「暦の上では冬だねえ」
丸田吉蔵(まるた よしぞう)くんが時候トークを始めようとするので、コーヒーカップを拭く手に余分なチカラが入る。
「ほのかさんは、初冬(しょとう)の季語だと、何が思い浮かぶ?」
わたしの脳内に歳時記がインプットされている前提で話しているんでは無かろうか。それってどーなの。
拭き終えたコーヒーカップを置き、眼前(がんぜん)のカウンター席の丸田くんに厳しい視線を差し込んで、
「『小春(こはる)』と『時雨(しぐれ)』」
と一般常識レベルの季語を挙げる。
丸田くんは、ニコニコ。
なんなのそのニコニコ顔。
× × ×
木曜のお昼手前である。実家のカフェの手伝いをするのと並行して丸田吉蔵くんの相手をする羽目になっている。
「わたしそろそろお昼休憩に入ろうと思うんだけど。丸田くんもそろそろ店を出たら良いんじゃないの?」
彼の顔面をあまり見ずに、挑発的なニュアンス含みのコトバを出したら、
「きみがお昼休憩に入る前に是非とも報告したいコトがあるんだよ」
と彼が不穏なコトバを返してきて、
「つい先日、おれが所属してるボクシングジムに、戸部(とべ)アツマさんがやって来てくれたんだ」
と、わたしにとって都合の悪い人物の名前を出してくる。
「言わば、『OB訪問』だね。その場で、スパーリングしてる姿をおれたちに見せてくれたんだけど――」
朗らかな声で言う彼は、
「生半可な不良なんか、アツマさんのパンチ1発でイチコロだろうなあ。スゴいスパーリングを見るコトができて、感激したよ」
と礼賛。
「アツマさんは、きみの女子校時代のセンパイである羽田愛(はねだ あい)さんとふたりで暮らしてるんだよね。羽田愛さんを末永く守ってくれそうで、良いよねえ」
羽田センパイを守ってくれるフィジカルの強さを彼は言っているのだ。
ただ――強いのは、アツマさんだけではないんだから、
「アツマさんのパートナーだって、腕っぷし、相当強いんだよ?」
と言ってみる。
本日のブレンドコーヒーをずい、と飲み切ってから、丸田くんは、
「それは興味深いなあ。興味深いコトが聞けて、すこぶる嬉しいよ」
……あっそ。
× × ×
腕っぷしが相当強い羽田愛センパイの誕生日は実は明日である。
明日で、彼女も23歳。女子高校生の如きお肌の潤いは全く失われていない。当然のコトながら相変わらず細身で、腕っぷしの強さに代表されるフィジカルの強さが時折不可解に感じられちゃったりもする。
明日は、アツマさんの実家の邸宅にてバースデーパーティーが催される。招待状がわたしん家(ち)のポストに届いてきていた。
午後3時を過ぎている。わたしは店の手伝いをとっくに終えている。
勉強机の上に広げているのはバースデーパーティーの招待状。その横にスマートフォンを置き、腕組みしながら机上を凝視する。
当日ドタンバキャンセルは……マズいよね。
お断りするんだったら、今日が終わるまでに羽田センパイに連絡しなきゃいけない。
スマートフォンを一旦持ち上げ、LINEアプリを開く一歩手前まで行くけど、迷って、結局もう一度机上に置く。
羽田センパイに会いたくないとかでは全然無い。そんなのあり得ない。不和なんかあるワケ無い。
ただ、明日のバースデーパーティーには、さまざまな人々がたくさん参加するのであって。
ハッキリ言えば、顔を合わせると気まずくなってしまう可能性の高い人物が、想定される参加者の中にはいて……。
戸部アツマさんのコトじゃない。
アツマさんの……妹の……あすかちゃんのコトだ。
× × ×
『どうしてわたし、こんなにためらってるんだろう。あすかちゃんからの『宣戦布告』は受け入れた。それなら、堂々とパーティー会場に赴いて、堂々とあすかちゃんの前に立てば良いのに。……肝心なトコロで、わたし、踏み切れないし、踏み込めない。こんなコトじゃ、あすかちゃんに負けそう……』
ココロの中でそんなコトをブツブツと呟いていた。机上の招待状は裏返しになっていた。裏返しにしてしまった自分がイヤになっていた。
スマートフォンを見る。いつの間にか午後5時を過ぎている。羽田センパイに一刻も早く意向を伝えなくちゃ。でも、ためらっちゃう。自分の考えが上手く『見える化』できない。
勇気を出して、自分の考えをノートに書き出してみる……のが、良い方法なんだと思う。でも、ノートへも文房具へも手が伸びていかない。
ノック音が部屋に鳴り響いた。
ドアの方に振り向き、肩を落としながら歩み寄る。
ドアを開けたら、
「洗濯物だよー」
と、おかーさんが、洗濯済みの衣類を差し出してきた。
「今日の手伝いの分の『おこづかい』は、夕ご飯を食べた後で」
そう告げるおかーさんに、
「……うん」
と、不甲斐無い返事しかできない。
頭頂部に柔らかな感触がやって来る。おかーさんがおかーさんの手をわたしの頭に置いたのだ。
ビックリするから、こそばゆくなって、何も言えなくなる。『大学卒業直前の娘にこんなスキンシップするなんて、おかしいよ』だなんて、到底言えるはずも無く。
おかーさんはどうやら、『何か』を感じ取っているみたいだ。それを徐々に覚(さと)っていくがゆえに、わたしの小さな胸が熱くなり始めていく。
わたしほどには胸の小さくないおかーさんが、わたしの頭をナデナデする手をやがて止める。頭頂部から感触が離れる。
「ほのか? 『注意喚起』、なんだけど」
『注意喚起』というワードがいきなり飛び出してきたから、うろたえて、うつむく。
「夜になってからウチの近所を歩く時、ほのかにも気を付けてほしいコトがあって」
「……寸借詐欺(すんしゃくさぎ)でも出没するの?」
「ちがうちがう」
柔らかく首を振った後で、おかーさんは、
「夜中にバイクの音がうるさく鳴り響くコトが多くなってるみたいで」
と言い、それから、
「これは、ウワサの域をまだ出てないんだけど……。近所のお家の若い娘さんが、夜、帰宅する途中で、言い寄られたらしくって。どうも、近辺に、良くない男の子たちが『たむろ』してるみたい」