【愛の◯◯】解(ほぐ)れるから「その気」になってきて

 

羽田愛(はねだ あい)さんのお肌の潤いが今日もスゴい。特に唇の辺りが信じられないほど潤っている。超美人な22歳女性ならではの口元というか……!

「あっ」

わたしが視線を寄せていた愛さんの口が開いた。

「オンちゃんが、わたしの口元に見惚(みと)れてる」

ズバリな指摘。わたしはたじろぐ。わたしはうつむく。

「行くわよ、お店に。グズグズしてたらあっという間に夜になっちゃうわ。学校帰りの制服JKを夜遅くまで街に居させるワケには行かないから」

愛さんの声を聞いて目線を上げ直す。カラダを前方に向けた愛さんが美しい顔だけをわたしに向けている。

 

× × ×

 

「無理を言ってすみませんでした」

わたしがそう詫びているカフェはかなりのオシャレカフェだ。制服姿は浮いているんじゃ無かろうかとも思う。緊張がなかなか解(ほど)けない。

「……それと」

眼の前の愛さんに向けて恐る恐る、

「愛さん、今、いろんな意味で大変な時期だと思ってるので……。『すみません』が、2倍ですっ」

「2倍お詫びしなくたっていいのに」

苦笑の愛さんは本当に優雅にコーヒーカップを口元へと持っていく。

カップの中身を静かに啜ってから、

「大変な時期なのは、確かよ。何よりも、教員採用試験に落ちたのが痛恨だった」

愛さんのコトバを受け止めたわたしは制服スカートをかなりキツめに握ってしまう。クシャッ、という音が出そうな勢いで。

でも、

「あのっ、わたし、愛さんを慰めたいキモチがあるんですっ。きっと上手には慰められないと思うし、どんな慰めのコトバを言ったらいいのか、考えをまとめ切れてないんですけどっ」

と懸命に声を振り絞っていく。

年上女性を慰めるなんて当然ながら至難の業。それでも愛さんを慰めるコトはわたしがわたしに課した本日の大きなタスクの1つだった。

「負けないで……くださいっ」

『負けないで』と彼女に言う。言ってしまってから後悔する。強く後悔する。『負けないで』なんて慰めにも激励にもならない。わたしは何を口走っているんだろう。空回りにも程がある。

……しかし、

「面白いしカワイイわねえ、オンちゃんって」

と愛さんがいきなり言ってくるから、制服スカートに固定しかかっていた視線が一気に上昇する。

 

× × ×

 

まだ緊張感がこびり付いている。テーブル上に置いたノートを開く手に余計なチカラが入る。

わたしのノートには英語長文の切り抜きが貼られている。何を隠そうわたしは大学受験生なのだ。

「この英文、お手上げ一歩手前のレベルで難しいんです。センテンス1つ1つがやたら長いし、抽象的な単語が多いし」

「どれどれ~~」

お手上げ寸前の英文を愛さんが覗き込んだ。

愛さんはほんの僅かな時間英文に眼を通した後で日本語訳をスラスラと言い始めた。

驚愕。

その場でスラスラと和訳するに留まらなかった。抽象的な文章を噛み砕いて解説してくれた。とっても具体的な彼女の解説によって英文が一気に「視(み)えて」きた。

腑に落ちたからだろうか。こびり付きの緊張感が薄れていっているのを自覚した。肩があまり凝らなくなる。

「理解できたかな?」

訊かれるから、すぐに、

「できました」

と答える。

「愛さんって、天才を超えた天才なんですね……」

付け加えなくてもいいかもしれないんだけど殆ど自動的にこんなコトバを付け加えているわたしがいる。

「そーかも」

無邪気めいた声音で愛さんは答えてから、

「わたしの弟だったら、さらに速く英文が読めるんだけど」

「利比古(としひこ)さんですか?」

「そう。帰国子女の利比古には勝てないの」

 

× × ×

 

愛さんは数学もレクチャーしてくれた。理系科目の教え方までもが超一流だった。国立大学志望だから大いに助かる。

『なんでこの女性(ヒト)は東京大学に進まなかったんだろう』という疑問が胸の中に浮かび上がる。だけど浮かばせ続けるコトはしない。

 

「『お勉強』はこのぐらいでいーでしょ」

3杯目のオリジナルブレンドコーヒーを注文したばかりの愛さんが言う。無邪気に軽やかな口調。右頬(みぎほほ)あたりには柔らかな頬杖の右手。

「オンちゃんは未だに『スポーツ新聞部』の部長職を後輩に譲ってないのよね?」

愛さんが今日初めてわたしの部活に言及した。

緊張感ならとっくに解(ほぐ)れているから「その気」になってくるわたしがいる。

「『禅譲(ぜんじょう)』は、まだです」

とわたし。

「またまたまたぁ。『禅譲』だなんて大げさの中の大げさじゃないのよぉ」

と愛さん。

「2年男子の2人が、どっちも育ち切ってないから、まだまだ譲れそうにないんですよ」

楽しくなってわたしは言う。

「それなら、今年中には、シッカリ育て上げなきゃねえ」

「ハイ。そのつもりです」

テンション上昇のわたしは、

「後輩男子を育てたいキモチが膨らんでくると、受験勉強も捗ってくるんです」

「どーいうメカニズムなのかな、それ」

愛さんはほんのりと苦笑するけど、

ノジマくんとタダカワくん――だったわよね? どっちがより育て甲斐があるって思ってるの?」

「差は無いです。どっちも平等に育て甲斐があるんです」

「じゃあ、オンちゃんにとって、好みなタイプの男子に近いのは、どっち!?」

「どっちもタイプには程遠いです。全く等しき『程遠さ』です」

「おぉー」