【愛の◯◯】親友とボーイフレンドは、今ごろ……?

 

新目白(しんめじろ)通りを歩いている。

『羽田愛(はねだ あい)センパイと戸部(とべ)アツマさんが住んでるマンション、ここから割りと近くにあるんだよね……』

そういうコトを思う。

『川又(かわまた)さんも一度でいいからわたしたちのお部屋に来てみればいいのに』

羽田センパイからかつてそんなお誘いを受けたコトがある。

わたしは答えを出し渋った。正直に言えばお宅訪問はしたくなかった。アツマさんが苦手だからだ。

『やっぱりイヤかー。アツマくんと顔を合わせちゃうと、居心地悪くなっちゃうのよね』

鋭い羽田センパイは苦笑しながらそう言った。

『アツマくん不在の時に来て、アツマくんが帰ってくる前にマンションを出るんじゃダメなの?』

訊いてくる羽田センパイがいた。

『ダメなんです』

わたしはさほど間を置くコト無く答えた。

『あなたの苦手意識も特筆モノよねぇ』

極めて美しく苦笑する羽田センパイが言ってきたコトバがわたしに突き刺さった。

 

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『しゅとらうす』はまだ営業時間内だった。エプロンを装着して手伝いをするコトにした。お店の手伝いをしたらお小遣いが貰えるのだ。喫茶店の娘の特権だ。

田吉蔵(まるた よしぞう)くんが来店する気配は全く漂っていなかった。したがってココロを落ち着かせて接客ができる自信が湧いてきた。

田吉蔵くんでいちばんタチが悪いのは戸部アツマさんと接点があるコトだ。丸田くんはアツマさんの後追いみたいにアツマさんがトレーニングしていたボクシングジムでカラダを鍛えている。『しゅとらうす』のカウンター席に座る丸田くんがアツマさんのフィジカル面を賛美する度にムカムカが止まらなくなる。

剰(あまつさ)え丸田吉蔵くんは俳句を嗜んでいるのである。わたしは俳句派ではなく短歌派だが俳句にもそれなりの理解は示している。しかし何より問題なのは丸田くんの俳句の嗜み方だ。高浜虚子(たかはま きょし)を賛美する時の丸田くんの口調は本当にキモチワルイ。虚子の俳論(はいろん)を引用して花鳥諷詠(かちょうふうえい)を称揚する丸田くんの声を聞くだけで悪い意味で鳥肌が立ってくる。丸田くんが『しゅとらうす』店内に持ち込んできているであろう歳時記にコーヒーをぶっかけたくなってくる。

 

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穏やかなる時間が『しゅとらうす』の中を過ぎていった。閉店時間まで勤め上げたからお小遣いを比較的たくさん貰えるはずだ。

報酬としてのお小遣いは後日手渡される。わたしはその時を楽しみにしながら晩ごはんを食べたりお風呂に入ったりする。

 

寝る準備は全て完了したのでベッドに飛び乗る。ベッド上を数回転がり回った後で天井を見つめる。

戸部アツマさんと丸田吉蔵くんへの呪いのコトバを胸中だけで呟いた後でリモコンを操作してLED照明を落とす。

弱冷房の切(きり)タイマーをセッティング済みの室内で掛け布団の絶妙なヒンヤリ感を味わう。

ここまでは信じていた。『今晩はゼッタイに安眠できる!!』と。

しかしながら……。

 

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正室温のはずなのに汗がダクダクと背筋を流れるのが止まらない。身を起こしている。LEDは点けていない。部屋を明るくするともっと気持ち悪くなるような気がする。

安眠の入り口に足を踏み入れる直前のコトだった。ふとした弾みによって凄く凄く不都合なコトに思いが至ってしまった。

戸部あすかちゃんと羽田利比古(としひこ)くんのコトが意識に浮かんできてしまったのである。

アツマさんの妹のあすかちゃん。羽田センパイの弟の利比古くん。

あすかちゃんはわたしの大切な親友であり、利比古くんはわたしの大切な……ボーイフレンドである。

あすかちゃんと利比古くんはアツマさん・あすかちゃん兄妹の実家の邸宅にて一緒に暮らしている。利比古くんがアツマさん・あすかちゃん兄妹の実家に居候していると言い換えてもいい。

あすかちゃんと利比古くんが寝起きしている部屋は同じフロアに存在していて距離が近い。

『互いの部屋の距離が近い』という事実をベッドの中で意識してしまったのがいけなかった。致命的と言っても良かった。

 

『今、あすかちゃんと利比古くんはたぶん、自分の部屋でそれぞれに夜を過ごしている』

『ひょっとしたら、あすかちゃんが利比古くんの部屋に向かったり、利比古くんがあすかちゃんの部屋に向かったりするようなコトも起こるかもしれない』

『もちろんわたしは、ふたりを信じている。互いの部屋を訪ねても、ヘンなコトをしたりしないって。『ヘンなコト』の中身は放送コードに触れるから伏せるけど。とにかく、互いの部屋を訪ねるにしても、本や漫画やCDの貸し借りみたいなやり取りに留まるはず』

『だけど……。あすかちゃんが、最近積極的だから……』

『あすかちゃんが利比古くんへの◯◯なキモチを伝えてきてから2ヶ月が経つ。あすかちゃんがわたしの恋のライバルになっちゃった』

『わたしだって対抗したい。『負けないよ』とも直接言った。あすかちゃんの想いは『望むトコロ』。勝ちたい。利比古くんを手放したくない』

『でも……。『あすかちゃんと利比古くんの部屋が近い』っていう厳しい事実がある……。『ヘンなコトはしないはず』って信じたい。信じたいし、信じるけど、もし、あすかちゃんの積極性がエスカレートしちゃったならば……!!』

 

仰向けに寝るわたしの中でこういう風な想念が暴れていた。

苦しくなっていったん身を起こさざるを得なくなった。

 

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LEDは結局点けた。

漠然とした不快感がカラダを締め付けてきていた。とりわけ胃袋の辺りが不快だった。胃袋がグニャグニャしているみたいだった。

不快感に苛まれっぱなしのまま勉強机まで辿り着いた。椅子に腰掛けた。戸部アツマさんと丸田吉蔵くんを呪詛する無季(むき)俳句をルーズリーフに10句以上書きつけた。アツマさんと丸田くんを呪詛するコトで憂さを晴らすしか無かった。

だけどこんな行為に及んでもまだ晴らし切れなかった。だから岩波文庫・黄色の『古今和歌集(こきんわかしゅう)』を机上の中央に叩きつけた。和歌をひたすら音読して更なる憂さ晴らしを敢行するためだった。