熱燗の中身がわたしのお猪口(ちょこ)にどぼぼ、と注がれる。注いでくれたのは、真向かいの椅子に座るおねーさん。ビールへの『耐性』が無い代わりに日本酒に強いおねーさんだから、熱燗で飲むに相応しい日本酒を熟知していて、日本酒の醍醐味を未(いま)だあまり知らないわたしの期待を高めてくれる。
本日の飲み会は2人だけの世界。すなわち「サシ飲み」、おねーさんと至福の時間を共有できる喜びがある。わたしの兄貴だとか、不純物的にジャマしてくる存在が皆無だから、眼前(がんぜん)のおねーさんの美貌を独り占めできる喜びに満ちている。
お猪口を持つ。
「カンパイしましょう」
とおねーさんに言い、右手に持ったお猪口を彼女のお猪口に近付けていく。
わたしと同じく右手にお猪口を持っているおねーさんが、
「どっちから先に『カンパイ』って言うの?」
と微笑みながら言うんだけど、わたしは「サシ飲み」では積極的になりたいから、彼女の問いを無視して、
「カンパイっ!!」
と言うと同時に、結構な勢いでお猪口をお猪口にぶつけていく。
× × ×
わたしの好みにジャストフィットの熱燗だった。まどろっこしい苦みなどは感じられず、口の中が爽やかになるぐらいのスッキリした味わいだった。おねーさんは流石のおねーさんで、わたしにジャストフィットな熱燗を選んでくれただけではなく、熱燗の味わいと絶妙に響き合うお料理をオーダーしてくれていた。
肴(さかな)としてベストな焼き魚が舌を楽しませてくれる。
おねーさんに感謝しながら箸を置いて、
「気分が最高。わたしとおねーさんの時間も空間も誰ひとり遮ってこないし」
と言って微笑む。
おねーさんは、可愛くて綺麗としか言いようが無い微笑み顔で、
「わたしも最高よ。もしアツマくんがこの場に混じってたりしたら、空気をまったく読めない発言を連発してきてたと思うし」
と、彼女の彼氏たるわたしのバカ兄(あに)に対し無慈悲なコメントを発してくれる。
それから、
「空気を読む能力が無いってのも、それはそれでチャームポイントなんだけど、今日はマンションで大人しくしてくれていて、ホントーに助かるわ」
と美しき声で言いながら、右手指で摘(つま)み上げたお猪口に美しくて温かい視線を送っていく。
ポワ~ンと気分が浮き上がってきているのを自覚するわたしは、
「今は、思う存分攻撃するとして――マンションに帰ったら、思う存分優しくしてあげるんでしょ?」
ジワァッ……とほっぺたの辺りが熱を帯び始めた彼女は、
「よくわかってるじゃないの」
とわたしをホメてくれた後で、
「それはもう優しくしまくりよ。今夜が何曜日の夜なのかってハナシよ」
と言い、笑みを崩さずお猪口の中身を口に含ませようとする。
そこはかとなくキワドいおねーさんだ。
× × ×
居酒屋からわたしの邸(ウチ)まで結構な距離があるので、幾分早めに「サシ飲み」を切り上げなきゃいけなくて、つらい。
わたしが電車に乗る駅へと2人して向かっている。おねーさんの方が先行してテクテクキビキビと歩いている。
『おねーさんが逃げ馬だとしたら、わたしは差し馬か』
競馬記者・戸部(とべ)あすかへのカウントダウンが始まっているから、ついつい、俄仕込(にわかじこ)みの競馬知識を働かせてヘンな仮定をしてしまう。
大逃げというワケではない。3年前の天皇賞・秋みたいな、おねーさんがパンサラッサでわたしがイクイノックスであるような位置関係とは違う。
……俄仕込みの喩(たと)えも、ほどほどにしなきゃだな。
駅まであとちょっとの地点で、おねーさんが立ち止まった。
振り向いてきて、歩み寄ってくる。
「あすかちゃん」
彼女が、真面目かつポジティブな声音(こわね)で、
「あなたも、シッカリしなきゃダメよ?」
と言ってくる。
『もちろん、わたしもシッカリしなきゃダメ。でも、シッカリしなきゃダメなのはあすかちゃんも同じ。諸々の意味において……ね』
こういった思いをわたしは容易に読み取る。
だから、わたしの方からも歩み寄っていって、
「わかってますから」
と言ってあげて、カラダを前方に傾けていく。
× × ×
抱きついた後で、おねーさんの耳元に、二言三言(ふたことみこと)ささやいた。
おねーさんと兄貴のカップルの『この先』に関するコトをささやいた。
おねーさんの耳たぶの火照りがいとも容易く感じられたのが嬉しくて、帰りの電車内でずーっと反芻(はんすう)していた。