「河端(かわばた)くん、手応えどーだったー?」
試験が終わった直後に、近くの女子が訊いてきた。
オレは、
「ギリギリ、なんとかなった感じ、かな」
とコトバを濁し気味に言う。
「『ギリギリ』!? それは、危うい」
彼女はいきなり大声を上げ、
「答え合わせ、してみる!? この場で」
と、オレを教場に束縛しようとしてくる。
オレはどうにか立ち上がって、
「ごめん、急いでるから」
と告げて背中を向けるも、
「急いで立ち去ろうとする理由は何(なん)なのかな~~っ」
と、愉(たの)しげな声が降り掛かってきて……。
× × ×
廊下に出た瞬間に、複数の女子の笑い声が耳に響いてきた。
胃に鈍痛を感じないワケが無かった。
× × ×
屋外に出ると一気に眩しくなった。先程まで試験を受けていた講義棟の廊下が薄暗かったので、余計に眩しく感じる。
下向き目線で掲示板付近を歩いていたら、人にぶつかりそうになってしまった。衝突事故未遂。『果てしなくダメなオレになってきてる……』と胸の中で情けなさを膨らませる。
女子学生に正面衝突してしまったら厄介ドコロの話ではない。下り坂が始まる地点の眼の前に来たオレは、背すじを立て直して、深呼吸を5回繰り返す。高校時代の部活動で覚えた深呼吸のやり方だった。
メンタルを完璧に安定させられたワケも無いが、約束を結んでいる先輩(ヒト)をイラつかせるワケにもいかないので、足を前に踏み出し、キャンパス入り口に向けて坂を下っていく。
× × ×
小松(こまつ)まなみ先輩。ボーイッシュかつスポーティーな短髪は高校時代から変わっていない。背丈も高校時代と変わり無い(『165センチだよ』と自己申告してきたコトがある)。体型も高校時代と変わり無い。
そして、肩掛けバッグも。オレンジ色を基調として青いラインの2本入った肩掛けバッグは、彼女が高校時代から愛用していたモノだった。
まなみ先輩の前に立ってからすぐに、ココロの落ち着きを取り戻し始めていた。馴染みの先輩女子の姿を眼にして、安堵する。オレの安堵に最も貢献しているのは、もしかしたら彼女の愛用の肩掛けバッグなのかもしれない。
「おつかれ、海也(かいや)」
『おつかれ』と言われた。名前も呼ばれた。まなみ先輩の微笑みには破壊力がある。
彼女の『おつかれ、海也』によって、オレはオレの足を一歩前に進めていた。
尻込みの真逆だった。前進の理由は、自分でも分からない。『おつかれ、海也』が嬉し過ぎて、勢い余りまくりな状態になっているのかもしれない。
まなみ先輩は、距離を詰められたけど、動じているような様子は無い。
……今は、動じてないけども、オレが更に前に進んできたなら、様子が変わっちまうのかもな。
そんなキモチを抱きながら、先輩に向き合っていたら、
「あれれー」
と言いつつ、先輩が苦笑い顔になって、
「お返事言ってくれないと、あたし物足りないなー」
と不満をこぼしてくる。
『おつかれ、海也』への「お返事」。難しくは無い。感謝のキモチを言語にできないほど、オレは柔(ヤワ)じゃない。
だから、
「ありがとうございます。先輩が『おつかれ』って言ってくれると、元気がどんどん出てきます」
と言ってあげた。
ただ単に言ってあげるだけでは終わらなかった。
感謝と同時に、オレの足は、より一層前へと進んでいた。
踏み込んで、適切だった距離感を壊していく。踏み込んで、ソーシャルディスタンスみたいな概念を打ち砕いていく。
あと少しで、オレのカラダの表側と彼女のカラダの表側が接してしまう。
昼休みに差し掛かっているから、キャンパス入り口辺りは人の往来が激しい。オレたちの横を何人も何人も学生たちが通り過ぎる。立ち止まる女子学生などはいないものの、横から向けられる視線は度々(たびたび)感じられる。
オレが見下ろしているまなみ先輩の顔が赤くなっていた。高校の部活で出会って以来、彼女がこんなにも顔面を炎上させたコトは一度(いちど)たりとて無かった。
オレの脈拍が次第に際立ってきている。取り戻したはずの落ち着きを自分自身によって引き剥がしてしまった。自分自身の行為のせいで、落ち着きが再び消え失せていく。
× × ×
まなみ先輩がオレの試験の手応えを訊いてくるコトは無かった。
都電荒川線の停留所にたどり着くまでに行われたコトバのキャッチボールはたったの3回だった。真剣なコトバのキャッチボールも愉快なコトバのキャッチボールもできなかった。
オレが先に乗車した。まなみ先輩に振り向けない。互いの間(あいだ)に気まずさは横たわり続ける。
車両が動き始める。
座席が全て埋まっているワケでは無かったが、オレも先輩も自然と吊り革を掴んでいた。
吊り革1個分の余白があった。
車両の振動は、気まずさの緩和に一切貢献しなかった。
冬の陽射しが車窓から入り込み、オレの上半身を抉(えぐ)ってきた。
冬の太陽を憎んだ。
『北風と太陽』なんて童話は駄作の中の駄作だと思った。