利比古の咎めを裏切るように言ってから、
「公共性が求められる場でも、包み込みたい時は包み込んじゃうかもね」
というコトバを浴びせていく。
× × ×
ダイニングテーブルの椅子に復帰したツンデレ利比古が、CM雑誌をパラパラとめくっている。
大学で『CM研』なるサークルに所属しているのである、利比古は。3年の利比古の他には、4年の男の子と女の子が1人ずつ。あと、昨年度卒業した荘口節子(そうぐち せつこ)さんというOGがいて、わたしは彼女と面識がある。わたしは横浜DeNAベイスターズ信者で彼女は東京ヤクルトスワローズ信者、東京ヤクルトスワローズがああいう状態になっている今シーズンだから優越感がある。
「……人前で野球の話するのは危険よね、弟をハグするよりも」
わたしの呟きにより、利比古の手が止まる。
CM雑誌を閉じてから、
「いちばんデンジャラスなのは、お姉ちゃんの考え方だよ」
とコトバを尖らせる。
弟のコトが最高に可愛く思えてきたから、
「CMよりもCDだと思うんだけど、利比古」
と言って、再度身を乗り出して急接近をする。
姉の急接近にたじろがないものの、視線を僅かに逸らすツンデレ利比古は、
「CDを聴かせたいってワケ、お姉ちゃんは? CDってメディアにずいぶんこだわるんだね、終焉に片足突っ込んでるメディアなのに」
「『メディア』ってコトバを濫用しちゃダメ、CD批判も禁物」
余裕綽々(よゆうしゃくしゃく)にそう叱ってあげた後で、軽やかに椅子から立ち上がる。軽やかに涼やかに歩き出し、お座り利比古の背後までやって来る。
とりあえず、右手を伸ばしていって、利比古の右肩をギュム、と優しく掴んでみる。
「あんまし沈み込んでないみたいだね、そんなスキンシップ繰り出すってコトは。大事な試験を通過できなかったから、もっと『どよ~~ん』となってるって思ってたのに」
振り向いてくれない利比古がいるけど、
「ココロが晴れたのよ、あなたがツンツンかつデレデレしてくれてるから♫」
と、キモチを伝えるのをガマンできるワケも無い。
「……ツンデレ認定するなよっ、自分勝手に」
利比古のそんな小声が、確かに聞こえてきた。