【愛の◯◯】経験の浅い教師であるわたしの、精一杯。

 

部長の尾石素子(おいし もとこ)さんが中心になって泉学園放送部は活動している。

顧問として気がかりなのは新1年生が未だに入部しないコトだ。

新しい子が入ってくれたらもっと楽しくなると思うんだけどね。

4月の終わりになっても新入部員ゼロ。

『不安にならないの?』と尾石さんに言ったら、『不安が無いと言えばウソになりますけど、あたし達はやるコトをやるだけです』という答えが返ってきた。

尾石さんと同じく3年生の中嶋小麦(なかじま こむぎ)さんも『なんとかなりますって、先生!!』と前向きだ。小麦さんらしいといえば、らしいんだけどね。

唯一2年生の鈴木卯月(すずき うづき)さんが同学年の友達を勧誘する話も出ているらしい。

 

× × ×

 

わたしは生徒の自主性を尊重する顧問でありたい。新入部員勧誘については彼女たちに任せる。

 

放課後だった。明日から三連休だ。

三連休にわたしは◯◯な予定を入れている。

◯◯は◯◯なんであり、誰と会って何をするのかは秘密にしたい。

 

今は放送部室を出て校舎からも出ようとしているところだ。

部室を去り際に『先生の三連休の過ごし方は!?』って部員の子達に興味を向けられたけど、どーにか誤魔化せた。

 

自動販売機にわたしは向かっていた。

自動販売機が3つ立っている場所に近付いたら、昨年度まで良く知っていた娘(こ)が木造りのベンチに腰掛けているのを発見して、驚いた。

仰木(おおぎ)ひたきさん。

放送部の前代部長だった子である。

卒業生なので、もちろん私服。

眼が合った。

仰木さんもわたしに気が付いた。

「小泉先生」

わたしを呼んでくれる仰木さん。

卒業しても変わりなくポニーテール。

「ちょっとビックリしちゃった。仰木さん、母校(ここ)に来てみたくなった理由って?」

歩み寄り、訊いてみる。

すると、

「小泉先生に会いたかったんです」

という答えが返ってきた。

シリアスみのある声で仰木さんがお返事したから、ギョッとしてしまう。

これは、『恩師の務め』的なモノを果たすべきシチュエーションか。

 

× × ×

 

仰木さんの左隣に座ってあげた。缶コーヒーも提供してあげた。

仰木さんの凛々しさが薄れているような気がする。猫背気味で、缶コーヒーを飲みつつも時折溜め息をついていた。

溜め息が1度や2度じゃなかったってコトは、

「お悩み相談、したいんだ」

「分かりますか」

「分かるよーっ」

「長い話になっちゃうんですけど」

「構わないよ」

「……ホントに?」

「ホントに。」

 

東京都所在の某・教員養成で有名な大学に仰木さんは進学した。

仰木さんのコトだから、『張り切って勉強しているんだろう』と全く心配はしていなかったんだけど、どうも大学生活についてお悩みがあるようだ。

「5月病ってありますよね」

彼女はそう言った。

もしや。

「4月の内から、もう5月病が発動しちゃってたりする?」

「小泉先生のおっしゃる通りなんです」

それは、大変。

「志望の大学に一発で合格できたから、嬉しかった。でも、いざ入学してキャンパスライフを始めてみると、環境になかなか馴染めなくて。『どうしてなんだろう……』って考えても分からなくって。ワタシ、なんだか最近、自分で自分のコトが分からないんです」

深刻な話しぶりだったので、わたしの気持ちもシリアスになる。

「先生は、どうだったんでしょうか?」

「大学に入った時の環境の変化にどう対応したのか、ってコト?」

「はい」

実のところ、大学に入った途端5月病を発動したりなんてしなかったから、返答に困る。

「小泉先生は優秀な女子校を卒業して優秀な大学に入ったから、環境の変化も何とも無くて、乗り切っていけたのかもしれないですけど……」

一旦コトバを切り、俯いて首を横に振り、

「ワタシ、自分で思ってる以上に雑魚キャラだったんですよね。雑魚キャラだから、こんなに不甲斐なくて、5月病も4月の内から発動して……」

「お、仰木さん?? そんなに落ち込まないで? もう少し落ち着いて?」

教師らしからぬ慌てぶりを見せてしまうわたし。

雑魚キャラで不甲斐ないのは、仰木さんじゃなくて、わたしの方だよ。

卑屈になり過ぎないでと思う。だけど、彼女を励ませるコトバがなかなか出てこない。

教師生活2年目のキャリアの浅さが浮き彫りになってしまっている。

つぶらな瞳でわたしの方を仰木さんが見てきた。

視線がドッキング。

わたしの背中が冷たく汗ばむ。

「もう1つ。……もう1つ、ワタシは問題を抱えてて」

「……なにかな」

わたしは、

「遠慮しなくて良いから……言ってみてよ」

と促すが、促しの声が震えを帯びてしまう。

情けない教師に向けて仰木さんは、

「母校を訪問したのなら、入ってた部活を訪問するのが筋(スジ)のはずで。ワタシの場合は放送部。だけど、放送部に顔を出す勇気が、全然出てこないんです!」

 

仰木さん……。

 

可哀想な眼つき顔つきになってしまっている仰木さん。

どこまで共感して同情してあげられるのかは、分からない。

だけど、わたしは優しくしたい。この子のお姉さんみたいになって、寄り添って、タップリと『事情』を聴いてあげたい。

わたしは右肩を仰木さんの方に寄せた。

163センチのわたしより仰木さんは背が高い。たぶん165センチだったと思う。

でも今の仰木さんはまるで155センチのようだ。

小さくなっちゃっている。

「ホントに情けないんですけど」

仰木さんの声が震え出す。

「ワタシ、素子に、あんまり会いたくない……」

息を呑むような思いがした。

尾石素子さんは仰木さんが指名したコトで仰木さんの次の部長になった。元々尾石さんは仰木さんを凄く慕っていて、師弟関係のようなモノが2人にはできあがっていた。

その関係が、『こじれた』。

「尾石さんと距離を取ってるってコトだよね」

こういう人間関係の問題はとてもデリケートだ。

もちろん、そう。デリケートにならないワケが無い。

こんな時、経験の浅さが痛い。

ベテランの先生ならば、対応の仕方を幾つも知っている。

一方のわたしは、『技術』をまだ身に付けられていない。自分の中で、対応の仕方がシッカリと形になっていない。

「そうです。距離、あります。なんでこんな風になっちゃったのか。……良いのかな、この場に相応しいのかな、この秘密を、打ち明けても」

凌(しの)ぐしか無い。

対応の仕方がクッキリしていなくても、どうにかして、この子を助けてあげたい。

「大丈夫だと思うよ。ここは比較的過疎ってる場所だから。思い切って打ち明けてごらんよ。そうしてくれた方が、わたし嬉しいよ」

優しく丁寧に言うコトを心がけて、弱っている仰木さんにそう伝えた。

仰木さんが左手でわたしの右手を握っていた。予測の範囲内だった。

大事なのは、仰木さんを泣かせないコトだ。

尾石さんとのデリケートな◯◯をこれから彼女が打ち明ける。

シッカリと耳を傾けてあげる。

万が一、彼女を泣かせないコトに失敗した時は……すぐに、ハンカチを差し出してあげる。

 

 

 

 

【愛の◯◯】テキストが決まらない

 

貝沢温子(かいざわ あつこ)です。

「スポーツ新聞部」が新体制になりました。

本宮(もとみや)なつきセンパイが部長で、2年のわたしは事実上の副部長ポジションです。

「事実上」は要らない気もしますけど、ね。

1年生。男子が2人、入部してくれたんですよ。

でも、ルーキー男子2人の詳細は敢えて伏せておきます。

読者の皆さまを焦(じ)らすみたいですけど。

えっ? 「焦らす理由」ですか?

んーっ。

いろいろあって、伏せるし、焦らすんですよ。

ハイ。

 

× × ×

 

今日の放課後は図書館に向かう。なつきセンパイには連絡済みだ。

本日はスポーツ新聞部員ではなく図書委員がわたしの仕事である。

 

図書館カウンター裏の話し合いができるスペースに入ったら、3年の春園保(はるぞの たもつ)センパイが既に革張りソファに腰掛けていた。

わたしは、ゴールデンウィーク明けにある図書委員主催の読書会について、春園センパイと打ち合わせるためにこのスペースに来た。

センパイの向かいの革張りソファが空いている。行って座る。

2人だけの打ち合わせなんだよね。

緊張しないと言ったらウソになる。

相手はセンパイ男子だし。

「貝沢さん。始めよーか」

軽いノリで真向かいの春園センパイが言ってくる。

「はい。始めましょう」

緊張を引きずりつつわたしは答える。

「本年度第1回読書会」

と春園センパイ。

「第1回ですね」

とわたし。

「1年生には初めての読書会だから、とっつきやすいテキストが適してるんだが……」

と言って、春園センパイはプリントを見ながら、

芥川龍之介の『蜘蛛の糸杜子春』。新潮文庫から出てるこれが第1候補だったワケだけど」

「第1候補ではありましたけど、春園センパイは疑問符を付けてましたよね? 『新入生を舐め過ぎるような感じが無い? 「蜘蛛の糸」は小学校の道徳の時間に読まされてるだろうし』って」

「うん。貝沢さんは良く憶えてるね。おれの考えは前回の会議から変わってない」

良く憶えてるね、とホメられた。

否定できない嬉しさ。

しかし、嬉しさに浸っている場合ではありえず、

「できれば、今日と明日でテキストを確定させたいですよね。芥川がダメなら、他の候補からチョイスしなきゃ」

「貝沢さんはどう思ってんの?」

わたしにも考えはあったので、

村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』はどうでしょうか? もしくは、『風の歌を聴け』」

「ほほーーっ」

感嘆したようなリアクションでもってセンパイが、

「攻めるんだねえ。きみも」

「攻める?」

「1発目から村上春樹。攻めてると思うよ。アグレッシブだ」

「『中国行きのスロウ・ボート』は有力な候補に挙がってましたし、案外新入生にも食いつきが良いと感じたんですが」

「『風の歌を聴け』は候補になってたっけ」

「……すいません。今、初めて名前出しました」

「『風の歌を聴け』は高校生でも2時間もあれば読めちゃうとは思う」

とセンパイは言ってから、

「でも、刺激が強いかもね」

「中学を卒業したばかりの子も参加する読書会としては……ってコトですか」

頷くセンパイ。

どうしよう。

テキスト選び、難航しちゃってる。

中国行きのスロウ・ボート』をわたしの案として押し通すのも1つの手。

なんだけど、押し通したとして、春園センパイ、納得してくれるのかな?

悩みかけていると、

「難航してるねえ。おれたちの打ち合わせ、『踊ってる』みたいだ」

「お、踊ってる?? ダンス??」

「知らない? 『会議は踊る』ってフレーズ」

「あーっ……。見たコトがあるような」

「こんな時は」

「こんな時は……?」

「打開策として」

後ろのカウンターの方を向いてセンパイは、

「『書架整理』だ」

書架整理。

つまり、本棚の整理整頓。

「書架整理が打開策になる理由って……?」

書架整理とテキストの選定が上手く結びつかないので、センパイの考えを聞こうとする。

だけど、

「理由は、書架整理に打ち込む中で、分かるものさ」

と、困ったコトをセンパイは言ってきたのだった。

「悩むより、立ち上がる。ボーっとするより、手を動かす」

続けるセンパイ。

「手を動かすコトの大事さは分かってます。でも果たして、本を並べ替えたりするのに熱中してる場合なのかどうか……」

「きみ、意外に頑固なんだねえ」

「ガンコ!? そ、そんなコト、言われたコト無い」

なぜか春園センパイは爽やかに笑い、爽やかな声で、

「きみのキャラクターがまた1つ分かって、嬉しい」

と。

 

わたしの胸の温度が少しだけ上昇していた。

 

 

 

 

 

【愛の◯◯】『おねだり』は、わたしらしく

 

『PADDLE(パドル)』編集室。

デスクトップPCのキーボードをカタカタと打っている結崎純二(ゆいざき じゅんじ)さん目がけ、

「結崎さぁん」

と呼び掛ける。

キーボードを打ち続けながら、

「何だ? あすかさん」

と結崎さんは。

後方のパイプ椅子に座るわたしは少し息を吸ってから、

「浅野小夜子(あさの さよこ)さんが卒業しましたが、結崎さんは『浅野さんロス』になってませんか?」

キーボードを打つ音が止んだ。

「なんだかんだ、結崎さんと浅野さんって良いコンビだったと思うんですよ。結崎さんは『反りが合わない』と思ってたかもしれないけど」

机上のリポビタンDに右手を伸ばして結崎さんは、

「別に。どうというコトも無い。喪失感だとか大げさ過ぎる。浅野がここに来ないのが淋しいワケが無い」

「結崎さん!!」

わたしが大きな声で言ったので、

「どっどうした」

と結崎さんの声が慌て気味になる。

ここが勝負なので、

「わたし結崎さんに感心してるんですよ? 感心ってゆーのはですね、ほらっ、結崎さん、浅野さんの『アフターケア』をしてあげてたみたいじゃないですか」

結崎さんはリポビタンDを飲んで机上に置く。

15秒ぐらいの静寂の後で、

「浅野のヤツがきみに何か話したみたいだな」

「話してくれたんですよ。彼女、あまり具体的には説明してなかったですけど、『結崎が卒業間際のわたしに優しかった……』って、遠くを見るような眼で言ってて、それが印象的で」

「……」と結崎さんの沈黙。

考え込んでいるみたい。

しばらくしてから、机上を両手で軽く叩いて安楽椅子から立ち上がり、

「ぼくはリポビタンDの空き瓶を捨ててくる」

「ちょっとちょっと。浅野さんの話題はまだ終わらせちゃいけませんよ」

「あいつの話題が長引きそうだから小休止するんだ」

「小休止なのなら、今から3分以内にここに戻って来てくださいね?」

こっちを向いた彼は困ったように、

「……ゴミ箱、意外に遠いんだが」

 

× × ×

 

結崎さんを困らせられたのは良かった。

 

さて、大学から帰ってきたら午後の4時。

邸(いえ)の1階には大きめのリビングもあれば小さめのリビングもあるわけだが、わたしは小さめのリビングの中の1つに向かっていった。

するとそこにはお母さんが居て、雑誌を読んでいた。

とある文芸誌だ。確か現役時代のお母さんが編集に関わってたとかじゃなかったっけ。

わたしを察知するとアッサリと文芸誌を閉じた。

乳飲料を右手に持っていたわたしに向かい、

「その飲み物美味しそうね、あすか」

「お母さんも飲みたいのならダイニングの冷蔵庫から持って来るよ?」

「心配りだけ受け取っておくわ」

「そうですか」

わたしがソファに座ろうとすると、

「あっ! そうだそうだ」

「な、何かなお母さん。ひらめきがあったみたいに……」

「ひらめきよ。乳飲料よりも、あすかに持って来て欲しいモノあるの」

「持って来て欲しいモノ?」

「『PADDLE』よ。あなたも記事を書いてる雑誌」

「読みたいの?」

「読みたいのよ。あなたの執筆した文章が沢山載ってる号が良いな」

「ん……。抜き打ちチェックみたいだな、なーんか」

「そうとも言う。でも、ダメ出しがしたいワケでは全然無いから。むしろあなたの文章の『良かった探し』をしてあげたいわ」

『良かった探し』。

それもまた、緊張しちゃうかも。

 

× × ×

 

素直に自分の部屋からバックナンバーを持って来た。

お母さんはニコニコしながらバックナンバーに眼を通す。

「トレンドが分かって良いわね」

と雑誌を賞賛。

「あすかも『筆が乗っている』し」

「筆じゃなくてPCで書いたんだけどね」

「ツッコまないでよぉ。ホメてるのよ〜〜?」

「ごめん」

バックナンバーの『PADDLE』を開いたままに、

「うんうん。あすか、調子が悪かった時期も短くなかったみたいだけど、これを読んでると、スランプから抜け出せたのがハッキリと分かるわ」

スランプ、か。

精神的に参っていた時期は確かにあった。そんな時は書く文章も精彩を欠いていたと思う。質のみならず量も落ちていた。長い文章を書けない時期もあった。

調子の波が上がったのは、今年に入ってから。

「流石は『高校生作文オリンピック』の銀メダリスト。母親として誇らしいわ」

「ありがと」

「ふふ♫」

朗らかに笑ってお母さんは、

「この調子この調子。記事の執筆を積み重ねていけば、きっと良いコトがやって来るはずよ」

と言い、意味深にも右の人差し指を口元に当てて、それから、

「新しいカレシだって、できちゃうかもしれない♫」

「お、おかあさん!?」

 

いきなり『新しいカレシ』がどうとか言われて恥ずかった。

だから、

「まったくもう……。突拍子も無いコト言わないでよね」

と言いつつ、L字形のソファの端の方に腰掛けているお母さんのもとに寄っていく。

L字形ソファの先端の方で母娘が隣り合った。

「あすかって怒りながらわたしに寄り添って来るのね」

「怒ってなんか無い。お母さんの突拍子の無さにツッコミ入れただけ」

「あらあら」

「……」と一旦わたしは下の方を向くけど、

「……お母さん?」

と、顔を上げて、

「今日は、お邸(やしき)メンバーの残りの3人の帰り、遅くなるみたいだし」

と言って、

「『月に1度甘えたい日がある』とかとは違うんだけど」

と言って、それから、

「この場で、ちょっとだけ、コドモに戻らせてくれないかな」

と『おねだり』をする。

「なになに、スキンシップの『おねだり』??」

はしゃぐようなお母さんに、

「だいたいあってる、かな」

と答える。

すぐに、わたしの左肩をお母さんの右肩にくっつける。

くっつけると、くすぐったいのと同時に、優しい気持ちになるコトができて、だから左手でお母さんの右手をそっと握る。

胸があったまらないワケが無くって。

「……お母さん」

「はいはい」

「好きだよ」

「照れる〜〜♫」

「……照れてないでしょ、絶対に」

 

 

 

 

【愛の◯◯】あすかさんがぼくを罵倒しない

 

『CM研』のサークル室。

コマーシャル映像を視(み)て勉強しようとしていたら、

「羽田くん羽田くん羽田くん」

4年生女子の荘口節子(そうぐち せつこ)さんがぼくの前に立ちはだかってきた。

「あのぉ。荘口さん、ぼくの苗字を3回も連呼する意味なんてあったんですか?」

『どうせ今日もロクでもないコトを言ってくるんだろう』という予感は既に芽生えていた。

「フフフ」

と、謎めく笑いをぼくに見せつけてきて、それから、

ファストファッションのCMなんか視てる場合じゃ無いんじゃないか? 新2年生クンよ」

「『新2年生クン』ってなんですか。そんな呼び方やめてください」

ぼくの反発を慈悲も無く無視して、

「きみの意識からは『新歓活動』というモノが消え去ってしまったのか」

あー。

そのコトかー。

そのコトですかー。荘口さん。

「それなりにぼくも努力したつもりですよ。だけど、もうゴールデンウィーク直前。新入生がやって来るのは望み薄でしょう」

「羽田くんは新入生の方からやって来てくれるのを待つだけだっていうのか!?」

ドヤッ、と上から目線的な笑顔になって荘口さんは腕を組み、

「『待つ』んじゃない。『呼び寄せる』んだよ」

面倒くさいなぁ。

本当に面倒くさいよ。

これだから、この女子(ひと)のコトをイマイチリスペクトできないんだ。

「呼び寄せ方は自分で考えようと思います。でもそれを考えるのは後です。今はコマーシャル映像で勉強したいんですっ」

立ちのぼるイライラ。

「良い度胸してるねえ。感心感心。ただ、この部屋に1人も新入生を連れて来られなかったら……」

ぼくは荘口さんの顔を見ていない。でもどうせ笑みの浮かんだドヤ顔なのだろう。そしてぼくが新歓活動に失敗した時の『罰ゲーム』を嬉々として考えているのだろう。

荘口さんの圧力に耐えてぼくはファストファッションのCM映像に懸命に見入ろうとするのだが、

「荘口さんの『罰ゲーム』は痛くて怖いと思うわよ? 羽田くーん☆」

非常に不都合なコトに、3年生女子の吉田奈菜(よしだ なな)さんがぼくの着席している所に近付いてきて、荘口さんに加勢したのである。

こんな時はスルーに限る。徹頭徹尾スルーだ。取り合わない。

タブレットに映るファストファッションCMの映像を凝視しながら、右腕で軽く頬杖をついて、

「吉田さんって確か身長152センチでしたよね」

「げげげ。羽田くんどうしてあたしの身長記憶してんの。羽田くんの記憶力に『げげげ』だよ」

可愛くないコトバ遣いを……。

「吉田さんにお訊きします」

「なによ」

「身長152センチの人にとって、ファストファッションって何ですか?」

「な、なによそれっ。哲学的というか何というかじゃないの」

「身長152センチの人が見ている世界のコトが知りたいんですよ」

「んん……」

吉田さんが戸惑った。

吉田さんの背後から荘口さんが「羽田くんのワケの分からないクエスチョンなんかに取り合う必要ないぞ、奈菜」と言う。しかし吉田さんが考え込み始めるのを止めるコトはできなかった。

「もう1つ吉田さんに考えていただきたいコトがあります」

吉田さんの背後で唖然とする荘口さんは置いておいて、

「ぼくの身長は168センチなんですけどね。率直なご意見をお願いできませんか? つまり、『168センチ』という数値に感じるコトを、思いのままに……」

 

× × ×

 

今日の荘口さん&吉田さんとの勝負(バトル)は引き分けという所だろう。

我ながらナイスファイトだった。うん。

 

さてさてさて。お邸(やしき)に帰り、夕ご飯を食べ終え、ワイヤレスイヤホンで音楽を聴きながらリビングでマッタリとしているのである。午後7時45分だ。

ぼく1人でソファに座っていたが、梢(こずえ)さんが現れた。

ぼくの右斜め前のソファに座ったのでぼくはワイヤレスイヤホンを外す。

「どうも、梢さん」

「ワイヤレスイヤホン外すなんて律儀だねえ、きみも」

「たぶん梢さん、ぼくに何か話したいコトがあってこの場所に来たんじゃないんですか?」

ぼくより7歳も年上の彼女は、

「良く分かったねえ。利比古くんはさ、大学で『CM研』のサークル員なワケじゃん? 新歓の進捗とか、未だに訊いてなかったから」

痛い所をほじくって来るものだ。

「残念ですが、まだ新入生会員はゼロですね」

「え、マズくない!? 私のトコの『西日本研究会』、もういっぱい新入生入会してきてるよ!?」

……手短に説明しよう。

梢さんは今年27歳だが、大学4年生女子であり、キャンパスライフを謳歌しているのである。

詳しい事情は梢さんにとってデリケートなので触れないでおく。

にしても、

「そんなにたくさん『西日本』に惹かれる子が居るんですか? 惹かれる理由がイマイチ……」

「『西日本』って守備範囲広いからね。ありとあらゆるモノが研究対象になる」

それは、まあ、そうか。

「私、心配だなー。『CM研』に閑古鳥が鳴いちゃいそうで。やがて『CM研』に利比古くん1人になっちゃったら、どーするの?? ぼっち状態だよ!?」

またもや痛い所をほじくって来る梢さん。ほじくる手を緩めない。

そして、さらなる不都合として……あすかさんが、いつの間にかぼくと梢さんの間近にニュウーッ、と現れて来たのである。

「うわっ! 居たんですか!? あすかさん」

驚きますよ。

あすかさんはそんなに神出鬼没でしたか!?

「利比古くんってとっても失礼なんだね」

あすかさんがぼくをいきなり罵倒した。

「わたしの存在に気付かなかった利比古くんが悪いんじゃん。責任を転嫁(てんか)しないで」

あすかさんが腕を組んで怒った。

ただ、ぼくの間近に立つあすかさんは、ぼくとは反対方向を見て、腕を組みプンプンしているのである。

怒るのなら、ぼくのほうを向いて怒ってくれる方が、誠実(?)だと思うんだけど……。

『ぼくのほうを向いてくれないですか?』という要求が口から出かかった。

しかし、

「ねーねーあすかちゃーん? 利比古くん、新入生が自分のサークルに集まらなくって、独りぼっち状態になるのが着実に近付いてるんだって。哀愁が漂って来そうだよね?」

と梢さんが言ってきたので、要求を口に出すタイミングを失った。

梢さんのコトバに反応して、あすかさんがこっちの方を向いてくれる。

腕組みは継続。

黙(もだ)して、チラチラとぼくの顔に目線を向けたり向けなかったり。

割りと予想外の挙動だった。

予想内だったのは、

『もう『ぼっち状態』が秒読みだなんて、とってもヒドイね』

という風に罵倒してくるコトだった。

でも、どうも罵倒しようとする意思が無いみたいだ。

これは、もしかすると、罵倒したい気持ちとは別の気持ちが、彼女の中に生まれて来ているのではないか?

その『別の気持ち』の正体はぼくには判然としない。

でも。

的外れな推測かもしれないが、

『たまには利比古くんにも気を遣ってあげよっかな……』

という風な、そんなココロの声が、彼女の内に響いているのではなかろうか?

いやいや……。

やっぱ、的外れか?

あれこれ推測するのもあすかさんに悪いかもしれないという気分になり始める。

するとここで、

「わたし、カルピスソーダが飲みたいから、ダイニングの冷蔵庫まで行って飲んでくる」

と、あすかさんが言ったのだった。

「えーーっ? あすかちゃーん、私たちともう少し遊びたくないー?」

引き留めたい梢さん。

だが、あすかさんは些(いささ)か小声になって、

「すいません。カルピスソーダ優先させてください。また後でゲームでもして遊びましょう、梢さん」

「ゲームって、デジタル? アナログ?」

梢さんに訊かれると、

「どちらでも、オッケーですっ」

と……あすかさんは、なにゆえか、床に目線を落としながら、梢さんに答えたのだった。

 

 

 

【愛の◯◯】「きっと出会った時から可愛い女の子だった」

 

本部キャンパスを歩いていたら、

「久保山(くぼやま)センパイ!! 久保山センパイじゃないですか!!」

久保山克平(くぼやま かつひら)センパイ。

漫研ときどきソフトボールの会』のOB。わたしが入学した時幹事長だったひとだ。

それにしても、いつもながらカラダの横幅が広い。

でも、そんなコト思っちゃ失礼だし、わたしの印象は丁寧に胸の奥にしまっておく。

「やぁこんにちは、羽田さん」

「こんにちはー。わたし、現・幹事長として頑張ってます」

「新入生の女子が2人定着してくれそうなんだよね? きみや大井町さんは嬉しいよね」

「とってもうれしいです☆」

「ハハハ」

スケールの大きい久保山センパイは笑って、

「おれは大学院のコトとか諸々忙しくて、なかなか学生会館行けてないけど。ま、OBが出しゃばるのも変だよな」

センパイは出しゃばってなんていないと思うんだけど、それよりも、

「センパイは修士2年ですけど、来年以降は……」

「就職はせずに、院に残るよ」

「わあ、ステキ」

「す、ステキかな……」

 

久保山センパイが大学院に居続けるための条件があって、その条件を彼は話してくれた。

本ブログでは初めて明かされる事実だが、久保山センパイにはお姉さんが居る。

院に残るなら、お姉さんと同居すること。そして、仕事で忙しいお姉さんの代わりに家事を担当すること。

「でもセンパイ、お料理はできるんですか?」

「人並みにはできる。ただ、この前姉貴にカレーライスを作ってやったら、厳しめに批評されたが」

ほーっ。

「センパイ、センパイ」

「え、なに、羽田さん」

「わたしがお料理教えてあげましょーか」

「!?!?」

 

× × ×

 

久保山センパイのお姉さん、センパイの話を聴くに、わたしより全然ちゃんと「お姉さん」をしている人みたいだ。

わたしも長女で、利比古という弟がいる。

利比古はホントに可愛い。だけど、姉として時に不甲斐ない姿を見せてしまったりしている。

弟に対する愛情が強過ぎて、不甲斐なく空回りしたりするのだ。

きちんとしたお姉さんになりたい。

 

わたしは夕方にマンションに帰っていた。

別々に暮らしている弟ともっと連絡を取り合いたい。コミュニケーションを重ねたい。

リビングの丸テーブルの前に腰を下ろして、スマートフォンのLINEアプリを開く。

 

× × ×

 

「あなたが帰って来る前に利比古とLINEのやり取りをしてたの。通話もしたの」

我ながら完成度の高かった夕ご飯をアツマくんと食べてから、引き続きダイニングテーブルで向き合っている。

「どんなコトを話したんだ?」

わたしはブラックでホットなコーヒーをゆっくり堪能してから、利比古との会話の内容を話した。

「楽しかった。でも、あの子とはもっと『対話』を重ねないとね」

「『対話』?」

姉弟としてもっともっと通じ合いたいの」

「欲張りだな」

「なにゆーのよっ、アツマくん。わたしはマジメに『お姉さん』としての務めを果たしたいのよ? 責任感が……」

「愛」

「わたしの話を遮らないで」

「いいや遮る」

「ちょ、ちょっとっ」

「おれからのアドバイス。チカラを入れ過ぎるな。余分なチカラを入れると空回りする」

「なにが言いたいワケ」

「おまえは利比古の前では自然な感じで良いんだよ」

「また、漠然と……」

ナチュラルに接してあげたほうが、あいつも喜ぶよ。姉であるおまえのコトがいっそう、『可愛く見える』ようになる」

「もう少し分かりやすく」

「要するに」

「うん」

「『お姉ちゃんってホント可愛いな』と利比古が思ってくれるために頑張るんだ」

「そのための頑張り方が『ナチュラルに接する』ってコト?」

アツマくんが頷いた。

「でも、『可愛いお姉ちゃん』で良いのかしら? もっと尊敬されたいという想いも、わたしには……」

「可愛いから、尊敬したくなるんだよ」

「無理くりな理屈じゃない?」

軽く苦笑いの彼。

「たしかに、ロジックになってないかもしれんな。だが……」

彼がわたしの顔面を見つめ始めた。

彼の目線がわたしに浸透してくる。

浸透するから、胸がドキドキし始めてしまう。

彼が次に言うコトバが何となく分かって、ドキドキが跳ね上がりそう。

 

「おまえが可愛いのは、事実なんだし」

 

何も言うコトができない。

着実にわたしのカラダは熱を増している。顔の温度だけじゃない。頭のてっぺんからつま先まで火照ってくる。

 

わたしは椅子から立ち上がってしまう。

不甲斐なさに満ちたわたしはアツマくんから顔を逸らしてしまう。

恥ずかしいゆえに。

「どーしたよ」

優しく問いかける彼。

曖昧に首を横に振るだけのわたし。

「そんなリアクションじゃおまえの気持ちが分からん」

アツマくんも席を立った。

近付いてくる。

わたしは彼にカラダを向けるけど、床に目線を落としてしまう。

彼は優しさを込めた声で、

「こらこら。もっと顔の角度を上げるべきじゃないか?」

彼に素直になって、緩やかに彼を見上げていく。

見上げながら、思わず、

「わたしたちって、身長差、あるよね」

と言っちゃう。

160.5センチのわたし。確か15歳の誕生日の時から変わっていない。

彼はわたしより17センチぐらい高い。高校生の時から長身だった。

「あのね。出会った時から、わたし、アツマくんをこうやって見上げてて……最初から、わたしは見上げて、あなたは見下ろす関係だったのよね」

「そーだな」

見下ろす彼は、

「こうやっておまえを見下ろしてると、マジで可愛い女の子だなって思う」

「は、は、恥ずかしいセリフ、出さないでっ」

説明するまでもなく、わたしの顔面は真っ赤に……!

自分で自分の顔の赤さは分からない。だけどこんな場合は、顔が真っ赤ではないワケが無い……!

「混乱させないでっ、わたしを混沌(カオス)な状態にしないでっ、アツマくん」

「言語が乱れたな。おまえらしい慌てぶりだ」

一歩前に進んでくる彼。

彼はそっとわたしの両肩に手を置いて、

「たぶん、出会った時から、おまえのコトを『可愛い』と認識していたんだ。当初はその認識が浮かび上がらなかっただけで」

メチャクチャでハチャメチャなコト、言わないでよ……。

あなたの胸にカラダをくっつけたい気持ちが、わたしには浮かび上がりまくってるけど……!

 

 

 

 

【愛の◯◯】本を読んで音楽を聴いたら散髪に行こう

 

暖かな4月下旬の日曜日。

朝からドス黒い色のホットコーヒーを愛が飲んでいる。

ダイニングテーブルで向かい合っているおれが、

「飽きないな」

と言うと、

「飽きるワケ無いでしょ」

と愛が答える。

ほとんど飲み干した自分専用のマグカップを置く愛。

両手でマグカップに軽く触れながら、ニッコリニコニコとおれに笑いかける。

いつもながら眩しい笑顔だ。

眩しいし、美しい。

ただ、こんなふうにニッコリニコニコする意図が分からなかったので、

「企(たくら)みでもあってそんなにニッコリニコニコしてるんか」

と言ってみる。

すると、

「あなた今日は何にも予定無いんでしょ」

「無いが?」

「だったら、本を読んで、音楽を聴いて、充実した休日にするべきだわ!」

あーっ。

「おれと一緒に読書と音楽鑑賞がしたいんだな、愛?」

「まぁ分かるわよね」

「おまえの気持ちを推し量るのは簡単だ」

「どうして簡単だと思えるの?」

愛が前のめりになって、顔を近付けてくる。

おれが気持ちを推し量れる理由を真剣に問おうとしているのではなく、遊び心やからかい気分が溢れんばかりの笑い顔。

遊ばれてからかわれる前に、

「本読むのと音楽聴くのとどっちが先が良いんだ?」

と訊く。

「読書よ。読書の方が頭を使うでしょ」

と愛は即答。

「よし分かった。本棚で読む本選んでくる」

そう言って、リビングの本棚に行くために椅子から立とうとしたら、

「エッ、あなたもう本棚に行っちゃうの」

「本を選ばにゃ読書もできんだろ」

「わたしもう少しアツマくんと一緒に座ってたいのに」

なんじゃそりゃー。

「わたしに15分だけ時間をちょうだい?」

「15分間で何するつもりなんだ。15分間おれの顔を見続けたって何にもならんぞ」

愛は笑ったまま、

「アツマくんってホント何にも分かってないのね。『気持ちを推し量るのは簡単だ』って言ったばかりじゃないの。あのコトバは嘘だったのかしら♫」

と罵倒……。

 

× × ×

 

本棚の前で迷っていたら、ラテンアメリカ作家のフリオ・コルタサルの短編集を愛が薦めてきた。おれは愛の薦めに素直に乗っかる。

愛の方はルネ・デカルトの『省察』を読むようだ。哲学専攻らしいチョイス。

 

互いに黙々と本を読む。

おれは本棚の間近に腰を下ろしてフリオ・コルタサルを読んでいる。

愛はリビングの奥の方でデカルトを読んでいる。時折横向きに寝転がったり仰向けになったりと、読む体勢が結構変わっているのが眼に付く。

愛がコロコロ読む体勢を変えるのが『猫のようだ』とか思ってしまい、読書の集中力が少し途切れる。

愛を猫に見立ててしまった自らを恥じ、気合いを入れてフリオ・コルタサルに取り組もうとする。

キリの良い所まで読み、一旦フリオ・コルタサルから眼を離す。

すると何と愛のヤツは、某横浜DeNAベイスターズの某マスコットキャラクターのぬいぐるみを左手で抱きかかえながら、丸テーブルの上に開いたデカルトの文庫本を右手で支えていた。

「こ、コラッ! スターマンを抱きかかえながらデカルトを読むなっ」

器用さを褒めるよりも叱る声が先に出てしまう。

「ええぇ〜〜〜っ」

やや不満げな愛は、

「こういう読書のスタイルも有りなんじゃないの〜っ? スターマン抱きながら読むと集中できるのにぃ」

デカルトかスターマンかどっちか選んだらどうなんだ」

「選べないもん」

「相変わらず不真面目な……」

「アツマくんアツマくん」

「なんだよっ!!」

「もうすぐ正午よ」

「それが!?」

「お腹空いたでしょ。あなたの顔、お昼ご飯を欲してるような顔」

「す、す、好き勝手に言いやがって」

「わたしが『お昼ご飯作ってあげる』って言ったらどうする?」

「……ぬぐぐ」

たのしーい☆」

 

× × ×

 

飯を食った後は音楽鑑賞である。

ソファのおれは、

「せっかくフリオ・コルタサルを読んだんだから、ラテン系の音楽が聴きたいな」

サルサ?」と愛。

サルサだな」とおれ。

「OKよ」

と言ったかと思うと、軽やかな足取りで愛がソファに接近。

そして、ぽしゅっ、とおれの右隣に座ってくる。

「わたしは何聴こうかなー」

「なあ、愛」

「どしたの」

「おまえそろそろ美容室行ってきたらどうだ?」

「な、なに、それ!?!?」

盛大に驚き、

「音楽鑑賞からかけ離れた発言をしないで」

と言うも、おれは引き下がらず、

「髪を伸ばすのは良いと思う。ただ、伸ばすにも限度あるだろ。このまま伸ばし続けると暮らしのジャマをするかもしれんし」

「……」と、狼狽(うろた)え混じりに俯き、考え込んでしまいそうな勢いになる愛。

おれはポン、と愛の背中を軽く叩いてやって、

「ま、これは個人的アドバイスだ。散髪のお代はおれが出してやるから、行きたくなったら言ってくれや」

「それは……嬉しい」

もう一度愛の背中をポン、として、それから軽く撫でてやる。

背中を撫でられたおれのパートナーは、

「音楽に戻るけど、わたしさっきデカルト読んでたから、フランス繋がりでモーリス・ラヴェルが聴きたいわ」

と、ふにゃけたような声で伝えてくる。

「よっしゃ」

と言い、背中の次に、サラサラとした栗色の鮮やかな長髪を撫で始めて、

サルサラヴェルのどっちを先に聴くかは、ジャンケンな」

と、右隣のパートナーに告げるおれ。

 

× × ×

 

おれはジャンケンに勝った。したがってサルサを先に流した。

サルサを聴き終え、今度はモーリス・ラヴェルを聴くお時間になる。

『亡き王女のためのパヴァーヌ』がステレオコンポから流れ始めた。

右隣の愛は眼を閉じて『パヴァーヌ』に聴き入り始める。

聴き入り始めるのとほとんど同時に左肩をくっつけてきた。

とうとうスキンシップを敢行してきた愛が、本当の本当に小声で、

「わたしの髪の長さのこと、気にしてくれてて、ありがと。」

と言ってきてくれる。

「くすぐったい気持ちもあったけど、嬉しい気持ちのほうが大きかったわ……」

うむうむ。

 

 

 

 

【愛の◯◯】迷える『子猫ちゃん』なのを自覚して

 

グッタリした気分でベッドから起きた。

悪夢は見なかった。

アツマさんが遠ざかっていくような残酷な内容の夢は見なかった。

ベッドに座る。

現実がやって来る。

その現実は、

『アツマさんのパートナーの羽田愛さんは、アツマさんと最高に釣り合っていた』

という事実。

昨夜は敗北感以外の感情が無かった。

敗北感を押し潰すようにベッドに突っ伏していた。でも無理だった。

一夜明けた今、ベッドに座っているけれど、天井から来る圧(あつ)を被(かぶ)っているような気分だ。

敗北感の次に、挫折感。

頭痛がするのは、挫折感がのしかかってきてるから?

 

頭痛はするけど、空腹。

昨日晩ごはんを食べなかったから。

つらい感情でいっぱいなのに、お腹がすく。

自分のコトが分からない。

カラダのコトもココロのコトも分からない。

カーペットに視線を落とし、私は私自身に困惑する。

 

× × ×

 

鷲田清一の『じぶん・この不思議な存在』という新書を読みながら電車に乗る。

難しいコトが書かれているワケでも無いのに、ページがなかなか進まない。

 

× × ×

 

授業が入っていない土曜日。

学生会館に直行し、『MINT JAMS』のサークル室に直行する。

入室したときになって初めて、自分が鷲田清一の新書を鷲づかみしながら歩いていたコトに気が付いた。

例によってムラサキさんが居る。

「おはよう、小百合さん」

「おはようございます。本は大事に取り扱わないといけませんよね」

「……えっ?」

「いくら自分の所有物だからといって」

戸惑うムラサキさんを尻目に、部屋の奥のほうのソファに向かって歩く。

ソファに身を沈め、天井の丸いLED照明をボンヤリと見る。

「小百合さん。元気……かな?」

「元気じゃないです。混乱しています」

「こ、混乱って」

「私、まだ18歳の『子猫ちゃん』で」

「『子猫ちゃん』!?」

「ムラサキさんって当然20代ですよね。お酒が飲める年齢なんですよね」

「う、うん、そうだけど」

「だったら、ムラサキさんはとっくに『子猫ちゃん』なんか卒業してる」

「だっ大丈夫なの小百合さん」

「『元気じゃない』って言ったじゃないですか。大丈夫なワケが無い。回復を待ってる段階です」

「何が原因で……」

「言・い・た・く・な・い・で・す」

「!?」

 

たじろぐムラサキさん。

私はこれから1時間以上ソファに身を委ね続けるだろう。

このソファ……回復魔法がかかってたりしないかしら?

ドラゴンクエストの『ホイミ』や、ファイナルファンタジーの『ケアル』みたいな……。

 

 

 

【愛の◯◯】レジェンドには、スーパーヒロインが……。

 

『MINT JAMS』のサークル室。

私は椅子に座り、ムラサキさんは立っている。

「ムラサキさん」

「なあに、小百合さん」

「ムラサキさんって4年生ですよね。4月だから、今が就職活動シーズン真っ只中なんでは」

『どうしてそんなに暇(ヒマ)そうなんですか?』と訊こうとしたのである。

が、それを訊く前に、ムラサキさんの苦笑いが眼に飛び込んできた。

その苦笑いは何ですか。

『余裕をもって就活シーズンを過ごしてる』というコトで宜しいんでしょうか。

それほどまでに就活戦線が異常無し状態であると!?

 

就活の件は流されてしまった。

このサークルに入会したばかりだけど、曖昧な態度を取るコトがムラサキさんは多いというコトが早くも分かってしまった。

『この人は社会に出て上手くやって行けるんだろうか……』と思いつつ、CD棚を物色する小柄な4年男子をウォッチングしていた。

「あっ」

と言ったかと思うと、彼は振り向いてきて、

「今日はアツマさんが来てくれるよ」

と告知。

一気に私の気分が上がる。

アツマさんに会いたい。

ただ、ムラサキさんは、

「パートナーの愛さんも連れて来るってさ」

と付け加え。

羽田愛さん。アツマさんのカノジョさんである。

とうとうアツマさんのカノジョさんが私の前に姿を現す。

期待と不安がココロの中のミキサーでかき混ぜられる。

 

× × ×

 

ドアをノックする音が聞こえた。

アツマさんと愛さんが来たんだ。

アツマさんだけでなく愛さんも、この部屋に入ってくる……!!

私の緊張の度合いが急上昇。

しかし。

ドアを開けて入ってきたのは、アツマさんだけ。

 

アツマさんは開口一番、

「愛のヤツは諸事情で遅れてやって来る」

と。

えっ。

焦らしプレイ……ってコトバは適切じゃないような気がするけど、愛さんをさらに待たなきゃいけなくなった。

再び期待と不安が渦潮(うずしお)のごとくグルグルして、カラダがこわばる。

「小百合さんは熱心だな。おれが来るたびにサークル部屋に来てくれてて。サークルに馴染んでくれてて、嬉しいよ」

アツマさんのお言葉だった。

それから腕時計に眼をやるアツマさん。

「あと15分ぐらいで愛が到着する。遅刻は大目に見てくれ。難点だらけだけど、きっときみと気が合うと思うよ」

「気が合う……?」

アツマさんから微妙に眼を逸らして言う私。

「おれの直感ってだけなんだけどな」

 

それからアツマさんはムラサキさんと雑談を始めた。

男子ふたりの会話の内容が全然アタマに入ってこない。

カラダもココロもこわばっているから、雑談に耳を向ける余裕が無い。

 

そうして時は過ぎる。

椅子に座り続けの私の左方向から、軽くノックする音が聞こえてくる。

ついに愛さんが。

ついにアツマさんの恋人が。

けたたましいドラムのような鼓動が私の内部で鳴り響く。

緊張が最高潮に達する。

『彼女』が、ドアを、開く音。

 

 

 

× × ×

 

『晩ごはん要らない』

家族にそう告げた。

母に『どうして?』と訊かれたけど、首をブンブン振って、速足(はやあし)で階段まで逃げた。

 

そして2階の自分の部屋で、自分のベッドに突っ伏して、独りだけの時間を過ごしている。

つらかった。

寝返りが打てないぐらい、つらかった。

なぜか。

羽田愛さんに負けたから。

 

私が愛さんに勝ってるのは身長だけだ。

あんなキレイな女子(ひと)、今まで一度も見たコト無い。

しかもキレイなだけじゃない。キレイであると同時に、可愛らしさも容易に読み取れてしまう。

キレイかつカワイイなんて一番卑怯だ。

入室してきた彼女を見た途端に、全身に冷たさが走った。

冷たい感触が瞬く間に絶望感を形作っていった。

アツマさんやムラサキさんと喋っている愛さんを弱々しく見ていた。

彼女の話しぶりによって、

『ああ、この女子(ひと)、何でもできるスーパーヒロインなんだ。何でもできるから、レジェンドなアツマさんとピッタリ釣り合うんだ』

というキモチが芽生えてくる。

私の母校の高校でレジェンドな存在のアツマさん。そんな彼に憧れていた。実際に対面して、憧れはさらに膨らみ、『もっと近付きたい』という感情も抱いた。

だけど。

レジェンドな男子には、カリスマな女子が、よく似合う。本当によく似合う。

愛さんは自分のスペックを自慢したりなんかしない。

でも、分かっちゃう。同じ女子として。一撃で、愛さんのとんでもなく高いステータスを理解してしまう。

それとなく理解してしまう。私の全てのステータスが愛さんの半分以下であるコトを。

 

嫉妬じゃない。

嫉妬するエネルギーすら湧き上がらない。

負けて感じる虚脱感。

何も食べたくない。

突っ伏しているベッドから動きたくない。

 

『アツマさんが遠ざかっていく悪夢を見ちゃいそう』

 

そういう、つらさ。

愛さんを心からリスペクトできたら、納得して、アツマさんと適切な距離が保てる。

でもまだ心からリスペクトできていない段階だから、納得できない、消化できない。

未練のようなモノが残っている。

悪夢を見るかもしれない。

悪夢を見たなら、眼が覚めたとき、涙をこぼしているかもしれない。