【愛の◯◯】「鬼が笑う」のは承知の上で

 

窓の外ではこの季節らしい雨が降っている。部屋の中は冷房が効いているから快適だ。蒸し暑さをあまり感じない。

某「鉄道のファン的な雑誌」から顔を上げ、勉強に励んでいるむつみちゃんの後ろ姿を見る。

むつみちゃんのお家(うち)におれは湘南からやって来た。むつみちゃんの部屋でむつみちゃんのベッドに腰掛けている現在。幼馴染の女の子のベッドなワケだが、幼馴染の女の子のベッドなので、あまり遠慮せずに座るコトができる。

むつみちゃんは京都の大学を受ける。ただの大学ではない。もともと「帝国の大学」であった大学である。受験生時代のおれにとっては雲の上の存在のような大学だった。そこを受けようとしていて、そこに見合う学力も十二分に伴っているのだから、むつみちゃんはやっぱりスゴい。

不安なのは体力。それと、彼女にはいろんな事情によって何年もの「ブランク」があるから、受験会場慣れしていないのも気になる。慣れていないというよりも、「共通試験や二次試験の会場に赴くコト自体が初めて」なのである。特に、当然のコトながら二次試験は京都で受けるコトになる。おれは考えていた、『ついて行ってあげたい。今の時点から、京都行きの切符の購入を検討するべきか……』と。

 

むつみちゃんがペンを動かす手を止めた。前のめり気味だった姿勢をやめて背筋をまっすぐ伸ばす。肩や背中をほぐす仕草をするのがおれの眼に映る。

某「鉄道のファン的な雑誌」を左サイドに置き、おれは、

「休憩する?」

と彼女の背中に訊く。

「したいわ」

彼女は答える。

少しだけの間の後で、勉強机からくるり、とおれに振り向いてくれた。

穏やかな表情。キレイな姿勢。美人のむつみちゃんは羽織っているシャツの黄緑色もよく似合っている。

見とれ始めてしまいそうになるけど、彼女は軽やかに立ち上がって、

「あなたのトコロで休みたい」

と言って、ベッドにぺたぺたと近付いてくる。

おれの右サイドに腰を下ろしてきた。ほとんど距離感は無かった。

『腕を絡めてきたりするのかも』と思って、少し緊張する。

絡めてはこなかったけども、

「数学の勉強を1時間以上もやってたから、疲れちゃって」

と言ってきて、

「京大対策のための数学参考書だったから。理系の子でも『ハイレベルだ』と思うような参考書で。なおさら『すり減っちゃった』のよ」

「消耗が激しいと、おれは心配だな」

軽く苦笑したむつみちゃんは、

「キョウくんが過度に心配する必要無いんだけど、消耗ってゆーのは、事実で」

と言い、

「あなたの肩が借りたいわ」

と言ったかと思うと、おれの右肩に自分の左肩をモミュッ、とくっつけてくる。

少しドキドキしながらも、

「寝転びたいんじゃないの?」

と訊いてみるおれ。

おれのカラダに熱を送ってきながら、彼女は、

「そうね。でも、その前にあなたとスキンシップ」

と言ってきて、さらに身を寄せてくる。

 

× × ×

 

むつみちゃんをベッドに寝転ばせてあげて、おれは勉強机の椅子に腰掛ける。さっきとは構図が逆になる。

むつみちゃんの寝姿に温かい視線を送り届けつつ、「来年」のコトを改めて考えてみる。より具体的には、1月の共通試験・2月の二次試験辺りの時期のコトを。

もし、2月の京都におれもついて行くのなら、むつみちゃんと一緒のホテルに泊まりたい。もちろん、ツインルームを予約したいワケではない。シングルで別々でいい。大事なのは、できるだけ近くで幼馴染の女の子を見守ってあげたいというコト。

好きなんだからな。

自分のキモチを再確認して、顔や首筋の辺りが熱っぽくなる。

むつみちゃんは、気持ちよさそうに掛け布団の下でスヤスヤ。

 

彼女が身を起こした。午後2時40分だ。

「いいお昼寝になったわ」

彼女はそう言ってから、枕元のデジタルクロックを持ち上げて、

「そして、『おやつの時間』。――ダイニングに移動して、クッキーでも食べる? かなり良さげなブランドのクッキーが手に入ったのよ。お父さんが買ってきてくれて。わたし、メロンソーダも飲みたくなってきたし。冷蔵庫でキンキンに冷やしてるから」

「クッキーにメロンソーダだと、甘さ2倍だね」

「2倍なのがいいんじゃないのー。糖分補給よ、朝から夕方まで受験勉強する日だって決めてたんだから」

むつみちゃんらしいコトバと笑顔をおれは受け止めるんだけど、

「ダイニング行く前に、ちょっとだけいいかな」

「なあに?」

「おれさ、きみが寝てる間、『来年』のコト、ちょっと考えていて」

微笑み顔に真面目さがやや産まれてきたむつみちゃんが、

「それって……もしかすると、2月の『京都行き』のコト?」

「そうだ」

おれは答えて、

「共通試験は問題なく突破できるとして、2月の京都が、肝心なんであって」

と言ってからいったんコトバを切り、彼女を見据える。

左腕で頬杖をつき始めるむつみちゃんが眼に映り込んだ。

「ねぇねぇ、キョウくん」

華麗な微笑み顔のままに、

「『来年のことを言うと鬼が笑う』って、知らない?」

「……なんとなくは、分かるかな」

「笑っちゃうわよ、鬼が。今の時点で、来年のコト考えたって、仕方が無いんじゃないのかしら」

優雅で華麗なむつみちゃん。

『じゃないのかしら』という語尾も、優雅さや華麗さを象徴しているかのようだ。2000年産まれだとは到底思えないような喋り方。でも、やっぱり、そこがいい。これでこそ、おれの好きな幼馴染の彼女なのだ。

……『鬼が笑っちゃうわよ』と彼女は言った。

『まだ6月なんだから、『棚上げ』でもいいじゃないの』

そういうニュアンスが言外に含まれていた。

一理ある。

だけど、一理ある『に過ぎない』と、おれは思ってしまうのだ。

むつみちゃんの考えは、一般的かつ妥当な考え。そのコトはおれも分かっている。

だけど、おれは「飛躍」したい。考えがイレギュラーだとしても、幼馴染の前でなら、幼馴染の為ならば、「飛躍」したコトだって、伝えてみたいと思うし、伝えられる自信がある。

だから。

「あのさ、むつみちゃん。突拍子もないように、聞こえちゃうかもしれないけど――」

「え、なーに?」

背筋を正して、それからおれは、

「『未来が見える』んだ、おれには。比較的、リアルに」

――伝えた途端に、頬杖をついていた彼女の左腕が、彼女のほっぺたから外れた。

「それって、どういうコト……?」

彼女の表情に惑いが兆す。

やっぱり、突拍子もなかったか。なさ過ぎたか。

『未来が見える』だなんて。

大げさで、あいまいで。

だけども……だけども。

2月の京都のコト。そして「プラスアルファ」で、2月の京都の、「その先」のコト。まだおぼろげな面もあるけど、見え始めている、未来。

メロンソーダを飲むのを遅らせてしまって、ほんとうに申し訳ないんだけど。

おれは、彼女の両眼をジックリジットリと味わいつつ、次なるコトバを送り届けるスタンバイをする。