【愛の◯◯】煩悶と母さん

 

『来年、教員採用試験に受かったら、あなたにプロポーズする』

そんな趣旨のコトを愛(あい)に言われた。

絶句するしか無かった。絶句するしか無いおれを愛が暖かな微笑で見てきていた。

卑怯なほど美しくそして暖かい微笑をマトモに見られなかった。トボトボと夜の並木道を歩き、駅までたどり着き、電車に乗った。

帰りの電車の席が埋まっていて助かった。隣り合って座っていたら寄り添われると思ったから。

 

愛が寝室に入ってからすぐに寝室に入れるワケも無かった。

ソファに座り、半ば呆然として、何も映っていないテレビの液晶画面を見つめていた。

『プロポーズ』

カタカナ5文字が重くのしかかってきた。

つまりは『結婚してください』というコトなのだ。

教員採用試験合格という「条件」を満たしたら、愛が、おれに、結婚、を申し込んでくる。

来年の採用試験の合格発表までまだ時間がある、とかそういう問題じゃない。

『結婚』

って、いったいなんだ。なんなんだ。

おれは、自問自答しても答えの出ない沼の中にハマり込んだ。

いつまでも寝室に入れないまま夜が過ぎていった。

 

× × ×

 

翌日から邸(いえ)に帰って年を越すコトになっていた。

当然、愛と2人で邸(いえ)に向かって行った。道中で、愛からの問い掛けに思うように応答できないコトが何回かあった。

 

鼻歌を歌いながら、愛は2階の自分の部屋へと歩いて行った。

愛について行けないおれは、邸内(ていない)で6番目の規模の『リビングF』へとスローに足を運んでいった。

荷物から手を離し、雑な勢いでソファに腰を下ろす。

上げられない目線を長(なが)テーブルに注ぎながら、昨夜の『予告プロポーズ』の場面を思い出してみる。

……待てよ。

『予告プロポーズ』

と、あいつは定義していたと思うが、

『予告プロポーズ』

よりも、

『プロポーズ予告』

とする方が、正しいんじゃねーのか?

『予告プロポーズ』

だと、予告していたプロポーズが既に完了しているようなニュアンスがある。

だったら、

『プロポーズ予告』

とした方が、これからプロポーズを行う予定であるというニュアンスが強くなるから、より適切なんでは無かろうか。

『予告プロポーズ』か。

『プロポーズ予告』か。

日本語、難し過ぎやしないだろうか……。

 

昨夜の『アレ』が『予告プロポーズ』なのか『プロポーズ予告』なのか答えをどうにも出せないでいたら、軽快なスリッパの音が聞こえてきた。

このスリッパの音は……。

 

× × ×

 

「アツマは、『迷える子羊ちゃん状態』なの?」

母さんが、おれから見て右斜め前のソファに腰掛けた瞬間に、そう問い掛けてきた。

過剰に伸びざるを得ないおれの背すじ。

ビビらない理由が存在しない……!

不甲斐無い声で、

「おれがそんなに迷いの森に入ってるみたく見えるんか」

と問い返すが、

「みえる~~」

とすぐさま答えられて……。

「愛ちゃんを追って階段を上がって行かなかったってコトは」

母さんは、

「ゆうべ、愛ちゃんに何か言われて、未だにモヤモヤしちゃってるとかなんじゃーないのー?」

と奇妙なほど鋭い指摘をしてくる。

おれは、

「ケンカしたとか、そういうワケじゃないから」

とあまり強くない声で言う。

母さんは、

「『何か言われた』のは、否定しないのねえ~~☆」

とすこぶる明るい声で言ってくる……。

愛に言われた『◯◯なコト』は、隠し通したい。

けれども、母さんがどんどん物理的に距離を詰めてきているから、どんどん追い詰められていくような感覚に苛(さいな)まれて、隠し通せる自信を削られていく。

「ねえ、アツマ」

母さんは無邪気に、

「ナデナデしてあげよっか?」

全身が震え出すおれは、

「なっなにいってんだ母さんッ」

と声を裏返らせてしまい、

「おれは社会人なんだっ、もう幾つ寝ると25歳なんだっ、母さんのスキンシップなんて必要無い、過剰なコドモ扱いは……」

「おびえてるわねえ」

「お、おびえてねーよ」

必死に反発するのだが、

「甘えておくべき時に甘えておかないと、愛ちゃんを上手く抱き締められなくなっちゃうわよ?」

……母さん?

その御意見は、なに!?

そのロジックは、なに!?

「り……リクツがおかしなコト、あんまり言わないでくれや」

「おかしくな~~い」

甘くたしなめる母さんがとうとうおれの右手に触れてきた。

中指や薬指をもてあそんできて、おれのカラダとココロの温度を氷点下まで下げてくる。

「アツマぁ。今年はもう、お仕事、無いんでしょー?」

「そ、それが、どうした」

「昼間からお酒が呑めるじゃないのよ~~☆」

「だっだらしないぞ母さんッ!?」

声音を制御できないままに叫んでしまうおれ。

叫んだ直後、右手をギュウッ、と握られた。

離せない。

母さんはニコニコしているが、息子をゼッタイに引き離したくないキモチが、右手を握り込む左手に籠もっている。

本格的に厄介になってきた。

そして誰も助けてくれない。

昼呑みに持ち込まれると、母さんは圧倒的に酒に強いから、ツブされる危険性が……!!!