「楽しかったわ」
そう言って、濱野(はまの)くんとの距離を少し詰めて、
「上映時間が60分を過ぎた辺りから、あなたはずっと真顔になってた気がするけど。わたしの逆で、つまんなかったってコト?」
濱野くんはやや狼狽(うろた)え気味に、
「器用なんだね、徳山(とくやま)さんは……。スクリーンに見入りながら、おれの表情もチェックしてたなんて」
「わたし、『つまんなかったのかどうか』が知りたいんですけど」
「んんっ」
なにそれ。なにそのリアクション。
喉に魚の小骨が引っ掛かったみたいに……!
「ハッキリさせてよっ、つまんなかったのか、つまんなくなかったのか!」
気が付いたら濱野くんのシャツの袖をくいくいと引っ張っているわたしがいた。
ロビーへと戻る通路なんだけど2人とも立ち止まっている。『左隣の濱野くんの歩みをわたしが無理やり停めさせた』と表現する方がより正確かもしれない。
わたしが詰め寄るから、周りからは『面白カップルだ』みたいに思われて好奇の眼で見られちゃっているかもしれない。だけど、周囲から幾ら視線を伸ばされても、わたしがチクチクするコトは無い。視線によって痛みを覚えるほど弱くはないのだ。
「もうちょい前に進まない……? 徳山さん」
濱野くんは弱めに言うけど、
「あなたは価値判断をどこまでも先送りにするのね。『常習犯』なんだからっ」
と、割りと高身長な彼の顔面をわたしは強く睨んでいく。
『どちらかと言えば、つまんなかった』という回答を彼から引っ張り出したわたしは、くたびれ気味の彼をソファに座らせておいて、他の上映作品のポスターを見て回ったりしていた。
欧州で製作されたと思われる小難しそうな映画のポスターの前に、かなり小柄な女子が独(ひと)りで佇んでいた。
わたしは彼女と数メートル離れた場所で立ち止まる。見覚えのある女子(ヒト)だったからだ。
コトバを交わしたコトは無い。目線が合ったコトも無いと思う。
だけど、この映画館に来るたび、この女子(ヒト)を必ず目撃しているような気がして。
小柄なカラダが眼に留まる。もしかしたら145センチ未満なのかも。そうならば165センチのわたしより20センチ以上低い。
背丈は小学生並みだけど、身にまとうモノは驚くほど大人びている。彼女を眼にするたびに、身にまとうモノのセンスの高さに感銘を受けてしまう。長めの髪こそ手入れが若干雑だけど、服装に関しては毎回毎回『カンペキ』と言っていいレベルだ。同じ女子として勉強になる。
――それにしても、この女子(ヒト)は、いったい「お幾(いく)つ」なんだろうか? 同じ女子としてのセンサーによって、大学生以上であるのは既に覚(さと)っている。産まれた年度が2002年度以前ならば、わたしや濱野くんよりも『オトナの女子(ヒト)』だ。もしそうであるのならば、きっとたぶん社会人女性。社会人女性であるとしたならば、いったいどのようなお勤め先であらせられるのか……。
『その映画に興味あるの? きみの守備範囲って広めなんだねえ』
この声の主は濱野くん。不都合にも既にソファから立ち上がっていて、無神経にもわたしの背後に迫ってきている。
小柄な女子(ヒト)を眼で味わう余裕が無くなってしまったわたしは、グルリ、と無神経な彼に振り向き、
「今日観た映画のパンフレットを買ってたら、あなたを折檻(せっかん)してるトコロだった」
と告げる。
「んんっと……きみ、何が言いたいのかなあ」
それぐらい把握してよ。
ニブ過ぎ。
× × ×
「司法試験への挑戦が軌道に乗るまで、あなたにお灸をすえ続けないといけないのかもしれないわね」
「難しい言い回しだな」
「法律文はわたしの言い回しの100倍難しいでしょーがっ」
某・繁華街の通りの只中で、濱野くんの左手をギュウッ、とつねり始める。
「暴力は反対なんだけど」
「時によっては賛成多数よ」
「きみの爪痕(つめあと)は相当長く残るんだよ? ひと晩寝ても痛みが引かなかったりするんだ」
濱野くんの訴える声に呆(あき)れの色が混じっている。
よくない。
「ねえ。わたし前々から気になって仕方なかったんだけど――あなた、もうちょっと『芯の強い』喋り方ができないの?」
「……どーゆーコトかな」
「そーゆートコよ」
「り、理解できない」
言い回しがフワフワし過ぎていて、身長の高さや髪の長さと釣り合っていない。これが、濱野くんの喋りに対するわたしの見解。
この先もずっと付き添ってあげたいとわたしは思っているんだから、肉体言語を運用してでも改善要求を出し続けるつもりだ。
だけども、本日の改善要求は、この程度にしてあげておく。
他にやるべきコト・言うべきコトがある。
とりあえず、彼の左手から右手を離してあげる。
大げさに自分の左手を自分の右手で押さえる彼にイラッとしながらも、
「わたし、1ヶ月以上前からずっとあっためておいた『問いかけ』があるのよ」
「『問いかけ』? 『問いかけ』を、『あっためる』? 今日のきみってなんだか、難しいコトバづかいだらけで――」
わたしはいきなり立ち止まる。立ち止まって、遮り、黙らせる。
唖然とする濱野くん。
足を踏んでやりたくなる、けど、踏みとどまって、
「あなたに問いかけたいのは」
と言い、
「『もし、わたしの身長がもう少し低かったならば、あなたにとってわたしという女子の魅力はもう少し上昇していたのかしら?』ってコト」
と言い切る。
立ち止まり続ける濱野くんが、無闇にコトバを口に出すのをガマンするような顔つきになる。
わたしの『問いかけ』をシッカリと咀嚼(そしゃく)している証拠。見直せる。今日ここに至るまでの不甲斐無かった彼の面影が失せていく。汚名返上。どんどん評価を上方修正してあげたくなってくる。
濱野くんは視線こそ斜め下に寄せてしまうけど、
「きみには、高身長女子ゆえのコンプレックスみたいなモノが少しあって。だから、もう少し背丈が低くて女子の平均的数値に近かったら、自分自身の魅力がより増していたかもしれないのに……って、悔しいキモチも、それなりに抱えてるってコトなんだよね」
その通りよ。
よーくわかってるじゃないの、わたしのコト。
まあ、高身長女子と言っても、もっと背が高くてスタイルの良い娘(こ)ならば、この繁華街の通りの周辺を歩いてる人々の中にたくさん見つけ出せるって思ってるけど。
「165センチ、なんだよね」
彼の問いにすぐに頷くわたしは、
「どうして覚悟を決めたみたいな顔つきで確かめてくるのよ」
と軽くたしなめる、けど、
「おれは、165センチの徳山すなみさんが好きだな」
と、濱野くんが言い切ってくるから、照れ混じりの熱に上半身が徐々に包まれ始めていく。
「164センチ以下でも166センチ以上でもダメなんだ。165センチじゃないと、『徳山すなみ』って女の子を、全力で愛し切れない」
濱野くんからの予想外の熱きメッセージ。
当然のコトながら、わたしの顔面の全体が火照(ほて)る。
お互いに、ずいぶん長く立ち止まっているし……周りから注目を浴びていないかどうか、気がかりになってきてしまう。
誰かに冷やかされないだろうかという怖さがひと筋の冷たい汗になってわたしの背中を伝う。
眼前(がんぜん)の彼氏の状態を確かめる。
狼狽(うろた)えの色がほとんど見られない彼氏がいる。