部長の尾石素子(おいし もとこ)さんが中心になって泉学園放送部は活動している。
顧問として気がかりなのは新1年生が未だに入部しないコトだ。
新しい子が入ってくれたらもっと楽しくなると思うんだけどね。
4月の終わりになっても新入部員ゼロ。
『不安にならないの?』と尾石さんに言ったら、『不安が無いと言えばウソになりますけど、あたし達はやるコトをやるだけです』という答えが返ってきた。
尾石さんと同じく3年生の中嶋小麦(なかじま こむぎ)さんも『なんとかなりますって、先生!!』と前向きだ。小麦さんらしいといえば、らしいんだけどね。
唯一2年生の鈴木卯月(すずき うづき)さんが同学年の友達を勧誘する話も出ているらしい。
× × ×
わたしは生徒の自主性を尊重する顧問でありたい。新入部員勧誘については彼女たちに任せる。
放課後だった。明日から三連休だ。
三連休にわたしは◯◯な予定を入れている。
◯◯は◯◯なんであり、誰と会って何をするのかは秘密にしたい。
今は放送部室を出て校舎からも出ようとしているところだ。
部室を去り際に『先生の三連休の過ごし方は!?』って部員の子達に興味を向けられたけど、どーにか誤魔化せた。
自動販売機にわたしは向かっていた。
自動販売機が3つ立っている場所に近付いたら、昨年度まで良く知っていた娘(こ)が木造りのベンチに腰掛けているのを発見して、驚いた。
仰木(おおぎ)ひたきさん。
放送部の前代部長だった子である。
卒業生なので、もちろん私服。
眼が合った。
仰木さんもわたしに気が付いた。
「小泉先生」
わたしを呼んでくれる仰木さん。
卒業しても変わりなくポニーテール。
「ちょっとビックリしちゃった。仰木さん、母校(ここ)に来てみたくなった理由って?」
歩み寄り、訊いてみる。
すると、
「小泉先生に会いたかったんです」
という答えが返ってきた。
シリアスみのある声で仰木さんがお返事したから、ギョッとしてしまう。
これは、『恩師の務め』的なモノを果たすべきシチュエーションか。
× × ×
仰木さんの左隣に座ってあげた。缶コーヒーも提供してあげた。
仰木さんの凛々しさが薄れているような気がする。猫背気味で、缶コーヒーを飲みつつも時折溜め息をついていた。
溜め息が1度や2度じゃなかったってコトは、
「お悩み相談、したいんだ」
「分かりますか」
「分かるよーっ」
「長い話になっちゃうんですけど」
「構わないよ」
「……ホントに?」
「ホントに。」
東京都所在の某・教員養成で有名な大学に仰木さんは進学した。
仰木さんのコトだから、『張り切って勉強しているんだろう』と全く心配はしていなかったんだけど、どうも大学生活についてお悩みがあるようだ。
「5月病ってありますよね」
彼女はそう言った。
もしや。
「4月の内から、もう5月病が発動しちゃってたりする?」
「小泉先生のおっしゃる通りなんです」
それは、大変。
「志望の大学に一発で合格できたから、嬉しかった。でも、いざ入学してキャンパスライフを始めてみると、環境になかなか馴染めなくて。『どうしてなんだろう……』って考えても分からなくって。ワタシ、なんだか最近、自分で自分のコトが分からないんです」
深刻な話しぶりだったので、わたしの気持ちもシリアスになる。
「先生は、どうだったんでしょうか?」
「大学に入った時の環境の変化にどう対応したのか、ってコト?」
「はい」
実のところ、大学に入った途端5月病を発動したりなんてしなかったから、返答に困る。
「小泉先生は優秀な女子校を卒業して優秀な大学に入ったから、環境の変化も何とも無くて、乗り切っていけたのかもしれないですけど……」
一旦コトバを切り、俯いて首を横に振り、
「ワタシ、自分で思ってる以上に雑魚キャラだったんですよね。雑魚キャラだから、こんなに不甲斐なくて、5月病も4月の内から発動して……」
「お、仰木さん?? そんなに落ち込まないで? もう少し落ち着いて?」
教師らしからぬ慌てぶりを見せてしまうわたし。
雑魚キャラで不甲斐ないのは、仰木さんじゃなくて、わたしの方だよ。
卑屈になり過ぎないでと思う。だけど、彼女を励ませるコトバがなかなか出てこない。
教師生活2年目のキャリアの浅さが浮き彫りになってしまっている。
つぶらな瞳でわたしの方を仰木さんが見てきた。
視線がドッキング。
わたしの背中が冷たく汗ばむ。
「もう1つ。……もう1つ、ワタシは問題を抱えてて」
「……なにかな」
わたしは、
「遠慮しなくて良いから……言ってみてよ」
と促すが、促しの声が震えを帯びてしまう。
情けない教師に向けて仰木さんは、
「母校を訪問したのなら、入ってた部活を訪問するのが筋(スジ)のはずで。ワタシの場合は放送部。だけど、放送部に顔を出す勇気が、全然出てこないんです!」
仰木さん……。
可哀想な眼つき顔つきになってしまっている仰木さん。
どこまで共感して同情してあげられるのかは、分からない。
だけど、わたしは優しくしたい。この子のお姉さんみたいになって、寄り添って、タップリと『事情』を聴いてあげたい。
わたしは右肩を仰木さんの方に寄せた。
163センチのわたしより仰木さんは背が高い。たぶん165センチだったと思う。
でも今の仰木さんはまるで155センチのようだ。
小さくなっちゃっている。
「ホントに情けないんですけど」
仰木さんの声が震え出す。
「ワタシ、素子に、あんまり会いたくない……」
息を呑むような思いがした。
尾石素子さんは仰木さんが指名したコトで仰木さんの次の部長になった。元々尾石さんは仰木さんを凄く慕っていて、師弟関係のようなモノが2人にはできあがっていた。
その関係が、『こじれた』。
「尾石さんと距離を取ってるってコトだよね」
こういう人間関係の問題はとてもデリケートだ。
もちろん、そう。デリケートにならないワケが無い。
こんな時、経験の浅さが痛い。
ベテランの先生ならば、対応の仕方を幾つも知っている。
一方のわたしは、『技術』をまだ身に付けられていない。自分の中で、対応の仕方がシッカリと形になっていない。
「そうです。距離、あります。なんでこんな風になっちゃったのか。……良いのかな、この場に相応しいのかな、この秘密を、打ち明けても」
凌(しの)ぐしか無い。
対応の仕方がクッキリしていなくても、どうにかして、この子を助けてあげたい。
「大丈夫だと思うよ。ここは比較的過疎ってる場所だから。思い切って打ち明けてごらんよ。そうしてくれた方が、わたし嬉しいよ」
優しく丁寧に言うコトを心がけて、弱っている仰木さんにそう伝えた。
仰木さんが左手でわたしの右手を握っていた。予測の範囲内だった。
大事なのは、仰木さんを泣かせないコトだ。
尾石さんとのデリケートな◯◯をこれから彼女が打ち明ける。
シッカリと耳を傾けてあげる。
万が一、彼女を泣かせないコトに失敗した時は……すぐに、ハンカチを差し出してあげる。