ニチアサキッズタイムを満喫していた父を追い出したリビングに笹田(ささだ)ムラサキくんが来ている。
ムラサキくんとわたしの向かい合いだ。
ムラサキくんの背丈はわたし(158センチ)よりも少し高いぐらい。20歳をとっくに過ぎているんだけれど、10代半ばの男の子みたいな童顔だ。
「あなたも久々の来訪で、久々のブログへのご登場ね」
ジョーク混じりに言ってみる。
「『ブログへのご登場』は……余計では」
声変わりを経ていない声でムラサキくんが言う。久々の2人だけの会話。彼のボーイソプラノはわたしの耳に懐かしく響く。
わたしはムラサキくんの童顔やボーイソプラノを強調しているけれど、ムラサキくんはもうコドモじゃない。『社会人になる』という意味でコドモじゃないのだ。就職浪人を経て内定を勝ち取った彼。4月から働き始める。就職浪人の身で内定を掴み取るほどのガッツはわたしも見習いたいほどだ。
――だけれど、わたしはムラサキくんとお仕事の話がしたくてこの場に居るんじゃない。
ムラサキくんの本日の「これからの予定」こそが大事なのだ。
だから、
「ムラサキくん?」
と、お腹の前で両手を軽く組みながら名前を呼び、それから、
「今日は、どんな場所で蜜柑(みかん)と遊ぶんでしたっけ?」
と訊く。
わたしはニヤつくのを我慢できなかった。住み込みメイドの蜜柑がこの場にいたら、『お嬢さま、はしたなさ過ぎますよ!?』と怒られていたかもしれない。だけれど、蜜柑は階上(うえ)で作業中。問題は何も無い。
そうなんである。ムラサキくんは、デート相手の蜜柑が階下(ここ)に下りてくるのを待っているんである。わたしは言わば、それまでの話し相手。蜜柑がやって来るまでの中継ぎ的な存在に過ぎない。
でも、中継ぎピッチャーだってちゃんとした役目があるんだし、中継ぎだからといって手は抜かない。
手を抜かなかった結果、ムラサキくんを唖然とさせてしまったんだけれどね。
火照りつつしばらく唖然となっていたムラサキくんだけれど、時間はかかったものの、本日のデートで立ち寄るスポットを全て教えてくれた。
落ち着きを徐々に取り戻すムラサキくんが、
「段取りは……ちゃんとしたくって」
と真面目な声で打ち明ける。
「デートの段取りのコトね。蜜柑は『ちゃらんぽらん』がデフォルトだから、自分がスケジュールを引き締めなきゃって思ってるのね。偉いわ」
「偉い……かなあ」
ムラサキくんがイマイチ自信を持てていないがゆえに、
「わたしの邸(いえ)、門限だとか、そういうのは一切設定されてないから」
と、デンジャラスなニュアンスがだいぶ色濃き発言を繰り出していく。
本日2度目の唖然がムラサキくんに到来した。
「蜜柑が高校生の頃も、門限なんて無かったし」
意地悪く付け加えちゃうわたしなのであった。
× × ×
ダイニング・キッチンに来ている。ダイニングテーブルの前に着席してチョコレートケーキを食べ続けている。今、4皿目。自他ともに認める胃袋ブラックホール女子なわたしは、チョコレートケーキを次から次へと自由気ままに消費していく。
ダイニング・キッチンの中に蜜柑も居たならば、6皿目に差し掛かった辺りでわたしからお皿を取り上げていたかもしれない。『飲み食いの節度さえもう少しちゃんとしてたら、お嬢さまは言うコトの無い社長令嬢なのに……』みたいな小言を言われていたかもしれない。
しかし! 只今蜜柑は、年下ボーイフレンドのムラサキくんと絶賛デート中なんだから、邸内には不在! フォークを動かす手を止める存在が皆無! これほどまでに好都合なコトなんて、ほとんど無いんじゃないかしら!?
× × ×
空が冬の夕焼けに染まり始める頃に蜜柑は帰ってきた。
リビングで出迎えたわたしは、
「ずいぶん早かったじゃないの。全寮制の女子校に通う娘(こ)みたいに真面目なのね」
と挨拶代わりに言う。
「微妙な比喩はやめてくださいませんか」
たしなめの蜜柑は、ソファに緩く腰掛ける。
20代向けファッション誌のモデルみたいな装い。かなりのコンサバ寄り。高身長でスタイルの良(い)い蜜柑の魅力を引き立てている。本人の了解を得ずに読者モデルに応募したくなってくるじゃないの。読者モデル募集してる雑誌がどのくらいあるかは把握してないけれど。
蜜柑の座り姿を眺め回し続けながら、
「そんなに微妙な比喩だと思った? 心外ねえ。あなた、わたしにもっと好き勝手に喩(たと)えられたいのね」
と挑発する。
「ヘンな言い回しばっかり……。これだからお嬢さまは」
不満げな蜜柑。
わたし、ヘンテコな言い回しは一切していないつもりなんだけれど。
× × ×
夕食の調理に取り掛かっている蜜柑を追いかけるようにしてダイニング・キッチンに入った。
パスタを茹でる蜜柑の背後まで来て、
「あなたとムラサキくんは出先でどんなスキンシップをしたの?」
蜜柑の背すじが途端に大仰に伸び上がり、
「おっおじょうさまっ!?」
という悲鳴が鼓膜を楽しませてくる。
お鍋が沸騰していく音も鼓膜を楽しませてくる中、
「出先でどんなスキンシップをしたのかって訊いてるんだけれど」
と蜜柑の背中を追い詰めていく。
「ぱっパスタが茹で過ぎ状態になってもよろしーんですかおじょーさまはっ」
慌ててお鍋の中をかき混ぜる蜜柑は、早口。
「パスタがフニャフニャになるのは困るわね」
と一旦言いつつも、
「だけれど……」
と、わたしは、イジワルなお嬢さまに相応しき声音になって……!!
× × ×
パスタは無事適切に茹で上がり、美味しいペペロンチーノが出来上がった。『アーリオ・オーリオ・エ・ペペロンチーノ』と呼びたくなる素晴らしいペペロンチーノだった。わたしが何皿お代わりしたのかは残念ながら文字数の都合で省略します。
再びのリビング。
「わたし今日はもう寝ます」
弱い声で告げた蜜柑がソファから立ち上がり、わたしに後ろ姿を見せる。
大きなグラスでハイボールをぐいぐい飲んでいるわたしから遠ざかり始める蜜柑。
タイミングを逸したくないから、
「寝る前に、ムラサキくんと長電話しなきゃダメよ?」
蜜柑の長い脚がピタリと止まり、
「なんですか、それ」
「日没前にデートから帰ってきた人間の義務よ、デート相手と夜に長電話するのは!!」
何秒間か蜜柑は静止するけれど、やがて顔の向きを換えていく。
わたしの方を見てくる眼がジトォッ……としていて、この上無く愉快だった。
「……そんなにハイテンションな表情を作り上げないでくださいませんか」
「作り上げない方が無理なんじゃないのぉ?」
「おじょーーーさまッ!!!」