某所某駅入り口付近。仕事終わりのおれは同じく仕事終わりの侑(ゆう)ちゃんと向き合っている。
侑ちゃんはジーンズ穿(ば)き。服装に関してあれこれ言われたりしない職場なのだろうか。他の業界のコトだから良くわからん。
全体的に動きやすそうな格好の侑ちゃんに、
「じゃ、バッティングセンターまで歩くとするか」
と告げる。
侑ちゃんからお返事がやって来ない。
どうした。
大丈夫か。
「……グズグズしてると、ケージが埋まっちゃうかもしれないぜ?」
戸惑いながらも言ってみたら、
「……そうですよね」
と、斜め下を向きっぱなしの彼女から小さな声のお返事がやって来た。
× × ×
好きなだけ打たせてあげるコトにする。好きなだけ打ちたい気分なんではないかと思ったから。
仕事で上手くいかないコトでもあったんだろうか。
それとも、プライベートな人間関係において『すれ違い』のようなコトが起こったりしたんだろうか。
『すれ違い』というのは……例えば、身近な男子と、すれ違ったりとか。
侑ちゃんの身近な男子といえば……『彼』なワケだが。
右打席に立ち続けて打ち続ける侑ちゃん、だったのだが、空振りの多さも目立ってしまっている。ミート力(りょく)は本来高いはずなのに。いつもの侑ちゃんと違ってスイングが大振りになるコトが多い。ブ◯イアントやエ◯ドレッドの如き『三振か、それともホームランか』的スタイルにまでは達していないが、それにしても彼女らしくないバットの振り方だ。
侑ちゃんの迷走ぶりを少し離れた位置からベンチに座って見つめている。
好きなだけ打たせてあげたいキモチに偽りはない。おれがバッティングのお手本を見せてやるのはまた今度でもいい。たくさん『溜め込んでいる』のはもう明白だから。ほとんどストレスフリーなおれと違って、発散したいモノが数多(あまた)あるに違いないから。
だが、凡打や空振りを積み重ねてしまうと、発散するどころか、『溜め込む』モノがさらに増えていってしまう。
――またもや、彼女が内野ゴロを打った。3打数連続である。
おれの懸念の度合いが増していく。
彼女はバットを強く握り直すが、余計なチカラが入ってしまっているとしか思えない。
ボールが再び射出される。
それなりの球速のボールに彼女は全く対処できない。本日いちばんのド派手な空振りがおれの眼に映り込む。
すっ転ぶ寸前まで彼女の体勢が崩れたので、おれはベンチから腰を上げる。
彼女の迷走の理由が解(わか)りかけてきている。溜め込んでいるモノの正体が解りかけてきている。
職務上のストレスではないという確信が生まれている。
やはり、『彼』との関わりに由来するモノなのだ。
おれが黙ってバッターボックスに近付いていくから彼女が少し後ずさる。
バットを握ったままの彼女の表情に若干の怯えの色がある。
ごめんな。ビビっちまうよな。
許してくれ。放(ほ)っとけなかったんだ。
このままの状態できみを帰すワケにはいかないから。
「あのっ、あのっ、アツマさん……。わたし、あまりにも……」
「『お見苦しい姿を見せ過ぎだったでしょうか』って言いたいんか?」
弱々しき声を遮るように言う。できる限り優しき声音で。
「……どうしてわかるんですか」
今の表情を見られたくないのか、ホームベースに向かって俯(うつむ)く。
「そりゃあわかるさ。『師匠』をナメてもらったら困る。きみが言いたいコトバだって先取りできる」
おれの『弟子』を自認している彼女におれはキッパリと言う。
「今日のきみの打率は2割を切っている。バッセンできみが打率1割台なんて、いまだかつて見たコトがない」
と言ってから、いったんコトバを切る。
俯き通しの彼女には酷(こく)なコトバが続くかもしれないが、
「これほどの不調には、メンタル的な事情が影響してるとしか思えない」
と告げないワケにはいかなかった。
「把握できちまうのさ、きみの事情が。『師匠』ゆえに、な」
と言い、
「『彼』の名前を出すのは、きみにとって不都合過ぎるんだろうが……許してほしい」
と言う。
かなり上昇する彼女の目線。ピクリ、という擬音が聞こえてきそうな反応。
「新田(にった)くんとギクシャクしてるんだろ」
彼女の両眼が一気に大きくなった。
さらに目線を上げて、おれを見上げようとするが、いつもの凛とした表情のカケラも残っておらず、弱々しさしか伝わってこない。
「どういうキッカケでギクシャクし始めたのかどうかまでは、訊かない」
そう言いながら、右のバッターボックスの白線まで歩を進める。
彼女に触れようと思えば触れられる距離の近さ。
「おれが言っておきたいのは、『歩み寄らないままだと、余計面倒くさくなるぞ?』ってコトだ」
再び目線を下降させる彼女。おれが告げたコトバを咀嚼(そしゃく)しようとしているのが伝わってくる。
どうにか咀嚼できたらしく、目線をゆっくりと再上昇させる。
「わかってます、歩み寄らなきゃ、ってコトぐらい。……でもっ」
声音はひたすら弱々しく、表情もひたすら弱々しい。
敢えて、
「『でもっ』って、なんだよ。歩み寄るのに、そんなに躊躇(ためら)いがあるってか」
と、突き放す。
絶句する彼女の眼の弱々しさが極限に近付く。
とっとと慰(なぐさ)めてやらんと、マズいよな。周りの目もあるコトだし。
――おれはおれの右手を伸ばし始める。
伸ばす先には、彼女がかぶっているヘルメット。
そのヘルメットに右手のひらを置くコトに躊躇(ちゅうちょ)など一切するはずもなかった。
ヘルメットに約10秒間右手のひらをくっつけたあとで、撫でていく。もちろんのコト、彼女の頭部が痛まない程度の強さで。
一気に目線を下降させる彼女は顔の発熱を少しも隠せない。
おれのキモチが浸透している証拠だ。
キモチが浸透しているがゆえに、くすぐったくなっているんだろう。
『師匠』が直(ジカ)に慰めているんだから、くすぐったくってもガマンしてほしいトコロだ。