「ずいぶん遠くまで歩くんだな」
背後から、マッキーの声。
わたしは立ち止まる。
マッキーの声に、若干の「くたびれ」を感じ取ったからだ。
たしかに、JR新宿駅某・改札口から目的地まではかなり距離があるんだけど、
「マッキー、大学生になって体力落ちた?」
と、わたしは、振り向くとともに、高校の同期男子に指摘ビームを飛ばしていく。
「大学生って、体育の授業、無いワケ」
大学生じゃないからそこら辺の事情を知らない。ゆえに、訊いてみる。
マッキーは、あっさりと、
「あるが」
と返答。
「サボってんじゃないの?」
とわたし。
「なぜそんなコト訊く」
とマッキー。
「『体育の授業サボってるから、体力落ちてるんじゃないの』って思ったから」
とわたし。
さほど間を置かずに、
「サボってねーよ」
とマッキーは、あっさりと。
「だったら、体育の授業中、手を抜いてるんだ」
「抜いてないから」
あっさりと返答し続けるマッキーに苛立ってきて、
「抜いてるでしょっ。わたしの眼はごまかせない、高校3年間同じクラスだったんだからっ」
と前のめりになりつつ言ってしまう。
マッキーが少したじろいで少し後ろに下がった。
気まずくなってくる。
× × ×
噛み合わないやり取りをしてしまったのを引きずりながら、お目当てのベーカリーカフェに足を踏み入れていった。
マッキーに対する苛立たしさも残っていた。気まずさも感じ続けていた。
でも、ふんわりとしたクリームパンをひと口味わった途端に、苛立たしさとか気まずさとかが、急速に遠くに逃げていった。
パンは、偉大だ。
『小麦(こむぎ)』という名前のわたしは、小麦をココロから愛している。
美味しいパンのためなら、駅から徒歩25分のお店まで行くのだって、全然苦にならない。
ふんわりクリームパンを夢中になって味わった。味わい尽くした。
わたしの分のクリームパンが形を無くしてから、マッキーの分のクリームパンが形を無くしていないのに気付く。
なんで食べるのそんなに遅いんだろ。不可解。こんなに美味なクリームパンだったら、誰でもあっという間に食べ切っちゃうはずなのに。
真正面座席のマッキーに向かって、わたしは、
「クリームパン苦手とかじゃなかったよね? 食べる速度がそんなに遅いの、疑問なんだけど」
と、両手で頬杖をつきつつ言う。
マッキーが、手にしていたクリームパンをお皿に置いてしまった。
おいおい。
だいじょーぶか。
次第に次第に、マッキーのコトが心配になってきたわたし。
……なんだけど、マッキーが自分の眼をわたしの眼に合わせてきているコトに気付き始めたから、心配が困惑に変わっていく。
真面目顔になった同期男子は、
「まだ食べ切れてない、理由は」
と言い、それから、
「おまえが、ホントに幸せそうに、クリームパンを食べてたから」
と打ち明ける。
わたしの心臓がジャンプした。
不必要なほどに、ジャンプした。
困惑の波が、わたしの胸の中心に向かってどんどん押し寄せてくる。
× × ×
「準備」ができていなかったのを悔やんだ。
マッキーのコトバに戸惑ったりしないための「準備」を怠っていた。
心臓が跳ね上がるようなコトを言われる可能性、十二分にあったのに。
マッキーに対する意識を制御できない。
JR新宿駅某・改札口へと戻っていく足取りも重くなる。
往路と同じく、背後にはマッキー。
歩きながらどんな表情になっているのか、確かめるのがコワい。
だから、もはや振り向けない。
まだ復路の半分も消化していない地点で、
「中嶋(なかじま)?」
と、マッキーが、わたしの苗字を呼んできた。
「な、なに、巻林英雄(まきばやし ひでお)くん」
フルネームで返事するわたし。なぜフルネーム呼びをしたのか、自分でもまったく分からない。
混乱のまっただ中で胸が苦しくなりそうなわたしに、
「なんでおまえ、さっきの店で、口数が途中から極端に少なくなったんだ。パンを食う速度も落ちてたし」
というマッキーの疑問が降(ふ)りかかってくる。
背中まで重くなる。
遥か遠くにそびえるビル群に険しい目線を送ってしまう。
ビル群を睨みつけると同時に、自分自身も睨みつけてしまう……そんなわたしがいた。
「それは、巻林くんの、気にし過ぎなんじゃ、ないかなあ」
ラチもあかずにそう答える。
『マッキー』と、呼べない。わたしがわたしを見失っている証拠。
居心地の悪い沈黙が、必然的に発生する。
わたしはわたしを見失っているからコトバを上手く継げない。わたしがわたしを見失っているから背後の男子はどんなコトバを投げかければいいのかが分からない。
くちびるを噛んだ。甘くなかった。
足がまったく前に進んでいかない。不自然に立ち止まったらますます態度を疑問に思われてしまうのに、足を動かすコトができない。
そして、背後の男子の気配が、着実に近付いてきている。
察知できないワケも無かった。気配の接近に敏感になっているから、怖さが5倍増しになった。
「……今のおまえが気になってしょーがないんだが」
コトバがまっすぐにわたしの背中のド真ん中に突き刺さってきた。
「ちゃんと家に帰れるんかな、って」
言い足された。
上半身を完全に貫かれる。コトバで。
『バカにしないで』
『コドモじゃないんだから』
『帰れないワケ無い』
こういう風な反発のコトバを口から出せる余地も無い。反発のコトバ以前に、反発のキモチがぜんぜん湧き上がらない。
だから、押し黙る。どうしていいか、分からなくなる。
このまま、マッキーと離れたくない。
事態をなんとかするまで、離れたくない。
でも、なんとかするには、どうしたらいいの。
分からないよ。
堂々巡りだよ。
わたしって……高校卒業してから約9ヶ月も経ってるのに、ぜんぜん進歩してない、ぜんぜん成長してない。
進歩も成長も無いから、振り返れない、向き合えない。
離れたくないキモチがくすぶるだけ。